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ゴッホの死の真相とフィクション

 今日はゴッホの死の真相について、想像の物語を書いてみることで迫ってみた。

 私は昔からゴッホ(本名フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ[1853-1890])の絵が好き。個人的には自然を描いたデッサンがいい。根気よく対象を追いかけているし、描く事に対する情熱、また自然や生命に対しての敬愛の念も感じる。

 ゴッホ は死ぬまでの約10年の間に油絵約860点、水彩画約150点、素描約1030点を世に残していて、有名な油絵の作品は最後の2年間に集中している。燃えるように絵を描き続け、最後には自身の精神の病に負けて炎が燃え尽きるように亡くなった。自分の胸にピストルで弾を打って自殺したというのが定説だけど、実はそうじゃなかったんじゃないかっていう説が、2011年にファン・ゴッホの伝記を刊行したスティーヴン・ネイフとグレゴリー・ホワイト・スミスによって出てきている。

 私は高校生の時に「ゴッホの手紙」(小林秀雄著)を読んだ。それを読んだ時に思ったのは、「ゴッホは病名もつけられないほどの強烈な自我を持っていて、自分でも制御不能だったんだ、自分の耳を切り落として友人に送りつけるような人なのだから、自分の命を奪うことなんて弾みでできてしまえたのだろう。」でも、ちょっと立ち止まって考えてみると、耳と命では全く重みが違う。耳がなくても音は聞こえるし、目は見えるし、絵は描ける。命がなければもう自然と触れ合ったり、絵を描くことなどできないのだ。


[注意!]ここからはゴッホの死後のお話について、残っている証拠を元に書いてみたもの。つまりフィクション(語り手はゴッホの弟のテオ)____________

 僕が兄の担当医だったガジェ先生から連絡をもらって病院に駆けつけた時には、兄はもう瀕死の状態だった。兄は朦朧とする意識の中で「このまま死んでゆけたらいいのだが」と言った。それが兄の最後の言葉になってしまった。2日後の1890年7月29日、兄は亡くなった。焼けるように暑い日だった。
 死因が死因だったこともあって、葬式は身内と兄と親しくしてくれていた画家の友人の数人でしめやかに行われた。棺に蓋をされるとき、兄の友人の1人が「彼は画家の中の画家だった。もっと評価されるべきだった。」と漏らした。

 僕は、兄の死を心から悲しんでいるのはガジェ先生と自分1人だけのように感じていた。僕の妻は僕の兄に対して理解のある人だったけれど、お金を送っている事を知られた時にはちょっとした口論になったし、兄とあまり話をしたことのない病院の先生や患者たちは、兄の死を狂人の自殺として扱った。いくら努力しても普通の職業につけず、人間関係もうまくいかず、自分の病気に苦しみながら絵を描き続けた兄のことを、天国に行けてよかった、と思う人はいても、僕のように惜しむ者はいなかった。 兄の絵は生前に一枚しか売れなかったが、死んだ後も一枚も貰い手がつかなかったため、僕が全て引き取る事になった。

 兄の胸の傷は、左乳首の下から心臓の下部にまで達していた。その傷の弾の入射角度は、自分の手で撃ったにしては不自然な方向を向いおり、その深さも遠距離から放つ事で至る深さだった。それでも、僕とガジェ先生は自分でやったのだ、と言った兄の言葉を信じた。それが兄の願いでもあったからだ。ガシェ先生は、兄の第一発見者は近くで遊んでいた少年たちだったという。兄は、誰と付き合うにも(僕とでさえ)問題が絶えない性格ではあったけど、根は優しさに溢れた人間だった。僕に息子ができた時には、自分のことのように喜んで「花咲くアーモンドの木の枝」の絵を描いて送ってくれたし、どんなに社会的に劣った者、例えば浮浪者や娼婦にも優しく接する姿は、イエス・キリストのようにも見えた。

 僕は兄の死を無駄にしたくなかった。すぐに、兄の回顧展をしようと心に誓った。そのことで友人で画商のポールに協力を求めたけど、兄の生前の奇行と自殺についての変な噂を聞いたみたいで、断られてしまった。その後いくつかの画廊を回ったけれど、どこも扱ってくれなかった。何としても9月中には展示をしたかった僕は、自宅の一室を展示スペースにして開放する事に決めた。


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ここまでで想像のお話は終了。


 ゴッホ の回顧展は実際にテオの自宅で1890年9月22日から24日まで2日間にわたって行われた。
展示が終了後、弟テオは突然の心臓発作に倒れ、入院する。展示作業が行われていた頃にも、テオはめまいがするなどの体調不良を訴えていたそうだ。10月14日、精神病院で麻痺性痴呆(脳に梅毒が至り、痴呆を引き起こす)と診断される。それから約3ヶ月後の1891年1月25日(兄のゴッホの死から約5ヶ月後)弟のテオは兄の後を追うように亡くなってしまう。テオは元々梅毒を患っていたけど、兄が死んだ事による悲しみと孤独がテオのこの世に生きる気力を急激に削いでいったのではないかと考えられている。

 その構図は何となく、「グレートギャッツビー」(F・スコット・フィッツジェラルド著)の小説を思わせるな。(バズ・ラーマン監督の映画、「グレート・ギャッツビー」では、冒頭、ギャッツビーの死によって主人公のニックが精神的に深い傷を負ってしまい、精神病院の先生にその物語を語り出すところから始まる。)


本「ゴッホの手紙」角川文庫 小林秀雄著

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