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日常の中で修行せよ

5時起床。あちこちの窓を開け換気をし、外の景色を見て『今日も最高の1日になる』と口にする。前の晩にタイマーでセットして出来上がっていた洗濯物を干す。自宅のどこか1〜2箇所を掃除してから(毎朝別の場所を掃除する)、1時間程度運動をする。

運動内容はその日によって異なる。店でやるならばプライオメトリクス系やステップボックス(とんだり跳ねたり系)を使ったもの、体感トレーニング。自宅であれば下半身(スクワット、ランジ系)か、ダンベルで胸、腕、肩。
一連のto doが終わったら流していた音楽を消して無音の中で仕事の準備にかかる。朝ごはんを食べ、持参する昼ごはんの準備をし、出勤の身支度。

9時から18時頃まで仕事。18時半帰宅、19時過ぎまでに夕食を終える。ダラける前に食器をとっとと洗い、20時まで読書タイム。(新しいジャンルの小説に挑戦したいとは思いつつも、気がつけば手に取っているのは大抵お気に入り著者数名の本になる)20時過ぎに風呂に入り、21時半までにはベッドイン。ベッドで3分間瞑想。就寝。



自分にとって心身ともに快適な生活スタイルにやっと辿り着いた。ここに辿り着くまで丸4年かかった。最も効果的だったのは「睡眠時間を1日の最重要事項に設定」したことである。仕上げは『今日も最高の1日になる』と朝一で言葉にすること。必ず朝にどこか掃除をすること、寝る直前の3分間の瞑想。今までの人生で今が一番整っている。お金が潤沢にあるわけでも(我ながら本気で心配になるくらい貯金は無い)、誰もが憧れる外見の美しさを持っているわけでもない。が、今の自分の状態は過去最高だろうと思う。生活も心も身体も、適度な緊張と何かあっても対応できる心の余裕と感情に振り回されない精神の軸。お寺のお坊さんが毎朝起きて掃除をし、勤行し、食事を作り、祈る。これに近いものがあるというか、実際、自ら寄せにいっている気がする。
修行は山でなくともよい。日々の生活の中でできる。


生きていく上で必要な当たり前のことを最優先事項に設定すると、「それ以外」のことを可能な限り省く必要が出てくる。だが、今やこの世はほぼ「それ以外」に占められている。持ち時間は1日24時間と全人類決まっていて、5〜8時間は寝ている。残りの19〜16時間を起きて現実世界を過ごすわけだが、実際はもっと少ない。この画面の世界に滞在するからだ。画面を覗いている間、私達は現実の世界にいない。1日3時間画面を見ていてば、3時間は現実を生きていない。世界が時間に追われているのは仕事が忙しいからだけではなく、半分仮想(ネット)の世界に生きているからである。また、子供の世話や親の介護がある場合もある。イレギュラーなものにはもちろんイレギュラーな対応をする必要がある。
しかしながらまず。何よりもまず、自分の生活スタイルをコントロールするために自分の持ち時間の時間配分を《正確に把握する》必要がある。
そして次に《やることの優先順位をつける》ではなく、
その前に《やらないことを決める》。



私の自宅にはテレビが無いのでテレビを見る時間はない。
服は1着買ったら1着捨てて増やさない。
平日の朝食と昼食の2食は完全固定し日々考えない。
(夕食もタンパク質の種類、味噌汁の中身、野菜の内容が変わるだけで雛形は固定)
休日は月に人と会う回数の上限を設けて予定を埋めない。
夜の外食をほとんどしない。


日々の《選択する回数を減らす》ことは心のブレる回数を減らすことと選んでいる時間の省略に繋がる。選択肢はあればあるほど体感的に自由度が増すわけではない。選ぶ事に労力を注がなければならず、面倒が増える割に得るものは対して差がない。やらないことは徹底的にやらない。そのために全力を注ぐ。どんな手段や工夫をしてもやらない方向にもっていく。ねじ伏せる。
そして、やりたいことを徹底的にやる。


日々はこんな感じでも、人と会う時はこのルーティンから完全に外れる。
ルーティンから外れることを嫌だと思わない。むしろ面白おかしく興味深く体験する。
自分の世界を構築して安心の中で生きることはものすごく居心地がいい。だが、同じリズムが永遠と続けば、辿り着く先は《退屈》だ。安心は退屈と同義だ。自分の中で完結してそこに定住してしまうと、気がつくと充実感は消えている。《当たり前》だ。他人と共有する時間。交わす言葉や感情。思いのズレ。部屋に一人でいても自分の姿はわからない。外を歩いて、窓に映った自分を見て初めて、自分がどんな人間なのかを知る。つまづいて転んで、何かにぶつかって初めて痛みを知る。自分一人でしか出来ないことと他者がいなければ出来ないことがある。どちらも必要だ。
だが、もし自分の弱さや自信のなさと本気で勝負するなら、自信がなくてフニャフニャする自分とガチンコで向かい合っておさらばしたいなら、自分の状態を快適に保つことに全集中するべきだと思う。自分を総動員して事に当たらなければならない。もうちょっと落ち着いてからとか余裕が出来てからとか言ってる場合ではない。余裕がないまま今まで生きてきたのだから、このまま生きても余裕は永遠に出ない。なるはやで諦めた方が良い。


それ以前とそれ以降に人格が変わるくらいの覚悟を持って。
今までの生き方、思考、生活パターンの一部、または全てを捨てる覚悟を持って。
何かを得るには、先に失う必要がある。そしてそれは大抵、自分が最も失いたくないものだ。そこに自分の怖れが繋がっている。


朝起きる。
『今日も最高の1日になる』と口にして、耳に聞かせる。


さあ、自分が生きる世界を自分で作るのだ。


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