見出し画像

君は美しい(第十三夜)

※最初から読みたい方はこちら

「僕たちは、結婚できないの?」

ネスティの目の色が、はっきりと変わった。

「どうして?」

みるみると、彼の空気が悲しみに染まっていく。

(しまった)

つまらないウソをついてしまった。
少しだけ彼をいじめたいと思った気持ちが、すぐさま後悔に変わる。

ネスティはこんなにも素直に、私の言葉を聞いてくれるのに。

「ノリコ、もしかして日本に恋人がいるの…?」

地を這うような低い声。
答えを聞きたくないかのように視線を伏せる彼を見て、思わず言った。

「いいえ、ちがうの。ごめんなさい、冗談だったの。日本でも結婚できるのよ、外国人と」

きっと怒られると思った。
それぐらい、ネスティの瞳は暗く沈んでしまっていたから。

「本当?」

「うん、本当。ごめんなさい、私…」

「よかった」

シーツの上から、力強く抱きしめられる。

「ノリコと、ずっと一緒にいたい。だから、よかった」

そんな風に言われて、ちょっと泣きそうになった。

「私も、一緒にいたい…」

「愛してる」

不意打ちの言葉に、おどろいて彼の顔をまじまじと見てしまう。

ネスティはそんな私をまっすぐに見つめ、もう一度言った。

「すごく愛してる、ノリコ」

「……」

勝手に、鼻の奥がツンとして、涙が出そうになる。

愛してる、なんて、軽々しく言う男は信用できない。

でも彼が本気で言っていることは、その目を見ればわかった。

(私も…)

そう言いかけて、ふと思いついた。

「…その言葉、スペイン語でなんて言うの?」

彼の言葉で、直接伝えたい。

ネスティは少し黙ったあと、ゆっくりと言った。

「テ キエロ」

(テ キエロ)

口調を真似て、私もゆっくりと、言う。

「テ キエロ、ネスティ」

ネスティは瞳だけで優しく微笑えみ、こう答えた。

「ジョ タンビエン テ キエロ、ノリコ」

言葉がわからなくても、何を言ったのか、その表情でわかった。

(僕も愛してる、ノリコ)

そのまま優しいキスをして、それがだんだん熱くなって……

その夜は、何度体を重ねたかわからない。

アルコールの匂いと、幾度も囁かれる「愛してる」という言葉に酔い、乱れ、まったく疲れを感じないまま、気が付けば窓の外が白みはじめていた。

シーツも体も髪の毛も 、ぜんぶべとべとになっている。

「シャワー、浴びるね…」

そのまま眠る気にはなれなくて、隣で目を閉じているネスティに声をかけるとバスルームへ入った。

酔いが醒めかけた頭に、冷たいシャワーが気持ちいい。

石鹸がないので、手のひらで体をごしごしとこすった。ものすごく激しく乱れたせいで、体のいろんな場所にいろんなものが付いている。

タオルを巻いてバスルームを出ると、ネスティが立ち上がっていた。

「僕もシャワーを浴びるよ」

そう言って、入れ替わりにドアの中に消えた。

(めずらしい)

彼はいつもシャワーを浴びないのに。
さすがに今日は、ハメを外しすぎたのだろう。

ベッドの端に腰かけ、体を念入りにふく。
床に散らばった下着と服を集めて身につけた。

ふと、テーブルの上のカバンが目に入った。

(あそこに置いたかな…)

酔っていたので、カバンを置いた記憶がない。

なんとなく、胸がざわついた。

(ちょっと、見るだけ)

自分に言い聞かせながら、そっと手を伸ばす。

無意識に耳を澄ませて、彼がまだシャワー中なのを確認しながら。

自分のカバンを開けるのに、なぜだか手が震えた。

サイフを取り出し、中を見る。お金はちゃんと入っていた。

(なんだ…)

ホッとして、サイフを閉じようとしたとき、違和感に気づいた。

(カードがない)

1枚だけ入れておいたクレジットカードが、ない。もちろんカバンの中にも。

(勝手に落ちるわけがない)

頭の中に、今朝のヒロミのメールから、さっきの甘い時間までが、一気にかけ抜けた。

(……)

両目をしっかり見開いているのに、視界は真っ暗だ。

どのぐらいそうやって立っていただろう。

バスルームのドアが開く音で、ハッと顔を上げた。

「ノリコ?」

バスタオルを腰に巻いたネスティが立っている。

「どうしたの?」

頭が真っ白で、なんて答えていいかわからない。

「ないの」

考えるより先に、声が出ていた。

「クレジットカードが、ないのよ」

ネスティの表情は暗くて、はっきりと読み取れない。

「あなた、知らない?」

重たい沈黙が流れた。


※第十四夜につづく

※最初から読みたい方はこちら

応援していただけると嬉しいです。