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ヴォイニッチ手稿とわたしのジャーナルへの考察、ロマンだけじゃ真理は伝わらない


#ヴォイニッチマニスクリプト  
まず初めにヴォイニッチとは、ものすごく簡単にいうと、1912年にイタリアで発見された、誰も解読出来ない謎の言語と意味深でかなり絵心のある挿絵(主に架空の植物とか裸の女性やら天体図)で構成された大昔の誰かのジャーナル。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ヴォイニッチ手稿
このご時世、誰にも解らない言葉?!
なにそれ、絶大なロマン!!

Google translateにかければ、大概の言葉は翻訳出来るし(驚きの翻訳物語がつむぎ出されることもあるけど)、ハイキング中に偶然見かけた不思議な植物の写真をアプリで検索すれば、名前と自生地を教えてくれる、なんとも便利な時代。

エジプトの壁画やナスカの地上絵もなかなかのロマンだけど、それらは多分大人数でやり遂げた大規模な共同事業であることに対して、このヴォイニッチの凄いところは、誰かものすごくマニアックな個人がやってのけた(とされている...)、かなりの変態要素が詰まった壮大な作品であること。天才と変態は紙一重。誰のために、なんのために描いたのかは全く謎だけど、この人はこれを制作しているとき、とても楽しんで、なんならニヤニヤしながら描いていたことだろう。
共通するのは、エジプト壁画もナスカの地上絵もヴォイニッチも、当時の作者はまさか現代人がこんなにも解読に翻弄されているなんて予想もしなかったこと。。。

伝えたい事が山ほどある、だけど大切なのは、その前に自分の頭の中を整理すること。
想像を掻き立てられる、ミステリー要素たっぷりの暗号を解読するのも、“研究”するなら夢があるけれど、それは一方的なメッセージでむしろ受け手に向けた挑戦状であり、その謎が解ける頃には当の発信者は、その真理なんでもうどうでも良くなってるくらいの時差が生じているだろう。
むやみやたらなアウトプットは発信者自身が支離滅裂だと、受け止める側も混乱する。それから、無意識のうちに言葉がナイフになってしまう時だってある。

わたしにとってここは、自分の考えをまとめるアウトプットの場所。誰が見ているかも分からないけれど、だからこそランダムに言葉を乱立させないように、丁寧に選んでいく作業。
コンセプトは、心で思ったことと自分が発する言葉のズレを一ミリでも少なくしていくこと。
文章にすることで、頭の中は整理され、こころと言葉がつながっていく。
日本語がわからないわたしの現地の友人たちにとって、まさにこのnoteは挿絵の無いヴォイニッチ状態ではあるけれど。。。

こころで大事に育てた言葉の種が頭のなかで芽を出して、大切な人たちに花となって届きますように。

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