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野望高き天才ダンサー ルドルフ ヌレエフへの考察、犠牲の上の自由とは

ウクライナ出身の男性バレエダンサー、ルドルフ ヌレエフ(1938-1993)
父親の赴任先へ向かう途中のシベリア鉄道の車両内で生まれた。生まれた時からすでにドラマチックなエピソードを持つ彼はいろいろな意味で伝説的なダンサーで、現代ずば抜けているダンサーがいるとすれば、ヌレエフの再来と比喩されるほどの人物だ。

生まれ持ってのアーティスト気質、激しい性格と反抗的な態度。
思うのだけど、反抗的であるってことは、自分が信じるのもがはっきりしていて、それをおびやかす何かに対して常に疑問や怒りがあって、それって自分自身を表現するために、すごく大事なことだと思う。
良い子ちゃんで素晴らしいアーティストもたくさんいると思うけど、自然に湧き出る怒れる反抗心はアーティストとしてかなりのアドバンテージだと思う。それがクリエーションのエネルギーとなれば最大の武器で、強いメッセージにもなるからだ。コムデギャルソンの川久保玲氏もそんなようなことを言っていた。ただ怒ってるだけだったら、とりあえずそれは身内で居酒屋とかで完結させていただきたいのだけど。

彼の人生で大きな転機だったのは23歳の時パリでの公演後、政治的理由でフランスに亡命したこと。この、亡命っていう言葉って、現代に暮らして、特に日本(島国)に住んでいると、いったいどれだけのものなのか想像出来かねるのだけど、ヨーロッパに住んでいると、移民問題っていうのは日常茶飯事で、その亡命の言葉の裏に潜んでいる事実って、国や家族を捨てるということに直結する。
結構前だけど国際的にニュースになって覚えているのは、2013年にアメリカ人の国家安全保安局のエドワードスノーデンが、アメリカ合衆国を含む全世界でのインターネット、電話回線の傍受という当時の政府の違法行為を内部告発をして亡命中。現在はロシアで国籍取得中だという。スノーデンは正当な行為をしたのに、自分の国を敵にまわしてしまった。。。

脱線したけど、とにかく亡命という行為の背景には計り知れない覚悟が必要なのである。
23歳のヌレエフはフランスでの遠征公演中に、ただただ純粋な向上心や好奇心から、現地のダンサーや関係者とコミュニケーションを積極的にはかったり、インスピレーションを得ようと街を勝手に出歩いたりするんだけど、当時の情勢では、公演に同行していたソ連国家保安委員の目には、彼はただただ“反逆者”として映ってしまう。
そんな若き青年は投獄を恐れて、ただただ自由に踊ること一心に願い、亡命の意思を伝えたのだった。たった23歳で。。。

ヌレエフの人生を追った映画やドキュメンタリーはいくつかあるのだけど、
この亡命劇を中心に若き日の彼をえがいたのが『White Crow』
白いカラスという訳で、類い稀なるものとか、はぐれものっていう意味らしい。

劇中印象的だったのが、
『踊るにはストーリーを語らなくては。
技術は手段にすぎない。』
というメッセージ。
バレエ業界に限らず言えることで、
技術を最大限習得するのも才能だけど、
どう表現するかは技術一辺倒ではオリジナルではない。
ストーリーは自分で語らなくては。
ヌレエフのオリジナリティはたくさんの犠牲があってのストーリーで、
だからこそ孤高で、
生家を持たないシベリア鉄道生まれの彼一人しか語れない物語だった。

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