拍手喝采

本当は去年の秋頃に書いていたものでちょっと時期外れですが、お披露目を祝いたかったし、気持ちを残したくなったので。
宝塚の話です。

「私は○○が好き」と言うとき、胸を張って言い切れない自分がどこかにいる。理由は様々だ。語れるほどの知識はない。最近触れたばかりである。お金をかけられていない。百パーセントの純度をもって好きだとは言えない。など。
特にお金の問題は大きい。私としては自分の実生活と突き合わせて身の丈に合った金額をオタク活動に使っているが、全体的に見れば多分微々たるものだ。ソシャゲは微課金、観劇はB席常連でも、私は自分の中の「そのコンテンツが好きだ」という気持ちには自信を持っている。しかし、気持ちの大小は他者に対して証明出来ないが、お金は他者に対しての裏打ちになる。誰かに対して「私はこれが好きなんだ」と話すとき、そう言えるほどの気持ち以外の何かを私は持っているのか? と省みてしまう。

夏に行われた全国ツアー公演でも、私は地元の一公演だけを取った。その公演は新トップコンビプレお披露目公演で、私のいちばん好きな人がトップスターになって初めての公演だった。
ショーは前トップスターの退団公演をリメイクしたものだから、全体的な流れは把握していた。まず開演アナウンスが流れてイントロ、幕が上がって、舞台のど真ん中にトップスターが一人きり。
記憶の通りにショーが始まり、客席に背を向けていたその人がトップスター用の派手なお衣装でこちらを向いた。わっと沸き上がる拍手のあまりの大きさに、私も拍手しながら思わず強く目を瞑った。
お金の他にもうひとつ、裏打ちになるものがあった。
私が差し出せるものの中で、いちばん大好きなその人に直接伝わるもの。拍手だ。
私はいわゆる百周年新規で、過去作もあまり知らない。たくさん観劇出来るわけでも、監修グッズ全てを複数買い出来るわけでもない。多分、私より知識も愛も財力も何もかもある人たちがたくさんいて、その人たちの規定するスタートラインに並び立つことすら無理だとわかる。
けれど今は、この会場響く拍手の大きさは私の大好きな組と大好きな人たちへと向けられている。もしもこの拍手で私の大好きな人たちが喜んでくれるのなら、私のいちばん好きな人へトップスターおめでとうの気持ちが少しでも伝わるのなら、ずっとずっと手を叩いていたい。今、私は私の大好きな人たちを包む拍手のひとつになれて幸せだ。

私の存在は大好きな人たちにとっては取るに足らなくて、そういう意味では「推し」とか「贔屓」とか呼ぶことすらおこがましい。私には何も出来ない。ただ拍手のひとつになることしか。でもそれで充分嬉しかった。むしろ過ぎたる幸福だ。

最後になりますが望海風斗さん、トップスター就任おめでとうございます。 あなたを包む拍手のひとつになれて、私はとっても幸せです。

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