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中二病みたいに不良にあこがれた自分

「君はしっかりしてるから大丈夫だよ」

僕は人生の辛みを感じるトップ5には確実に入っているであろう他人からの有難迷惑な言葉。

別の記事でも書きましたが僕は自分のことを「頭いい」「真面目」「優しい」と思ったことがありません。

下を見れば僕も真っ当な人間にカテゴライズされるんでしょうが、それを言い出したらディベートみたいになるので一旦無視。

そもそも論として、社会人になった人は常識やモラル、能力をある程度は求められるので「周りの目なんかクダラねえ」という人は社会に属すことを放棄することになってしまう。

僕の生まれ育った町はいわゆる田舎と呼ばれる場所です。

社会人になってから都会にあたる町を転々としていて、3カ月前に地元を生活拠点にしているのですが「やっぱ田舎だな」とつくづく感じています。

・地べたに座ってご飯を食べている人
・悪びれもせずに歩きタバコする人
・夜中のコンビニにあつまる素行の悪い人

田舎で見られる彼らのことを肯定するつもりはないですが、どこか安心するというか「こんな生き方しても良いんだよな」って心に染みるんですよね。

今までいろんな町で生活してきましたが、「地元と違って華やかだな」と嬉しい気持ちを持ちながらも、どこか窮屈というか無言の圧力を感じていたのかもしれません。

立派に生きろよ、みたいな。

僕も社会人になりたての頃は自分への戒めとして、「立派な大人にならなきゃ」という終わりなきノルマを課していました。

別に誰かに強制されたわけではないですし、日常的に誰かの迷惑になるような活動はしていませんでしたので、今となっては何のためにやってたのか不思議なくらいです。

もしかすると無意識に他人をランク付けしていたのかもしれません。

①フルタイムで働いて貯金をしているサラリーマン
②日雇いの仕事で食いつなぎながら、空いた時間はパチンコへ

上記のような2人が目の前にいたとして、昔の僕は①>②のように見ていたんでしょう。

評価する軸によって不等号の向きは変わりますし、本来は人間同士で優劣なんかあるわけもないのですが。

自己分析してみると、恐らくですが大学生活がターニングポイントになっていた可能性が高いです。

高校までは地元の公立に通っていたのですが、大学は大阪の有名私立に進みました。

理由は不純でして「楽して大学にいける」というもの。

僕が通っていた高校は特定の大学と提携していて「毎年〇人を試験なしで進学させる」という取り組みをしていました。

詳細は以下にて。

大学に入るまでは良かったのですが、問題は「有名な私立大学」という点です。

平たく言うと「お金持ちの人」「勉強ができる人」「良い会社に入りたい人」が集まっているんです、立派な大人候補とでも言いましょうか。

大学生並みの羽目を外す行動はあるものの、基本的な行動パターンがとても真面目というかしっかりしてます。

・授業は休まず出席する
・サークルやボランティアなど課外活動にも熱心
・ある程度は将来設計を考えておく

上記のような大学生に対して否定的な気持ちは一切ないですが、僕としてはとてもプレッシャーを感じたのを覚えています。

そのため流される、というか似たような行動を取るようになっていきましたね、まあそれで得した場面もあったので後悔してませんが。

「蛙の子は蛙」という言いましょうか、やはり身の丈に合った生き方ってのがあるんでしょう、去年くらいまで自分に重圧をかけてストレスになっていたのは間違いないです。

最近は大学不要論がSNSを中心に出ていますが、僕は結構ポジティブに捉えています。

昔は大卒ってだけで人数が限られていたので「大卒=能力がある」という仮定のもと企業としては採用活動がしやすかったんだと思います。

加えて勉強が得意、好きな人には義務教育を超えてどんどん勉強する環境が必要です。

とはいえ僕のように「勉強が得意でない」「勉強が嫌い」という人は、膨大なお金と時間を費やして通うほどリターンは無いんだと思います。

あとは人間関係ですかね、大学に行くと友達の数は圧倒的に増えますし。

人間関係についても前述したように僕の場合はマイナスに働きました。

良い年してこんなこと言うと怒られそうですが、僕は立派な大人になりたくない。普通にしんどい。

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