母校の学園祭で自分を見た。


学生時代にいい思い出がない。
かといっていじめられていたとかもない。
私は、自分なりに言うなら、後悔ばかりの冴えない惨めで恥ずかしい学生時代を過ごした。
学生時代に出会って今も仲の良い友人は、1人もいないと言っていいだろう。

強いて言えば楽しかった思い出も、ほとんどソロ活動だ。
鬱や膨れ上がった自意識は、他人に関して過剰な反応を生み、私の学生生活をダメにした。

母校には近づきたくないと思いながら何年も過ごしてきた。
学生も苦手だし。

ふと、今年は学園祭に行ってみようと思い立った。
頭の薬が効いてきて、嫌な気持ちが薄れて行動力が出たのかも知れない。
それか、あまりに寂しかったのかも知れない。
今年も誕生日を超え、体は順調に老化して、孤独死が恐ろしくなった。
グラドルなんてやってると、どんな地下アイドルでもオフシーズンのスポーツ選手や俳優とDMや飲み会で繋がるというウワサがあるが、私に関してはDMが来ない。
私は #人と繋がりたくない  のオーラを纏いすぎてしまっているのか。
たしかに裏垢男子などには関わりたくない。友達もめっちゃ選ぶ。好きなものより嫌いなものの話をしているときのほうが、イキイキしている。

安心して一緒に暮らしていける怒鳴らない男が欲しい。私のことが非常に好きで、私も好きになれる男が。これが、いない……。いないのだ。
私は他人と暮らしたくない。
別居婚したい。

とにかく、学園祭に行った。
学園祭は若い男女ばかりで気が滅入る。
中年祭りは、ないのか。
男性は30代以上から50代くらいまでがストライクゾーンだ。でも気持ち悪い人はいやだ。

学園祭は広すぎて何を見ればいいのかわからない。パンフレットを広げて目星を付けた。

芝居サークルがやってる芝居小屋に300円払い入場、蒸し暑い。空気が薄い。臭い……。急に悲しみが押し寄せてきた。
上映時間は1時間だという。生きて出られる気がしない。

学生たちが宅飲みをしている冒頭シーンで耐えられず退場した。
息苦しさ、暑さ、そして共感性羞恥心だ。
そう、これが学生、なのだ。
舞台袖で芝居サークルの学生同士が「暑いね!」「えらいね」「頑張ったね」と声を掛け合う青春シーンを目撃したが、心の腐り擦り切れ汚れた老婆の自分は「空調をがんばらんかい!!」と声には出さなかったもののツッコンデしまう。
老婆、退場。

逃げ出した芝居小屋の階下では、軽音楽サークルが爆音を鳴らしていた。
どれどれ、私も軽音楽を齧った身(軽音楽サークルが決定打で学生時代に鬱を発した)、若人のプレイを拝見しようじゃないか、と信じられない積極性を発揮してフロアに潜入した。
やはり空気が薄い。人の匂いが濃い。
「え〜今はあんまりボカロとか聴く人いないんですけど、ボカロは名曲がたくさんあるので、みなさんも聴いてみてほしくて〜」
学園祭仕様に髪を派手に染めたボーカルがMCで観客を湧かす。
ボカロっていまの18歳くらいの子からしたら懐メロの一種なんだなぁ……と老い感じた。
でも一番感じちゃったのは、やっぱり共感性羞恥。

あれは、かつての私だ。

私は本気でサークルやってたんだ。バンドやってエモくなってMCだってして、泣いたり笑ったりしてたんだ。
他人の曲をコピーして、自分で書いたみたいに感情移入して、「伝えよう」としてたんだ。
あのとき私は「アーティストさん」だったのだ!

10秒程度のMCを聞いて飛び出した教室のドアにはバンドのタイムテーブルが貼ってあった。
やはり、私の現役時代と変わらない「1バンド1アーティストコピー形式」が採用されている。
なぜか大学生のサークルバンドはそういう形式が多い。曲やアーティストが違うバンドで被ると比較対象になってお互い気まずい思いをするからだ。
と同時に、自分たちあのころやっていたのはアーティストにいかに自分を投影するかの一種のごっこ遊びだったり、いかにコメディアスにできるか・雰囲気寄せられるかのモノマネ芸だったりしたんだな、と妙に納得した。
演奏うまくてプロになる人もいるけど、大学生ともなるとプロ目指してる子たちはオリジナルのバンド組んでるよなぁ……。
何をしたらいいのか分からないで泣いてる私みたいなやつは、将来、私みたいなことになります。
気をつけて。

外に特設された大きなステージでは、可愛い子たちが欅坂や乃木坂のカバーをしていた。
派手な男の子のバンドにはオーディエンスも「ウォイ!ウォイ!」と拳を振り上げる。
私も、昔はウォイ!ウォイ!してたもんだ。
バァもまた熱狂してみたいもんじゃのう。
ヨボヨボの足取りで通り過ぎる屋台はなぜか肉系ばかりで、服に煙の臭いが染み付く。
学生の衛生観念に疑惑があり、一つも出店の商品を買えず、自販機でお茶だけ買って帰った。

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