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自分と会話し続けていた中学生時代の話

オードリーの若林さんの『ナナメの夕暮れ』を読んでいます。

「いつまで自分と話しているつもりだろうか。」

く、苦しい…

わたしも若林さん同様、ひとり行動が苦でない。
ひとりでごはんもカラオケも映画も行くし、
美術館もレイトショーも、飛行機に乗って旅行もできる。

本気でさみしくない。

そりゃ誰かと出かけるのも楽しいけど。

初めてひとり○○をしたのはいつだろう。

そういえば、わたしは中学生のときひとりで帰るのが好きだった。

中学校から家までは2つのルートがあって、
1つは近道だけど坂の傾斜がキツい道。
もう1つは坂は緩やかだけど、墓地のある寺の横を通るため、
なんだか薄暗くて気味悪がられている道。

みんな部活が終わっても、昇降口のあたりにうろうろして
誰と帰ろうか思案しているようだったけど、
わたしは誰かに声をかけられる前にさっさと帰ることが多かった。

そしてわざと遠回りの(墓地の横を通る)道で帰って、
一人で会話するのだ。

自分と話しているうちに、笑ったり泣いたりしてしまうこともある。

中学生の時のわたしは
「傷つくことですべて許されるはず」
という謎の思想に囚われていたので、
会話で徹底的に自分を苛め抜く、
ということをよくやっていた。

今思うと修行だな。

そんな自分の会話を繰り広げていたわたしに、
最近変化が訪れました。

わたしと会話してくれるもうひとりの自分が現れないのです。

悪役はもう嫌だと逃げ出してしまったんだろうか。

じゃあなぜ今さみしくないんだろう。
あんなに話した自分とは会話できないのに。

修行を終えたからか?

いや、会話はしている。
リアルタイムではないけど、
たまに書く日記のようなものはその感覚に近い。

たまにはこっちに来て、また話そうよ。

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