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東日本大震災

 現在、京都で研修医1年目として勤務しております、佐藤拓人です。災害と人との関係について興味があります。今回は私が8年前に参加した東日本大震災のボランティアについての記事を書いてみました。粗末な個所もあるかと思いますがよろしくお願い致します。
 小学校の4階にある多目的スペースで茶話会は行われていた。小学校を卒業する私達を先生方が祝うため集まり、私達もクラスごとに持ち寄ったレクリエーションを行っていた。用意されたプログラムも一通り終わり、茶話会も終盤に差し掛かりお菓子を食べながら雑談をしている中、大きな揺れを感じた。

 私が住む大阪では震度3の揺れを観測していた。震源地が東北だと聞いた時に子どもながらにものすごく大きな地震が起こったのだと感じたのを覚えている。ニュースでは連日東北での被害の大きさや津波についての報道があり、テレビではACJapanのポップな音楽のCMが流れていた。そんな震災の跡を感じさせるような日々も大阪という少し離れたところで生活していた私にとって、半年もすれば昔起こった地震という認識に変わっていた。

 私の通っていた中学、高校から東北のボランティアに行くという話を初めて聞いたのは中学2年の春であった。震災から1年と少しが過ぎていた。先生と親との間で話し合いを重ねた結果、夏に中学3年以上の学生を対象に数十人の規模で行うというものであった。参加資格のない私はそんなものがあるのかと漠然と感じていた。後に聞いた話では当時の生徒会長がボランティアに行くことを切望したため、先生達との話し合いの結果実現したそうである。
 その年に行った上級生を中心にさまざまな議論の末、翌年も同様に学校としてボランティアにいくことになり、私も参加した。先生からは決して遊びに行くわけではない、東北に行き何か人の役に立ちたいそう思う人だけ一緒に来て欲しいというような言葉がかけられた。正直に言うと私自身、人の役に立ちたいと切望して参加したわけではなかった。人の役に立ちたいという気持ちはあったが、それ以上に自分自身の経験として東北に行き、その地震の悲惨さ、被害の大きさを肌で感じてみたいと思ったからである。そのような動機で参加したのは私だけではないと思う。また、私はボランティアといえば、被災地に物資を届けたり、瓦礫の撤去作業などを想像していた。しかし、私達が行ったボランティアは仮設住宅を訪れたり、畑仕事の手伝いをしたり、東日本大震災伝承館を訪れたりするものであった。震災から2年半経っていたためそのような作業が進んでおり、正直にいうと社会科見学のような感じもあった。しかし、このボランティア経験により私の考え方、人生観が大きく変わったのでお伝えしたい。

 1つ目は復興に関わる人々の努力や苦悩、そして未来の若者に対しての警鐘と継承である。私達は石巻市、陸前高田市を訪れ、そこで様々な人にお話しをお伺いした。実際に被災しながらも復興のために尽力を注ぐ地元の方やボランティアとして東北に来てその後移り住んだ大学生、自衛隊として活動後に個人的にボランティアとしてきている方、東京で働いていたが地元の東北に帰り地方創生のプロジェクトをしている方などである。私達が訪れた時は復興も進み余震も落ち着いていたため、皆さん元気な様子であったが、当時の話をされる時の表情や言葉遣いからは苦悩がにじみ出てまだ癒えないのがまざまざと伝わってきた。特に家族や友人を失われたという話には胸が痛くなった。皆さん色々なものを抱えて生活しておられ、私達にその経験を伝えようとしてくださったことには感謝しきれない。その中で私自身すごいなと思ったのが、「人生の中で1度あるかないかの大きな出来事であった。復興に自分の人生をかけてもいいと思っている。」ということである。自分より少し上の世代の人たちも含め多くの人が当事者意識を持って復興に取り組む姿に感銘を受けるとともに、自分自身が次の世代なのではないかという気持ちにもなった。日本の歴史を振り返ると今までも大きな災害があり、その度多くの人が力を尽くしてきたに違いない。しかし、時代が変わるとその悲惨さが継承しきれず、薄れてしまうのもまた事実である。今後、南海トラフ地震や首都直下型地震、その他の地震以外の災害が私達に起こることが考えられる。COVID-19による感染症の流行もその1つであるだろう。このような災害の経験を上の世代から引き継ぎ、次に備えることが私達に必要なのではないかと考えるようになった。

 2つ目は価値観の違いによる衝突である。震災後、海岸の方では次の津波に備えて堤防を立てるという議論があがったそうである。当時の私は当然津波に備えて堤防を作ることに皆が賛成するものだと考えていた。しかし、そう上手くはいかない。綺麗な街並み、景観を崩したくはないため反対をする人が多数いるそうである。よくドラマなどで行政と地域の住民が対立するようなシーンが描かれることがあり、科学的な根拠に基づいて政策を推し進めようとしても、そこには人の価値観が関わってきて全てが上手くいくわけではないということは頭の中では分かっていた。ただ、震災直後であり世論としても防災への風潮が高まる中でも、個人の価値観の中で譲れないものがあると気付いた瞬間であった。価値観とは尊重されるべきものであり、私達は人の価値観を否定することは出来ない。私自身、無意識のうちにその価値観を反故にしていないかと考え直すようになった。そして、人の価値観を考慮しつつも社会を効果的に動かすにはどのようにすればよいのかに興味を持つようになった。

 ボランティア経験を通じて、私自身大きな考え方の変化を得ることができ、それは8年程経った今でも活かされているように思います。またこの経験には多くの大人の方が関わり、私達に生の声や体験を与えようと関わって下さっていたことに今になって気付き、人や環境に恵まれたなと思います。今後は地震に対する人々の反応や考え方など災害と人の関係について研究や記事を書いていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

写真引用元 東日本大震災 写真保存プロジェクト

こちらのサイト内の画像から写真をお借りしました
https://archive-shinsai-photo.west.edge.storage-yahoo.jp/80944.jpg

文責 佐藤拓人


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