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無料から始める歌モノDTM(第14回)【作詞編②コンセプト(作詞のハードル)】

はじめに

はじめまして方ははじめまして。ご存知の方はいらっしゃいませ。
ノートPCとフリー(無料)ツールで歌モノDTM曲を制作しております、

金田ひとみ

と申します。

本業やらに追われて間が空いてしまいました。
さて、今回は前々回より新しい区切りとして始めた【作詞編】の2回目です。【作曲編】の流れと同様、コンセプトの話を書いていきます。

【作曲編】から読んでいただいている方には「また遠回りだなぁ」と思われ、最近読み始めていただいた方には「なんつー長い記事を書くんじゃい」と思われているかもしれません。
でも遠回りで長いといっても、私がDTMを始めて現在までの約17~8ヶ月で考えたり気づいたりしたことをまとめていっている程度のものです。
学生時代にバンドをかじっていたとはいえ、その頃はそんなに深く考えていませんでしたし今ほどネットもDTMも普及しておらず、作詞作曲入門などもごく最近まで読んだこともありませんでした。
その代わりギターの弾き語りはジャンル問わずかなりやっていました。
そしてDTMを始めてからは、気になる曲や参考曲はとことん聴き込んでいます。地味〜な積み重ねです。

あと、内容が初心者向けじゃない!(泣)とのお声もいただきますが、自己紹介回からご説明の通り理論的・技術的な事には最低限しか触れません。
書籍を買ったり教室に通ったりしなくても、今の時代ありがたいことにネットで調べたら大抵の基本的なことは出てきます。ちょっと調べたら出てくるような無料の情報は調べてください。
それから調べるにしても、まずは数をこなして、出来ない・うまくいかない部分を自分で悩み考えてからにしてください。
何が分からないのか分からない状態では、調べようにも検索ワードすら思いつきません。
その状態では「初心者向け・入門・簡単・誰でもできる」と銘打っている情報にばかりしか目に止まらず、いつまで経っても似たような薄っぺらいクリシェ的情報しか手に入りません。今の自分にとって本当に必要な情報を見落としてしまいます。
人間の脳は認識できないものは存在しないものとして処理してしまう困ったちゃんなのです。いや、高度に処理できるからこそ、分からないものの処理で脳みそがパンクしない仕組みがあるみたいです。絶対音感/相対音感とかもその辺が関わっているようですが今回の話題とは関係ないので気が向いたらまたいつか。

私も悩み考えながら、この遠回りで長い記事を
「この程度のことしか知らなかったのかぁ、初心者だったなぁ」
と鼻で笑えるくらいには続けていきたいと思います。
さて、それでは作詞コンセプトの話を始めましょう。

作詞のハードルを越えるために

作曲と同じくコンセプトからの記事を途中まで書いていたのですが、私としたことが(というか私らしいというか)作詞するにあたって多くの人がつまづくであろう大事なお話を忘れておりました。

作詞は恥ずかしい?

以前Twitterでとある質問を投げかけたところ、思いもよらないほどの数の反応をいただたいたことがあります。
3500件以上?だったか。普段20いいねがイイトコの私のツイートでです。

その質問とは、

作品を見せる(聞かせる)のは恥ずかしいか?

作詞作曲、絵画、映像、造形、文芸、舞踊、演劇、芸能などジャンル問わずクリエイティブな活動をする人すべてに投げかけたものです。
なんとかツイートを辿って見つけました。↓

①恥ずかしい、②恥ずかしくはない、③作品による、④相手による、
の4つの解答から選んでもらう形です。
①③④合わせて9割くらいの方は何らかの恥ずかしさを感じているようです。
かなり多くの反応をいただいたので、統計学的誤差は計算してみたら1.4%程度だと思われます。統計学なんて詳しくないですが便利なサイトもあるもんです。調べたら出てきました。

引用ツイート等のコメント中には(消えちゃって見れないけれど)、
理解ある友人には見せられるけれど、家族にはゼッタイ無理!
とか
過去作の稚拙さが恥ずかしい
といった内容のものもありました。
(③でエッチな作品とかは仕方ないよね、とは思います。)

せっかく才能がありながら、『化物語』(西尾維新さん)の登場キャラクター千石撫子ちゃんのように、こっそり描き溜めてたラブコメ漫画を絶対に誰にも開けさせないクローゼットに隠している人も本当にいるかもしれません。

私は恥ずかしいと思うことがあまりないので、この質問の件をうっかりすっかりぽっかり忘れておりました。
(前回記事でいただいたコメントで思い出したという……。セカイルさまありがとうございます。)


私の場合、作詞作曲イラスト動画までシビアな期限で一人でこなしているので恥ずかしいと思う暇も無いのです。むしろ迫りくる時間や睡魔や新しい情報その他諸々との戦いの日々で、他人がどう思うかより自分の内側から来る「やりたい・やらねば・やってやる」のほうが強いです。

恥ずかしい、というより見せたくない・聞かせたくないというのはあります。
それは相手が理解ある人かどうかです。
創作や芸術に興味が無い人や否定的な人には披露する意味を感じません。
押し付けるのもおかしいですし、逆に自分が押し付けられるのもイヤですから。
(興味のない飲み会や集まり、私の苦手なスポーツ全般など「絶対楽しいから!」と押し付けてこられると嫌気が差します。)

逆に理解のある人にはリアルでもふつうに披露しています。
何件か行きつけのバーで理解あるマスターとかに見せることはしょっちゅうありますし、モニターがある店なら営業中に大画面で流していただくことすらあります(笑)一般のお客さんからしたらBGM代わりにYouTube流してるのね、程度にしか思われません。
内容までは披露しなくとも、音楽をやっていることやイラストや動画も自分で制作して投稿していることは、家族や友人や職場の人にも教えています。
先日のコラボの件も早速何人かには伝えています。

歳を取ると趣味はより深く専門化してくるので別に恥ずかしいことはありません。私はやりませんがゴルフやマラソンと同じ感覚だと思っています。結果より自分との戦いというか……。
年を取って音楽関連の趣味を始める人も多いですよね。少ない元手でも気軽に始められます。なんなら無料で。
ちなみに「陶芸、油絵、山歩き」が定年後の三大趣味らしく、また多くの人が続かないことでも悪名高いです(笑)なぜ金と時間がかかる割に喜びや感動をシェアしにくいものを選ぶのか。

このnoteは歌モノDTM曲の制作を主題にしていますが、ひとり黙々とやる作詞作曲だけが趣味としての音楽のすべてではないです。
楽器だって何種類もあります。カラオケも趣味になります。運よく仲間が見つかればもっと面白くもなるでしょう。
音楽鑑賞も立派な趣味です。聞いてくれる人がいるから音楽に意味や価値が生まれます。
趣味じゃなくてプロになりたい!収入を得たい!というなら尚更恥ずかしいなどと言っていられません。

作詞のハードルを考えたとき作曲以上に多くの人がつまづくのは、この
恥ずかしい
という想いではないでしょうか。
特にラブソングや心情を吐露するような歌詞を書こうとすると、心の中を見透かされるようで抵抗感が生まれるのは理解できます。
完全なフィクションの歌詞ならいいかというとそれはそれで、例えばそこそこの年齢の男性が初音ミクのような若くてキュートな女の子のキャラクターにカワイイ歌を歌わせるという行為自体が、一種の倒錯のようで世間様には知られたくないというのも分かります。
また、理解ある人に披露するにしても技術的な未熟さが暴露されることに恥ずかしさを覚えることもあるでしょう。プロやハイレベルのクリエーターにこき下ろされたり比較される恥ずかしさ、というか情けなさや悔しさと向き合うのがつらいというのもあると思います。

私も大して再生数や登録者が伸びているわけではないので、多少の情けなさや悔しさはありますが、むしろそう感じる自分の想いすら膨らませて歌詞にしてしまいます。ネタが増えたラッキー!ぐらいの感覚です。
ただし、どストレートに文章に起こすのではなく私なりの作詞のレトリックに忍ばせる感じですけどね。

この曲なんかはそうですね。そしてこの曲は上の質問の頃に作ったものです。↓

21曲目『心呼吸 sync-co-cue』めろう
実はこの曲、作詞に少し行き詰まりかけたのですが、2番の歌詞なんかは先の質問に応えたものです。

「輝くもののすべてが星じゃないと屑カゴに隠してた」

恥ずかしくて歌詞が書けないという人にもきっと胸の内に輝くものがあるはず。でも星のようにみんなの注目を集めて称賛されるようなものでなければ屑カゴに隠していた。「答えてくれない」「ままならない」……そんなとき「ため息」ではなく「深呼吸」して子供の頃のように大声を出してみよう。無から宇宙が始まって沢山の星が生まれたように、からっぽの心の底から生まれる遠く高く深い想いがある。さあ、底=そこ=ゼロから始めてみよう。
そんなテーマの曲です。
(実はこのnote自体のタイトル、最初は「ゼロから始める~」にしようかと思ったのですが、ライトノベル『Re:ゼロから始める異世界生活』通称『リゼロ』(長月達平さん)のモロパクリなのでやめました(笑)アニメは見ましたがそこまで大ファンというわけでもないですし(汗))

タイトルも意味があります。
"sync-"は「同期」や「一致」といった意味の接頭辞。"co-"は「ともに」「一緒に」や強調の接頭辞。"cue"は「合図」「きっかけ」といった意味の名詞です。
『心呼吸』のタイトルは「深呼吸」をもじった「心の呼吸」、そして「子供の頃の自分と向き合って鐘のように打つ胸の奥の鼓動の合図と一緒に始めよう」、といった意味のトリプルミ―ミングです。

アレンジや動画にも。
サビのライドシンバルは踏切の鐘の音。その音に乗せ列車で生まれ故郷の海へ向かう動画。(めろうさんは人魚がモチーフなので。2番背景の灯台のある海の絵は過去作17曲目『みずゆき』の流用です。)
私の動画では基本的に右側が未来、左側が過去になるようにしています。過去を見ながら後ろ向きに進む大人めろうさんと、それを見る子供めろうちゃん。
海と夜空を見ながら背伸びする大人めろうさんと、こちらを向いていっぱいに手を広げる満面の笑みの子供めろうちゃんの対比。
連弾のようなピアノソロでその大人めろうさんと子供めろうちゃんが重なって、ラストサビで星空が時計回りにまわり出す。
呼吸するような5本のボーカルをセルフハーモニーで重ねながら転調してどんどん音域が上がっていきます。メインボーカルの最低音と最高音はめろうさんの推奨音域-1~+1になるように作っています。胸の底の底から空の上の宇宙に突き抜ける表現のためです。
どんだけこだわってんだか。

これだけのことを20日以内でやろうとするとクオリティーは犠牲になりますが、自分で決めた目標なのでその中で表現できることに全力を尽くします。
恥ずかしいとか言ってる暇はありません。
恥ずかしい想いすら歌詞にして、それをコンセプトに作曲、イラスト、動画まで制作して、さらにこうやって解説までしている。
まるで「恥ずかしい」のバーゲンセールだな。(ベ〇ータ?!)

ここまで突き抜けてやってしまうと、「恥ずかしさ」より「誇らしさ」がまさってきます。技術的にはまだまだ稚拙だったとしてもその時の自分にできることを精一杯やっているのですから、その時の自分にとっては最高傑作です。
そして突き抜けてやってみないことには技術も付いてきません

なにも、すべてを自作することが良い、と言っているわけではないです。誰かに依頼することだってそれなりに恥ずかしさが伴います。
でも一度トライしてみることには意味があると思います。やってみないことには得意か不得意か、好きになれるかどうかもわかりません。この記事の目指すところ、「自分の真価」を見極められないってことです。

恥ずかしくて歌詞が書けないというなら、その気持ちすら歌詞にしてしまう。
「不器用で うまく言葉に できないけれど
 どうしても 君に伝えて おきたい想い
 今しかない そんな気持ちに してくれたのは
 ただひとつ 君の笑顔が 勇気くれたから」
5分くらいで考えた即席のサビ歌詞です。ちゃんと歌詞っぽくなってるのは、
5/7/7、5/7/7、5/7/7、5/7/8
の音数に揃えているからです。最後が8音なので「ら〜♪」を間奏の1小節目にかぶせて余韻が残せそうですね。このへんは技術です。
何一つ難しい単語も言い回しも使っていませんが、恥ずかしくて言葉にできないけれど勇気を出して伝えるよ、という感じが出せているんじゃないかな?
「ありがちな歌詞じゃん」と思うでしょうが、そう非難しておいて自分では恥ずかしくて書けないと言うならそれこそカッコ悪くて恥ずかしいことですし、「言いたいことは分かるけどイマイチ退屈」など具体的に批判できるならその人は作詞の素質があると思います。

何を想い何を考え何を伝えたいのか

文を書くという行為は、思った以上に誰しもたくさん経験しています。
小学校の国語の時間で書いた作文や和歌、詩。宿題の読書感想文や夏休みの日記。友達や親戚に送る手紙や年賀状。こっそり書いた黒歴史なノート(笑)。
ひとり一台スマホを持つようになった今の時代、LINEやメール、TwitterやInstagramなどSNSでも文を書いています。
大学生の方は小論文やレジュメ、卒論などを書く経験をしているでしょうし、社会人の方はビジネスメール、プレゼン、報告書、マニュアル、事業計画書など数多くの文を毎日書いています。私もちょうど社労士さんに提出する書類の作成に追われていました。
このnoteのようにブログを書いて、中にはそれで収入を得ている方もいるでしょう。

作曲はある程度の知識、技術、経験が必要ですが、文を書く行為はブロガーや文筆家や記者などの特権ではありません。
なのに「歌詞」を書くとなると、なぜか身構えたり自分にはできないと早々に匙を投げてしまう。

それは先の件の恥ずかしさもありますが、もしかしたら最初からプロの作詞家のような良い歌詞を書こうとしているからかもしれません。
技術的優れた美しい歌詞も魅力的ですが、もっと根源的な「創作とは何か」を考えたとき、何かを伝えたい、吐き出したい「想い」があって初めて歌詞は活きてくるのだと私は思います。

何を想い何を考え何を伝えたいのか
それがハッキリしないと恥ずかしさを乗り越えたとしても曖昧で退屈な表現に終始します。
それがコンセプトですね。
コンセプトにしっかり軸があるなら、多少音数がバラバラだったりしても作曲やアレンジでカバーできます。

今回はちょうど良いタイミングで私の作詞ではないコラボ作品を発表できましたので、前回に続き改めて例に取りながら歌詞におけるコンセプトについて書いていきます。
歌詞だけであってもコンセプトが伝わるのなら、その歌詞にあった曲を作れることが今回のコラボ作品で改めて認識できたように私は思います。

前回記事中で触れましたが、最初歌詞を流し読みした時の印象は16ビートのキレのあるハードロック調でした。
ダメではないと思いますが、今考えるとスヌーピー(『ピーナッツ』)のシニカルさ軽快さ、そして思いがけない奥深さが表現できない気がします。

ニコニコ版の方のコメントで、私の作品としては珍しく
「wwwww」(草生える、笑える)
のコメントがありました。
「偉大なワンちゃん 僕にもワンチャンあるかい」
の歌詞の部分です。
ダジャレというかオヤジギャグというか、確かにコメディタッチな歌詞ですが、ちゃんと意味を考えると浅い内容ではないです。
その手前の、
「人生の本質ってやつを君は教えてくれるのかい?」
からの流れで捉えると、誰しも一度は考えたことのある悩みや不安・不満だと思います。

「配られたカード、生まれ持った素質で勝負するしかないこんな自分にもチャンスはあるのだろうか? 世界中の人々に愛されている君は、そんな人生を生きていくヒントをくれるのだろうか? デフォルメされた犬のキャラクターでしかない君が。」
真面目に文章で書いたらこんな感じかもしれません。軽快じゃないですね。
「偉大なワンちゃん 僕にもワンチャンあるかい」の一文で軽快さと心情がじゅうぶんに表現されていると思います。他の言い回しが思いつかないくらい簡潔で完結。

この歌詞の後ろにメロディアスなピアノソロを入れたのは、構成上の流れもありますが、笑えるようで笑えない、でも笑えてしまうこの内容を受けてのことです。意味を知ってからピアノソロを聞いてまた違った感じを受け取ってもらえたら作曲者冥利です。

もし16ビートのハードロックで作っていたら、
「人生ってそんなもんさ!配られたカードだけでも何とかやっていこう!」
というより、
「人生とは何か?結局人間というものは配られたカードで勝負するしかない運命(さだめ)なのだ」
みたいな厳しく切り込んだイメージの曲になっていたかもしれません。
「切り札」や「哲学者」という単語の初見のイメージだけで、あやうくそっち系のヘビーな曲に乗せるところでした。

そっち系の曲を裏で作ってたんですけどね↓。ある意味兄弟曲です。

28曲目『外面張力』ナクモ
こっちは完全に曲先です。
タイトルだけ決めておいて、単語のイメージから曲を先に作りました。
歌詞どころかメロディーラインもほとんどあと乗せです。

「表面張力」をもじったタイトルというのはすぐに分かると思いますが、「外面」を「ガイメン」と読めば「内面」に対する「表側、外側」といった意味になり、「ソトヅラ」と読めば「愛想良い作りものの顔」といった意味になります。
表面張力は温度が上がると弱まる性質があることから、心の内で燃える炎=情熱で外面を壊せ!といったコンセプトの歌詞になっています。

使っている単語もコンセプトに沿って採用しています。
例えばArc Light(アークライト、水銀灯)は、水銀の表面張力がずば抜けて高いことから採用した単語です(水の6~7倍)。またその水銀蒸気中の放電で発光する仕組みのアークライトは高熱を発しながらもほの暗さのある独特な光です。体育館や野球場を照らしているやつですね。
2番のLime Light(ライムライト、石灰灯)はそれに呼応して採用した単語で、電球が普及するより昔に舞台照明として使われていたことから「名声」の代名詞とされています。チャップリンのコメディ映画のタイトルとして有名です。

他にも炎と水の対立や、外面を打ち破るような表現の言葉を散らしています。が、実は意味はそれほど深く込めていないです(笑)
曲先なので音の響きでコンセプトを表現できれば充分だとこの曲では考えたからです。
サビの英語歌詞も韻を踏んだ単調な繰り返しですし、メロの歌詞に至っては母音だけある程度割り当ててからコンセプトに合う単語を拾ってくるという、作詞に真面目に取り組む人からすると暴挙のようなことをやっています。Elapsed Beatとか自分でも何て訳していいかよくわかりません(笑)過ぎ去った拍動といった感じでしょうか。
英語や高音域の調声実験も兼ねての作詞という音優先のDTMer的な作詞法です。

Twitterでは「ハナモゲラ語でいいや」なんて呟いていました。タレントのタモリさんのインチキ外国語みたいなやつです。

B-DASHの歌詞なんかも参考?にしています。

作詞といってもコンセプトを表現できるならこんなやり方があってもいいと思っています。
(一応、イラストや動画にもコンセプトを表現しています。牢獄と炎、アニメ絵のナクモとその骸骨。背景でクルクル回っている数式は表面張力に関するものです。)

何を想い何を考え何を伝えたいのか、
それは必ずしも自分の本心である必要も無くて、テクニックとして書いたり、キャラクターになりきって書いたり、別の性別の人間として書いたり、言葉遊びをしてみたり……。
もちろん気持ちを込めて書いた歌詞は格別の良さがあります。
でも、コンセプトは一貫していないとそれは伝わらないと思います。
希望の歌なのか絶望の歌なのか、挑戦の歌なのか諦念の歌なのか……。たとえ途中で落ち込んでも最後は這い上がっていくぜ!みたいに全体の流れも意識しながら方向性は定めていたほうがよいです。
作曲もそれに沿って制作します。

作曲者はメロディーや音作りにこだわるあまり、「歌モノ」を作っているという基本的なことを忘れてしまいそうになります。
なので私はテクニックや妄想で作詞するときでも、コンセプトを最優先事項にするように気をつけるようになりました。
作詞も作曲も表現の仕方が違うだけで考え方としては同じです。

コンセプトをためておく

私が普段からやっていることなのですが、何かしら想い考えたことがあれば片っ端からメモっています。
スマホのメモ帳も画面下のアクセスしやすい位置に配置してすぐ書けるようにしていますし、Twitterの下書きにはツイートすることのなかった想いや考えが大量に残されています。
たまにそれらを整理して、あーこんなこと考えていたのか、何の時だっけ?などと思い出しながら、歌詞にふくらませられそうなものをピックアップして残しておきます。

嬉しかったこと、悲しかったこと、やりたかったこと、悩んだこと……などを一旦言語化する大事な作業です。
言葉にできないことには歌詞にもできません。
でも言葉にできないなら、「言葉にできない」とメモってしまえばいいです。それが何についてことなのか、外堀を固めていくというか、周りの環境や状況から想いや考えの輪郭をハッキリさせていくという手法も取れます。
今思えば初投稿曲なんかはそういったコンセプトだったのだと思います↓。

1曲目『ハロー、スワンプマン』ナクモ

失恋ソングのようですが、変わっていく自分、変わってしまった自分への別れの歌なのだと思います。
20代前半で作詞作曲に完全に行き詰った頃に作りかけた曲です。
音楽などクリエイティブな方向には向かわず仕事に追われるうちに変わってしまった自分をスワンプマンに例えているんだと思います。当時の状況は思い出せませんが、この曲の主人公は過去の自分なのかもしれません。

「ハロー、スワンプマン 声にならない思いに立ちすくむひとつの影」
歌詞にならないことを歌詞にしています。
歌詞全体も「どう思った」「どう考えた」という心情描写より、風景描写の方が圧倒的に多いです。
「いつもと景色が違うのは」「いつも同じメロディーが少し寂しく聴こえた気がした」「夕焼け空ににじんだ紫 上手く描けない風景画のように」「乾いてしまった君の靴跡」……。

個人的なお気に入りは2番Bメロ。
「天気予報の外れた街角 右手の傘 左手のオレンジ
 何もかもがズレて見えた いくつも いくつも 重ねたガラスのように」
今じゃ書けない歌詞だ~。
なんで街の一角だけ天気予報が外れているんでしょう?
右手に傘を持って左手にオレンジ(たぶん夕日の例え)を持っていたら両手がふさがって誰とも手を繋げない。
透明なガラスを重ねても普通は向こう側が見えるず。でもいくつもいくつも重ねたら……。
うん、なんか分からんが分からんという心情を表現しようとしているな~と。スワンプマンになる前の自分に聞いてみたいもんです。

ほとんどの記録は捨ててしまいましたが、十数年前の記録をほんのわずかですが残しておいて良かったです。
残っていなかったらDTM自体やっていなかったかもしれません。

想いや考えはその時その状況でしか生まれてこないものです。
悲しい気分の時に楽しい歌詞は出てきません。感情や記憶は過ぎ去っていくもの。
それを常に書き留めて、できるなら環境や状況も思い出せる形で残しておく。それがいつか歌詞として輝くときが来ます。
その瞬間は歌詞や曲にできなくても、いつかもっと技術や表現法が身に付いてきた時に形にできる日が来ると思います。

結び

今回で構成の話まで行きたかったのですが、コンセプトの話って私の中で一番面白い話題なんですよね。
素質、努力、才能、技術なんかの差っていうのは必ずありますし、特別な人がいるのも事実です。その中で一握りの運に恵まれた方がプロとしてデビューしたり音楽で食べていけます。私も含めその他大勢の音楽をやっている方は趣味止まりです。何の見返りも無く、時には批判され、何のためにやっているのか分からなくなる時もあると思います。
それでも音楽をやりたいという想いがあるなら、それは他の誰と比べることもできないただ一つのものです。才能やセンスがあろうが無かろうが、そのただ一つのものを、どうしても何が何でも表現したいと思うかどうか。
それを歌詞にぶつけてみてください。ぶつける武器が無いなら技術や理論といった武器を磨いてみたくなります。
どうしても何が何でもやってみたいと思わないのなら、そもそもたいして興味が無いか、今がその時でないだけかもしれません。そしてそのまま消えていくのが普通の人です。
この遠回りで長い記事を最後まで読んで、「よし、自分でも歌詞を書いてみよう!」と思える人はすでに普通じゃないと誇りに思っていいですよ(笑)

次回予告

ということで、次回は構成のお話をまたコラボ作品などを例に取りながら考察していきたいと思います。
今時流行りの全部サビみたいな2~3分のボカロ曲を作りたい方には無用な長文になると思います。そういう人は多分私の記事を読まないんで気にしな~い。
相変わらず私は私の表現したいことを表現したいやり方で突き抜けて行きたいと思います。

それではまた次回。
Thank you for reading!


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