ガラス張りのドーナツショップでの彼を思い出す。

2018年のデニス・テンとジャン=フランソワ・バレスティコーチ、そして、2020年のクリス・リードの逝去は、私にとって、大きな大きな衝撃となった。

3人とも何度も直接インタビューをしたことがあり、会場ですれ違ったりするときには、挨拶を交わす間柄だったこともある。なかでもクリスは、日本の選手で顔を合わせる機会も多かったから、ショックが大きい。まだ、精神的に立ち尽くしたまま、な感覚でいる。

続々とSNSにアップされるスケートコミュニティの面々からのコメントを読むたびに、胸が痛み、さまざまなことが思い出される。

クリスというと、真っ先に思い出す演技は、2013年ネーベルホルン杯フリー。半年ほど前の世界選手権で、あと少しのところでソチ五輪出場枠を手にできなかった。それを獲得するために出場した大会のフリーだ。

なにがあっても結果を出さねばならないこの大会の1か月前に、クリスは怪我を負う。キャシーにはその怪我の全貌は伝えなかったというほどの、大きな怪我。
そうして臨んだフリーの演技中、クリスは「痛い、痛い」と声に出していたそう。そうやってつかんだソチ五輪出場だった。

そのあたりのことは、以下のインタビューに詳しいので、ぜひ。


村元さんとのカップルも素敵だった。そしてカップル解消後、もう少し競技を続けたいのかもしれないなという時期を越え、少しずつ指導シーンでの活躍が目立ってきて、これからは指導側としていこうと決めたところだったんだと思う。最新のブログエントリーからも、そんな思いがうかがえる。


いくつか、個人的な思い出を。

2010年、五輪期間中のバンクーバーの、混みあうグランビルアイランドの橋の下ですれ違ったとき、「ハーイ、来てたの? 楽しんで」と声を掛けられたのが、クリスとの初めての個人的なやり取りだった。それからは、試合やショーの会場で会うといつも「こんにちは。元気?」と笑顔を見せてくれた。

2017年春、東大和のドーナツショップでの、囲み取材のような、インタビューのようなときのことも忘れられない。
じゃあそろそろ取材終了で、と記者たちが席を立ったときのこと。手をつけられないでいたドーナツを急いで食べ始めた私を見ると、「慌てなくていいよ。僕もコーヒーおかわりしようかな」と言ってくれたクリス。
私がドーナツを食べ終えるまで、それからの予定などを話してくれた、なんということのなかった、あのガラス張りの店内の、晴れた午後を思い出す。

2018年の平昌五輪でのインタビューでは、村元さんとのカップルになって初めて、試合の演技中に彼女に声をかけた、ということも教えてくれた。フリーの、ダイアゴナルステップシークエンス前に、「やってやろう、一緒に!」と言ったという。とてもいい演技だった。

その平昌でのインタビュー終わりに、「仕事、がんばってね」と声をかけてくれたことも覚えている。スケーターにがんばってと言われるなんて、なんだか可笑しいなと思った。あのインタビューが、直接会った最後だったように思う。

日本のアイスダンス界の夜明け直前の時期に、長く、本当に長くがんばる姿を見せてきたくれたクリス。そのがんばりには到底及ばないと思うけれど、仕事、がんばります。

どうぞ、安らかに。
素晴らしい日々を、ありがとう。

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