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「人生に意味がある」とは思わない

最近は体調がすぐれず、ブレーキをかけながら日々を過ごしている。キッカケはヒノキ花粉の全盛期と女性週間前のホルモンバランスの乱れ全盛期が重なったこと、それに加えて、季節の変わり目である気温のアップダウンのトリプルアタックで身体の免疫がグデングデンに落ちたからだろうと思う。倦怠感と頭痛が半端ない。朝は何とか保てても、1日の後半、疲れてくると思考がまるで停止する。先日学校に行く日に時間潰しに入ったコメダ珈琲で文字通り気絶した。胃の気持ち悪さと怠さで動くことができず、1時間半も店の中で突っ伏してしまった。気づいたら出発時間だった。結果、学校を休み、睡眠時間をしっかり取ることにした。少し回復したが、しばらくアクセルベタ踏みはできなさそうな気配である。まだまだ無敵には程遠い。


私はブレーキを搭載していないアクセルオンリー人間なので、時より身体のほうからこんな感じでストップをかけてくる。動くな、今は動くでない、と。とにかくジッと出来ないから強制的にコナンくんの放つ麻酔針の如く突然気絶させられる。前回の投稿で休むのは棺桶に入る時でいい、などと偉そうにのたまったが、実際はこんなもんだ。どんなに強気なことを言い切っていても、自分にその気がどれだけあっても、身体や何らかの理由でうまく進めない時もある。きっと30代前半の私であればそれがフラストレーションになり、モヤモヤを溜めていただろう。どうしようもないと分かってはいても、不機嫌なオーラを出していたかもしれない。だが、今は違う。来年2回目のハタチを控えたオトナの私は今までと一味違う。(※ブレーキの代替え案は一応検討中)


どんなことでも、全てはその人の人生にとってのベストタイミングで進んでいる。急激に進む時も、なかなか前に進んでいる感覚がない時でも、この世のものは全てひと所に留まることはあり得ない。冬の間に全く動きのない観葉植物たちが春が来るたび一斉に新緑の葉を広げるように、それぞれが色とりどりの花を咲かせるように、動きの無いように見えるものは魅せる機会をうかがっている。最も美しく鮮やかに、自分が輝く姿をお披露目するのに相応しい時期が来るのを待っている。そのためにはエネルギーをしっかり溜めておかなければならない。外側を飾り立てた蕾が開いた時、中がすっからかんでは、咲いてみたところで空虚を晒すだけだ。



華やかなシーズンが自分の思うタイミングで来るとは限らない。
大抵の場合、それは自分が想像していたものとは違うシュチュエーションや形やタイミングでやってくる。さらに、どっから見ても絶体絶命のピンチに見える場合もあるし、残念ながら上手くタイミングを掴めない人生だってある。でも、きっとそれでいいのだろう、と思う。思い通りに行くだけが人生ではないだろう。私は今美容師を20年やってきて、幸運にもサロンが持てたし、信頼できる相方がいて、次のステップに進もうとトレーナー学校に通っている。ここまでだけでも、十分に素晴らしい人生だったと言える。さらに、自分が思い描くこれからの大きな未来設定ではスタジオ&パーソナルトレーニングができるジムも運営していて、飲食店もしたい。美容サロンで外見を磨き、ジムで心と身体を鍛え、食事で体内の環境を整える。これが私が今回の人生で仕事として取り組んでいきたいことの大枠だ。だが、いつどこで自分の命が果てるかはわからない。不慮の事故で死ぬ可能性はいつだってある。




はたして、志半ばで夢を形にできずに終わった人生は虚しいだろうか。幸運にも好きな人と結婚したのに子供を持たない人生は生きている意味がないだろうか。女として生まれてきたのに妊娠を望まない人生はおかしいだろうか。男として生まれてきたからには高学歴の高収入でなければ情けないだろうか。清く正しく美しい家庭を築くことが万人の幸せだろうか。その【理想的な幸福】は果たして【幸福】なのか。人生の幸福を決めるのは誰なのか。周りの友達?親?会社?国?そんなわけないだろう。



自分の人生をどう生きるかを決めるのは自分しかいない。幸せを模索して生きるのか、与えられた不幸に沈み続けて生きるのか選択し続けることが生きることだ。自分の人生に起こりうる全ての責任を自分で背負う覚悟を持って生きることが人生を生き切ることだ。
「人生に意味がある」とは思わない。意味づけをするのもしないのも、全て自由だ。夢を持つも持たないも全て自由だ。幸福に見える不幸を選ぶことも、不幸に見える幸福に気づかないことも、全てが自由だ。


Change the World.
Life is Wonderful.







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