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【短編】アルキメデスの風呂桶



「気分転換に大きなお風呂に入っておいでよ。」

そう言われたから久しぶりにスーパー銭湯に来たけれども、どこもかしこも人でいっぱいだ。サウナなんて座る余裕もなかった。

本当は風を感じられる場所でお湯につかりたかったけど、人が多いと気が休まらないので、露天風呂の奥の方にある洞窟風呂で我慢することにした。

一歩中に入ってみると明かりが無く自分の足も良く見えない。しかし、しばらくすると目が慣れてきて中が見えるようになってきた。

中が見えるようになると思っているよりも奥行きがあることに気が付いた。どれほど奥まで続いているのか気になったので、歩いて奥に入っていった。

すると一番奥にはまわりの岩と同じような質感でうまく隠されている扉があることが分かった。「清掃用かな。いや、まさか、女風呂につながっているのか?」そんなことを考えながらいたずら半分に押してみたら、扉が開いてしまった。

驚いたが中をのぞくとそこは古代建築風の洋風浴場だった。そして部屋の真ん中にポツンとある風呂の中に薄暗い明かりの中、お湯に浸かっている長髪が見えた。「しまった。本当に女風呂につながっていたのか。」そう思い、焦って扉を閉めようとすると、「そこの若いの。まぁ、こっちに来て座りたまえ。」という声が聞こえた。女性の声ではなく、それは老人の声であった。もちろん洞窟風呂の最深部には他に人がいなかったので自分が呼ばれたのだと分かった。

いきなり呼ばれたことに、意図的ではないが女風呂を覗いてしまったことを咎められるのかと少しヒヤッとしたが、よく考えたら女風呂なんて覗いていなかったので堂々とその声の主のもとに向かった。そこには毛量が多い長髪の老人が目をつむって風呂に浸かっていた。あまりに毛量が多いので湯気かと思ったが、ただの長白髪だった。

「よくぞ来た。無知な若人よ。まずは湯に入りなさい。」その老人はまるで賢者のようにはんなりとしていたが、その声には力強さと説得力のようなものがあった。自分が「無知な若人」と失礼なことを言われているのに気が付かないほどである。

「我が名はアルキメデス。よろしくどうぞ。」まさかあのアルキメデスではないと思う。しかし、何度も言う。声に説得力があった。仮に変な人だとしても少し面白いかもしれない。

「よろしくお願いします。」
「では、早速だが君の悩みは何だね」
「悩みですか?」
「そう、悩みだ。」
「悩んでいるように見えますか?」
「若人には悩みがあるものよ。それを解決するのが私の役目である。」

少し困ったが、また言わせてもらおう、彼の言葉には説得力があるのだ。私は素直に悩みを打ち明けることにした。

「自分の悩みは職場の人間関係です。」
「ほぉ、詳しく。」
「はい、私は専門商社で営業をやっています。役職柄経理の人とかかわる機会が多いのですが、そこに同期の髙橋さんという人がいます。彼女に目の敵にされているのです。」
「ほぉほぉ、それでそれで」

自称アルキメデスは楽しんでいるように見えた。

「彼女はすごく細かくて神経質な人なんです。私の行動にいちいち口を出してくるし、提出する領収書にも毎回何かしら文句を言ってきます。そもそも何で嫌われているのか、原因も分からないので解決しようが無いのですが。」

それを聞いた自称アルキメデスは「君は知らないのだ。」と言った。

「いいか若人よ。他人を変えることは出来ぬ。映画の中の悪役を君が殴り飛ばせないのと一緒でな。ならば、君が考え方を変えれば良い!モノの見方が変われば、世の中どこでもこの風呂の様に快適じゃ。」
「はぁ」
「だが、そう簡単に自分の考え方を変えることは出来ぬ。この私からヒントを与えてあげようではないか!」そういうと自称アルキメデスは腕を組んでうーんと考え始めた。

そしてふいに「スイカじゃ!」と叫んだ。

その瞬間、天井が開きこの世のモノとは思えないサイズのスイカが降ってきて風呂の中に入った。するとすごい勢いでお湯が流れ出し、私はそのお湯にのまれて部屋の外に押し出された。最後に見えたのはそのスイカうまく乗り、あぐらをかいた自称アルキメデスが、笑顔でグッドサインをこちらに向けている光景だった。

気が付くと洞窟風呂の入口にいた。のぼせて幻覚でも見てたのかと思ったが、一応、洞窟風呂の奥に行き、扉がないことを確認し、幻覚だったと確信してから風呂を出た。

そして次の月曜日、私はスイカを買ってから会社に行った。自称アルキメデスが言ってたことを信じたわけではないが、8月のお盆休み前の最後の一週間を乗り切るための差し入れとして持っていったらみんな喜ぶだろうと思ったからだ。

案の定、皆が喜んでくれた。経理の髙橋さんもいつものキリッとした目で僕をにらんだ後、食べやすいように切って置いてあるスイカをとって食べ始めた。
嫌いでもスイカは食べるんだなと思って、少しむっとしながら眺めていたが、あることに気が付いた。

あっ、普段は結構細かい感じだけど、スイカは種ごと食べるタイプなんだ。
意外と一口も大きく、口いっぱいに種ごとスイカをほおばっている姿はハムスターを彷彿とさせた。なんか、可愛いな。

そんなことを考えてしまった自分がなんだか恥ずかしくなって目を机に移すと、髙橋さんのマグカップからぼんやりと湯気が立っているように見えた。

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