ベルリンの急激な変化。
今朝、ベルリンを拠点とする有名なライターの久保田友紀さんという方が、日本に本帰国する旨を発表していた。
私自身、2008年頃からベルリンに興味をもちはじめたきっかけのひとつが、久保田さんの本だった。
当時、主にヨーロッパのレーベルのミュージシャンやDJの日本でのPRを仕事にしていた私は、ことあるたびに彼らからベルリンがどれだけエキサイティングな場所か聞かされていた。
そんなベルリンの様々な住宅インテリアを紹介している本を久保田さんが執筆しており、その自由かつクリエイティブな空間に強く惹かれたものだ。
その久保田さんがベルリンを離れるというのは何だか感慨深い。
私がベルリンに引っ越すことを決意した2016年秋当時、久保田さんをはじめとして、ベルリンの魅力について発信するインフルエンサー的立場の方々が数名いた。
ところが今現在、この中で今もベルリンに留まっている人が、ほとんどいないのが現状だ。
ベルリンはもともと人の出入りが激しい都市。
世界中から自由都市ベルリンを目指して若者や夢ある人がやってくる。
ただし、思うように移住計画が進まず、数ヶ月〜数年で去る人も多い。
私も、当時は2020年の自分がベルリンでどんな生活をしているか、想像がつかなかったというのが本音だ。
私の場合は、ドイツ語の習得とドイツの生活になれること、そしてフリーランスのクライアント探しに明け暮れているうちに、あっという間に3年以上たってしまった。
今ふりかえってみて、当時自分が目標としていた「ドイツ企業の日本進出を手助けする架け橋になる」ことを達成できたのは、感慨深い。
さらに、最初はドイツ国外のクライアントからの収入の方が多かったが、今ではありがたいことにドイツ国内のクライアントの収入で生活が成り立っている。
同時に、3年以上経ってみて、ベルリンという街の変化ぶりに戸惑うことも多くなった。
2016年秋当時、ものすごくエキサイティングだと感じたベルリンの街が消えつつある気がするのだ。
それ以前から住んでいる人にすれば、街の様子の激変ぶりは計り知れないだろう。
例えば、ベルリンのアート業界では有名な、とあるロシア人アーティスト。彼はベルリンで40年以上活動している。
Wedding地区にスタジオと住居をかまえ、かつてはその両方で夜な夜なパーティーや文化的集いが開催され、ベルリンや時にはヨーロッパ中から個性豊かな人々が集う伝説的な場所となっていた。
彼のスタジオと住居がある建物内には、他にもたくさんのアーティストがスタジオや住居をかまえていた。
が、昨年からその建物の所有者が、高級ロフトへの改築計画を開始したために、その建物内のスタジオを借りていたアーティストほぼ全員が追い出されてしまったのだ。
上記のロシア人アーティストも、現在かろうじてスタジオだけは残しているが、住居はすでに移動済みだ。
だが、このスタジオの移転も、もはや時間の問題であるという。
ちなみに、この建物のすぐそばには、現在巨大なショッピングモールが建設中で、Edeka(ドイツの超大型スーパーマーケットチェーン)が入店するようだ。
先週は、現在クロイツベルク地区で進んでいる超高級マンション案件の話を聞いた。
なんと、一戸につき日本円でおよそ6000千万〜2
億3千万円で売り出されるという話だ。
しかも、現在ベルリンでは外国人および外資企業による不動産の購入を制限していないので、このような物件は決まって外国人の富裕層や企業に購入されることになる。
これに加えて、コロナ禍で様々なお店や、映画館、さらには私立の美術館まで閉館しつつある。
今後、ベルリンはどんな街になっていくのだろう。
久保田さんも仰っていたことなのだが、「街は生き物だから、変化するのは当たり前」。
街も、自分も、他の人もみんな常に変化する。
その変化の波の中で、自分の気持ちや欲求に素直に生きていけるか。
これは今後の大きな課題だ。
私も、正直いつまでベルリンにいるのかはわからない。
永住権も持っていないし、家庭を持っているわけでもないので、今のところずっと住める保証もないし、果たして一生ベルリンに住みたいのか考えたところで、そうではないとは言い切れる。
なるようにならなくなったら、もう直感で進むしかないのかもしれない。
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