![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/71011487/rectangle_large_type_2_b345d9dcfff114f0a1aab7fe45f1152a.png?width=1200)
自分と会話し続けていた中学生時代の話
オードリーの若林さんの『ナナメの夕暮れ』を読んでいます。
「いつまで自分と話しているつもりだろうか。」
く、苦しい…
わたしも若林さん同様、ひとり行動が苦でない。
ひとりでごはんもカラオケも映画も行くし、
美術館もレイトショーも、飛行機に乗って旅行もできる。
本気でさみしくない。
そりゃ誰かと出かけるのも楽しいけど。
初めてひとり○○をしたのはいつだろう。
そういえば、わたしは中学生のときひとりで帰るのが好きだった。
中学校から家までは2つのルートがあって、
1つは近道だけど坂の傾斜がキツい道。
もう1つは坂は緩やかだけど、墓地のある寺の横を通るため、
なんだか薄暗くて気味悪がられている道。
みんな部活が終わっても、昇降口のあたりにうろうろして
誰と帰ろうか思案しているようだったけど、
わたしは誰かに声をかけられる前にさっさと帰ることが多かった。
そしてわざと遠回りの(墓地の横を通る)道で帰って、
一人で会話するのだ。
自分と話しているうちに、笑ったり泣いたりしてしまうこともある。
中学生の時のわたしは
「傷つくことですべて許されるはず」
という謎の思想に囚われていたので、
会話で徹底的に自分を苛め抜く、
ということをよくやっていた。
今思うと修行だな。
そんな自分の会話を繰り広げていたわたしに、
最近変化が訪れました。
わたしと会話してくれるもうひとりの自分が現れないのです。
悪役はもう嫌だと逃げ出してしまったんだろうか。
じゃあなぜ今さみしくないんだろう。
あんなに話した自分とは会話できないのに。
修行を終えたからか?
いや、会話はしている。
リアルタイムではないけど、
たまに書く日記のようなものはその感覚に近い。
たまにはこっちに来て、また話そうよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?