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【親愛なる、】 実家/短編小説

 目覚めた時、カーテンの隙間から濃い色の光が差し込んでいるのを見て血の気が引いた。慌てて枕元に置いてある携帯電話を二回タップして立ち上げ見る。

"16:04"

ああ、またか溜め息をつくと、罪悪感と寝過ぎた倦怠感が一気に襲ってくる。フローリングの床に直置きされた鞄から買ったまま手を付けていなかったペットボトルのお茶を取り出し一気に飲むとぬるい水分が喉を通って胃にたどり着くのを感じた。
もう一度小さく溜め息をつき、段ボールだらけの部屋を横断しつつカーテンを全開にすると夕日が目に刺さって痛い。

 明日こそは、と強く思いながら就寝したにも関わらず一度目のアラームが鳴った時は苛立ちながら止め、二度目のアラームは半分寝たまま止めた気がする。三度目のアラームは覚えていない。それ以降の記憶もない。週末が来る度に同じ事を繰り返し、引っ越してから二ヶ月も経つというのに荷解きすらされていない部屋で最初に組み立てたベッドだけがあまりにも日常的で異様な雰囲気を放っていた。
 何故こんなにも片付かないのか。仕事で疲れているのは確かにある。けれど、それ以上にこの部屋が私の帰る場所という実感が湧かなかった。

 越してくる前に住んでいたアパートは最近にしては珍しく一階部分が大家の住居となっており、そこには腰が痛いと言いながらも精力的に動き回る老婦が暮らしていた。建物自体は小さく、築年数も経っていたが小奇麗でアパートの周りには色とりどりの花が植えられていた。私はそのこぢんまりとした雰囲気と穏やかな空気が気に入って入居した。
 時折老婦と他愛もない話をし、次第に夕食を共にするようになった。老婦は料理が上手く何を作ってもそつなくこなし、かと言って特段作ることが好きでもないらしくデリバリーを取ることもあった。たまには胃もたれするものが食べたいのよ、と言うので何の記念日でもない日にホールケーキを買って行ったが結局食べ切れずに、二人でクスクスと笑い合った事もあった。物語のように穏やかな日々を過ごしながら、何回かの契約更新をした頃に大家が老婦から老婦の息子へと変わり、そのすぐ後にアパートの取り壊しが決まった。周りの土地と合わせてマンションにすると知った時、自分ではどうしようもない流れに飲み込まれていくのを感じた。ぐるぐると洗濯機のように回る生活と時間、蓋を開け上から見ていればなんて事のない景色でも、飲まれた瞬間からただ流される事しか出来なくなる。そうして慌ただしく流されているうちに、私の実家の取り壊しも決まった。

 今にして思えば、私がそのアパートを気に入ったのは実家の雰囲気に似ていたからかもしれない。東京から新幹線で二時間ほどの所にある実家は両親が結婚する時に祖父母がリフォームしたもので、元々は父が育った場所だった。その家で祖父母と両親と共に暮らし、選んだ大学が県外だった為ひとり暮らしを始めた。その頃には祖父母も亡くなり両親だけでのんびりとした生活を送っていたようだ。それ以降は長期休暇や連休に帰省するだけで、住んではいない。帰ってもいい場所として、当たり前のようにある実家。そう思っていた。いや意識すらしていなかった。ある年の帰省で、両親から「この家を取り壊して、土地を売ろうと思っている」と聞かされるまでは、だ。

 話自体は単純で両親は自分達の最後を考えた結果、ヘルパー付きの住居施設を終の住処したいとの事だった。その為に家を手放し父の退職金と合わせて入居資金に当てると言われた。残してあげられる物はなくなるけれど面倒はかけたくないのよ、と話す母は静かな口調だったが考え抜いた末に出した「結論」のようなものを感じた。少し考えさせてほしいと伝えたが、私がどう考えたところで答えが出ているのは明白だった。
 老いていく両親の事を考えた事がなかった訳ではない。私は"そうなって"しまったら施設が一番良いと思っていたし、他の家族は違うかもしれないが少なくとも私達は同じ屋根の下でもう一度暮らして、両親の面倒を見る事が出来ないのは分かっていた。一番良い距離感はたまに会うくらい、そういう家族だったというだけの話だ。
その一方で両親がこのまま元気で"そうならない"事もある、などと頭の片隅で考えていたのも事実であり、自分の想像力のなさに情けなくなる。結局のところ私は考えているようで考えておらず、考えたとしても実家も両親も"その時"が来るまではずっと在るものという前提でしか考えられないカップの外側だけを見て、何が注がれているのかは見ようとしなかった。
 こうして自分が住んでいるアパートとかつて住んでいた実家の取り壊しは進んでいった。

 段ボールだらけの部屋の中で窓を開けると緩い風が吹き、季節の匂いが舞った。どこに居てもその匂いは同じだな、とぼんやり思う。
 実家に関して理解はしている。納得もしている。ただ更地になった「実家があった場所」を見て、私を守り安心させ、思い出を積み重ねながら成長させてくれたのは両親だけではなかったのだと実感した。実感を得てから思っても今更遅いというのにどうしても考えてしまう。
 これからは両親の元へ帰るのではなく、両親に会いに行くのだ。変化しないものはない。私も街並みも少しずつ変わっていく。見知らぬ土地が見慣れた景色になるように、若かった両親も老いていく。

 お茶を取った時のままの鞄から手帳を取り出すと、挟んであった二枚の写真を見つめた。
 子供の頃のものと数ヶ月前のもので、今はなき実家の前で撮った家族写真。一枚は少しだけ日に焼け薄くなりつつも家族の笑顔の瞬間を切り取り、もう一枚は色鮮やかに鮮明過ぎる程に細部まで全てを記録していた。どちらも父と母と私、そして生まれ育った家が写っている。見ていると微笑ましくも泣きたいような、不思議な気持ちになった。昔、高熱を出した時に両親のひんやりとした手が額に乗せられた感覚を思い出す。辛くて泣きたいけれど、その手が置かれているだけで安心できた。
 無条件に帰ってもいい場所というのは、私にとって額に当てられた両親の手と同じだったのだろう。
 
 二枚の写真をそっと撫でるとありがとうと呟き、夕日に照らされながら荷解きを始めた。


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