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#013_【組織的公正】テクノロジーの時代にこそ公正性が問われる(#4-111)

Colquitt, J. A., & Zipay, K. P. (2015). Justice, fairness, and employee reactions. Annu. Rev. Organ. Psychol. Organ. Behav., 2(1), 75-99.


この論文の目的は?

レビュー論文。
組織的公正における3つの問いを検討することである。
① そもそも従業員はなぜ正義の問題について考えるのか??
② 従業員はどのようにして公正さに関する認識を形成するのか?
③ 従業員は公正知覚にどのように反応するのか、どのような行動が生じるのか、そしてそれはなぜ生じるのか?

POINT1. なぜ従業員は正義について考えるのか?

不確実性の問題
ほとんどの理論は不確実性(何かがわからない、何かが疑われる状態)が意識されている。
信頼性、立場/地位、道徳、目標の進捗 これらの不確実性が特に検討されています。

特に、信頼性と立場/地位は密接にかかわっているようです。
例えば、ある上司が部下Aに他の部下よりも信頼され、敬意をもって接する場合、どう思いますか?
「あ。こいつはかわいがられているんだな」(有意な地位にいる)

それ以外にも、不確実な環境であればあるほど、この目標は正しいのか?このマイルストーンは正しいのか?という疑問が浮かんできますよね。
だからこそ、「正しいのか?」という疑問が浮かんだ時に、信頼できる、正しい手続きを取られている、ということが大事になってくる、ということです。

POINT2. 従業員はどのようにして公正認識を形成するのか?+反応するのか?

<公正認識の形成>
公正ヒューリスティック理論
人はあらゆる選択肢を検分することはできない。
だからこそ意思決定の際にも自分の経験や知識から、ある意味感覚的に(考えをショートカットして)決定する。
これも同じことで、従業員が「不公平だ!」と思うとき、彼らは迅速かつ無意識的な判断に頼っているのである。

<反応>
認知主導の行動
社会的交換理論は、正義と公正が職場における態度や行動にどのような影響を与えるかを理解する上で、メインの枠組みになっています。

Lind(2001a)は、公正さの認識は従業員を、自己利益への懸念が優先する個人モードから、集団の幸福が最優先される集団モードへとシフトさせると指摘している。「集団モードの人々は、個人の物質的な成果を監視し対応する代わりに、集団にとって何が良いのか、集団の目標を達成するために何ができるのかを第一に考える」(p.67)

https://www.annualreviews.org/doi/full/10.1146/annurev-orgpsych-032414-111457

感情主導の行動

「公正がない」ことで道徳的憤怒-権威に向けられた怒りや憤りの感覚-を引き起こす可能性がある、としている。
これは多くのネガティブな感情が研究されています。

<おまけ>
正義や公正は「上司」に感じるもの?「組織(経営陣)」に感じるもの?

上司に焦点を当てた正義は、組織に焦点を当てた正義よりも従業員にとってより顕著であり、より観察可能で解釈可能であるかもしれない、と本論文では述べられています。
これは私見ですが、(本論文では述べられていません)パワーディスタンスが関係しているのかも、と思います。
100人の会社であればこの距離が組織(経営陣)とも近いので、組織(経営陣)に感じるかもしれないが、数十万人いる会社であれば、やはり上司なのではないかと。
これはちょっと気になるテーマ。

POINT3. 新しいテーマ~テレワーク、電子モニタリング、電子コミュニケーション~

テクノロジーは、従業員と同僚や組織を24時間つなぎ、コミュニケーションや交流のための新たな手段を導入する。そのため、テクノロジーは正義と公平性に関わる興味深い新たな問題を提示している、としています。

テレワーク>
ココでの正義の問題は・・・
・上司と従業員の間ではなく、テレワーカーと非テレワーカーとの間の分配的公正にかかわる

・電子的なコミュニケーションは、礼儀正しさ、タイムリーさ、率直さ、適切さが失われる可能性があり、対人的・情報的公正に関わる
テレワーカーと自宅オフィスとの間の空間的距離は、人間関係や仕事への期待に、より多くの不確実性が持ち込まれる。→公正性が問われる。

なお、これらの課題からテレワークでは対人的公正が非常に問われるのではないかという仮説も出ていたが、最近のメタアナリシスでは、テレワークが同僚や上司との関係の質に大きな悪影響を与えないことが分かった(Gajendran & Harrison 2007

<電子モニタリング>
どこからでも何でも見れる。逆に組織が監視することもできる。こうした状況は会社の方針にかかわらず、正義や公正さに関連する反応を引き起こす可能性が高い。

<同僚とのデジタルなつながり>
テクノロジーのおかげで社内だけでなくSNSや様々なツールで同僚とつながりやすくなった。会社の中の同僚だけでなく、プライベート、はたまた競合他社の情報までもより多くの情報を得られるようになった。
従業員が電子通信を利用して同僚や部外者に組織に関する意見を述べるようになると、対人正義の問題が特に顕著になる可能性がある。

感想

レビュー論文なので、結論らしい結論はないのですが、この最後の「テクノロジーと公正」というのは新しくて、これからもっと研究進むのではという期待。(あ、自分でやれ、という話も・・・)
あともう一つ、個人(利己的)モードから集団モードへ。私の修論でのティール組織を思い出しました。集団モードは自分を殺す、ということではなく、あくまで大きな力(集団)で大きな幸せを得ようということではないかと。目の前の利益だけ追っててもそうはならないんじゃないかな、と。

全体を通して最終的に感じるのは、人は感情の生き物、ということはやっぱり対人的公正が結局強く効くのか???
テクノロジーの活用で手続きや情報の可視化はしやすくなった。ということはより対人にフォーカスされるのかもしれない。

サポートしていただけると嬉しいです! ぴよぴよ社会人博士課程の学生ですが、Organization Justiceについて研究を進めています。また、理想だけでなく実務で壁となるGoing Concern(売上、利益)といった面も考えつつ・・・模索しています。