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「行きつけのお店」に憧れていた

昔の私は、「行きつけのお店」というものに憧れていた。

実家を出て一人暮らしをすることになったとき、どんな雰囲気の部屋にしようかとインテリアショップをわくわく巡った。それと同時に、これから引っ越す街にはどんなお店があるのかネットで調べ、何度も何度も繰り返し歩いた。
行きつけのお店をつくりたいと、強く思っていたからだ。

仕事終わりに、はたまた休日の昼下がりに、それとも早起きした朝に、?
扉を開けるとマスターが「やあ、いらっしゃい」と声を掛けてくれて、先客たちとも笑顔で挨拶と世間話を交わす。
そんな行きつけの店を持つひとり暮らし生活を夢見ていた。

ケーキの美味しいカフェ、入るのにちょっと勇気がいるおしゃれなバー、わいわい明るい笑い声溢れる飲み屋、カフェスペースのある雑貨店。

住むと決めた街にはいろんなお店があって、実際に行って気に入ったお店も、通りかかった時に良さそうだったから今度行くぞと思っていたお店もあったけれど、結局そのどれもが憧れていた「行きつけのお店」にはならなかった。

私が、ただただ時間に追われる日々を過ごしてしまったからだ。
平日は遅くまで仕事をして、一目散に帰ってきては布団に潜り込み、当然朝も早起きなんてできるわけもなく一分でも長く惰眠を貪る毎日。
休日も予定に間に合う時間まで家でゴロゴロしていた。

「行きつけのお店」というのは、お店に行かなければ行きつけにはならない。当たり前だ。行かない私に、行きつけのお店などできるわけもない。

その後、私は就業環境を変え、住む場所を変えた。

初めて一人暮らしをした街が嫌だったわけじゃない。
前述したように、素敵なお店もたくさんあった。でもどうしてか最後まで「その街自体」が好きになれなかった。

通勤に便利な路線の駅で、遅い帰りの時間までお店が開いていて、人通りがあるところ。
利便性を重視してエリアを選び、「自分が好き(になれそう)な街かどうか」を考えていなかったのだ。

結果、思いっきり繁華街と言えるところに住んでいた。
遅い時間まで店が開いてることで何時に帰っても大勢の人が歩いていて、誰もいない道は真っ暗で怖いということもなかった代わりに、いつでも騒がしかったし、3日に一回は駅で割と激しいケンカが起こるような場所だった。

予定がなくても家から出ようとあまり思えなかった理由はたぶんそこにあったような気がする。

次に選んだ街は、東京の下町エリア。
昔ながらの穏やかな雰囲気漂う喫茶店や美味しそうな和食屋さんがあって、季節の行事として行うお祭りやイベントが楽しそう。背の高い建物がなくて、空が広い。
街を歩くたびに、ああ好きだなあと実感し、そうして決めた。

気持ち新たに第二のひとり暮らしを始めた私は、この街で「行きつけのお店」ができる。

駅から家までのいつもの道のりを、気まぐれで横道に入ったことでそのお店と出会えた。
店先には柔らかいオレンジの照明が灯り、オープンしたばかりなのか胡蝶蘭が置かれてる。小料理屋のようなそのお店を「なんとなく良さそう」と思って扉を開けた。

ごはんが美味しくて、旬に合わせたメニューがあって、店主が明るく優しくて、心地よい雰囲気に包まれてる。
街を気に入ったときと同じように、そのお店を好きだなあとじんわり思った。

そのお店によく行くようになって1年くらいが経った。店主や他のお客さんと会話をかわしたり、私の食の好みも知られていたりする。
これはもう「行きつけのお店」と言っても良い、はずだ。

初めて行った日からそのお店が大好きになったのだけど、「ここを行きつけにしよう」と思って通ったわけじゃない。ただ自分の気持ちがそのお店に引き寄せられるだけだ。今日は嬉しいことがあったから、あのお店で美味しいごはんを食べてちょっと飲んで帰ろうかな、というような感じで自然と足が向く。

「行きつけのお店にしたいから通わねば」という意識は一切なかったなと思い返して気づいた。あの場所が好きだから、行っていただけだったのだ。

好きになった街で、好きだと思ったところに、心が向いたときに行く。ゆるゆる心がほぐれる居場所がある。それってなんだか幸せだなあと思う。

今まで「行きつけのお店がある自分」はなんだかかっこいいと漠然と思っていたけれど、実際は帰宅する前に少し安らぎに寄れる場所がほしかっただけなのかもしれない。

こんな風に自然に、大好きになるお店にまた出会えますように。

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