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独学で服作りしている私のこと④〜転機〜

ヤフオクからcreemaという画期的なハンドメイド販売サイトの出現により一層やる気が出た私。


当時は子ども服のみ作っていたのだが、屋号名はWatotoでした。
意味はスワヒリ語で「子どもたち」。
自分の作った服は我が子のようであったし、子どもたちが生まれたことによって始まった服作りだったので。
なんでスワヒリ語かというと、当時ハマっていたアフリカ生地カンガに記されていて、あ、これいいじゃん。といった軽いノリ。


こうしてWatotoとしてインターネット販売を開始。
当初は転勤によって離れた友人がエールを送るかのごとくお買い物してくれたり、温かいサポートによって少ーしずつ売上を獲得。


子ども達が幼稚園に入園すると帰ってくるまで終始手芸屋で生地選びの日々。
食べ物も美味しい観光地に転勤してきたにもかかわらず、ひたすら生地屋に通う日々が二年近く続いた。


そんな手芸熱をご近所のおばちゃんに話したら、地域のマルシェに出てみないかと声をかけてくれた。
地区センターで開かれた小さなバザーだったが、手売りは初めてだったので徹夜して準備した。
見ず知らずのお客さんのもとにはお嫁に行かなかったけれど、子どもの幼稚園のお母さん方が買ってくれたときの感動は今でも忘れられない。
そして偶然にも同じ幼稚園の美人だなあと思っていたお母さんが天然石アクセサリーを作って出店していた。
即意気投合。同志を見つけたような気持ちになりますます服作りに力が入った。その後彼女とは一緒にマルシェ出店をするようになる。

と同時に家の中が凄まじい勢いで散らかっていった。

家事や育児がおろそかになると一日の生活サイクルが安定しなくなるのか、要領が悪くなるのか、製作時間も減る事に気が付き、ルーティンは決めることに。
毎日ヘトヘトだったけど服を作り続け、マルシェに出店する回数を増やしていった。
マルシェではなかなか子ども服の需要がなく、自分のデザインに対してお客さんから「これの大人服ないの?」と言われることが多く、徐々に大人服やおそろいの服が増えていった。大人服を小さくしたような渋めで少ーしエスニックな雰囲気の子ども服が好きだったのだ。
大人服が増えるとなると試着スペースが欲しくなった。
当時のわたしはマルシェ以外知らず、売る場所で悩むように。

そんなときマルシェ仲間の一人から、ギャラリーでのグループ展に誘われた。

そのグループ展は私のターニングポイントになった。


主催者はそのマルシェ仲間ともうひとり。主催者それぞれがセレクトした作家が集まったのだが、その時にその知り合いではなかった主催者の方が、いわゆる”ハンドメイド作家”ではなく、職人さんである工芸作家さんや、アーティストさんを集めてきた。
こうしてアーティストや職人たちと知り合った。


彼らのものづくりを目の当たりにし、自分の活動がとても恥ずかしくなった。今思うと場違い以外の何物でもない。
それと同時に、こんな活動の仕方もあるのか!!
とわたしに稲妻が落ちた。


自分のやりたいことや作りたいものを明確にし、売り方もギャラリーなどを自分で借りたり、コネクションを作ってグループ展に声をかけてもらったり、雑貨屋さんに委託したり。。。
仕事や売る場所を自分で作っていくというスタンスはわたしにはまったくなかったし、服を通して伝えたいことをいうものもわからずいた。
自分が作りたいという行動への情熱とか自分の軌跡を残すとかプロセスに対する想いはあっても、服そのものに対しての想いというものはまったくなかった。


ただただ洋裁という行為に没頭してその延長上に売るということがついてきたような私は打ちのめされたような気持ちになった。
自分はんな服が好きで、どんな服を作りたいのか
どんな空間で売りたいのか
そんなこともわからず販売をしていたのが改めて恥ずかしいのだが、そのときのわたしはそれ全力だったのだろう。

けれど、真剣にものづくりしている人ってなぜでしょう?
情熱しかない私の服に、
「一生懸命パターンひいいて作ったんだからもっとしっかり値段つけなきゃだめだよ!あ、私も値段つけるの苦手なんだけどね。笑」
と叱咤激励をしてくれたり、とっても素敵だと言ってくれたり。皆謙虚で低姿勢で互いに応援のエールを送り合う人ばかり。
現在も同じことを思います。素敵な作品作る人はその人自身も素敵。


グループ展でたくさんの気づきを得、その後は決まっていたマルシェには出店しながらも、借りられる空間がないか探し始めた。
この頃はアイフォンやらSNSやらが普及しそういった情報も集めやすくなっていた。

そんなある日、素敵だなと思っていたフェアトレードの雑貨屋さんが閉店することを知り、什器などを販売するという情報を目にしたのもあり最後に買い物をしようと行ってみた。
店主と少し話しトルソーを格安でゲット。帰ろうとしたその時、
「新しい仕事の関係で店は年内で閉店にするけど、テナントの契約期間はしばらく続いてて、もったいないから個展をやる人を募集してるんだよね」
と言われた。
我が耳を疑った。
個展・・・・・
て何するの???
わからないけれど口が勝手にやりますと放ちその場を去った。


いきなり決まった個展まで2ヶ月半だったと思う。


とにかくやってみるという見切り発車精神で個展を決めたのでした。


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