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わからない未来

 今日の天気は晴れ時々曇りです。

 朝、目が覚めるとアレクサが空模様を教えてくれる。その日だけじゃない、明日も明後日も1週間先のお天道様のご機嫌までも知らせてくれる。

 ふと、思う。何気なく生活をしていると、天気予報みたいに未来のことをわかるのが当たり前になっている気がする。本当は明日、いや1時間後に何が起こるかかも予想できないのに。

 昔の人は先の見えないなかでどのように生活していたのだろうか。経験則でわかることもあっただろうけど、今よりは圧倒的にわからないことの方が多かったはずだ。今を生きるとか今を大切に。なんて言葉を聞いてもあまりピンとこない。でも昔の人は今を生きることに必死だったと思う。何せ、明日何が起こるか分かりやしないし、考えたところで解決しないから。

 それは今も変わらないはずなのに、未来のことは予想できると錯覚している。なんでもわかるそう思っているからこそ、明日のこと、考えなくてもいいことを考えてしまうのだろう。

 そう考えると、分かりやしない未来をあれこれ悩むよりも今を必死に生きるのが正解な気がする。

 今を生きる的な言葉は、それだけ見るとなんだかアレルギー反応を起こしてしまいうになる。だけどその意味を考えると抗体ができたように自然と体に受け入れらそうだ。

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