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【旅×リーダーシップ】存亡危機の黒川温泉を全国屈指の温泉地にしたリーダーシップ

1冊の本がきっかけで黒川温泉に

ある2019年一冊の本との出会いをきっかけに、熊本県にある黒川温泉に行った。

温泉が沸けば温泉地にはなるのは事実。
ただ、有名になる温泉地もあれば、閑古鳥が泣いている温泉地もある。

温泉という仕組みがあればうまくいくわけではなく、人を集客する必要がある。
都内から近いという立地がものをいうかと思えば、都内から近くても集客に苦労している温泉地が沢山ある。

そんな中で熊本県の奥地、決して交通の便が良いとはお世辞にも思えない黒川温泉になぜ多くの人が集まるのか?
その原因を確かめに黒川温泉に足を運んだ。

全国屈指の温泉地 黒川温泉

全国津々浦々至るところに温泉があり、私たち日本人には温泉は非常に身近な存在だ。
ちなみに
世界で温泉地の数が1番多いのはどこでしょうか?

1位 日本 3,133
2位 中国 3,000
3位 トルコ 474
4位 アメリカ 400

国土の大きさもみておこう。

中国は日本の25.4倍
トルコは日本の2.04倍
アメリカは日本の26.2倍

上記を鑑みて考えると
日本はまさに世界でぶっちぎり1位の温泉大国といえる。

その分温泉地は集客力が命。
各地が集客合戦に、凌ぎを削る中、日本のトップ10に入るような温泉地になっているのが黒川温泉なのだ。

ただ、順風満帆に今の地位を築いている訳でははないことが、本を読んでいるうちに分かってきた。

ブームが過ぎて閑古鳥だった黒川温泉

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黒川温泉の黎明期は農家と兼業する20軒くらいのひなびた温泉郷だった。

1964年国民保養温泉地に指定され、やまなみハイウェイが開通した。
そのため、交通の便が多少良くなり、一時期は非常に繁盛した。
ブームに便乗して増築や新規参入をする旅館が増えた。

しかし、数年経つと客足が遠のく。
黒川温泉より圧倒的に交通の便がいい「阿蘇」「別府」といった九州屈指の温泉地にお客が戻っていったことが大きい。

また足を運びたくなる特徴がなく、いわゆる「コモディティ化」の波に飲まれたのだ。

コモディティ化とは、簡単にいうと
機能や品質がどこの会社の製品も同じで、消費者にとって「どれを選んでも、たいして違いがない」と感じてしまう状態

気を悪くするかたもいるかもしれないが、牛丼を食べるなら「吉野家」「すき家」「松屋」どこでも一緒という現象が一例だ。

目新しさがなくなった黒川温泉は、他の温泉地と大差がなくなる。
どうせ行くなら、利便性の良い温泉地にしようとなり、お客様が激減してしまった。
加えてオイルショックも押し寄せるダブルパンチで、多額の借金を抱える旅館が増えた。

黒川温泉は1970年代は存亡の危機となるほど閑散としていた。
その危機を救ったのはたった一人の人物であった。

黒川温泉復興の祖・後藤哲也氏

後藤哲也さん

閑古鳥が泣く黒川温泉で、唯一客足が途絶えない超人気旅館があった。
後藤氏が経営する「山の宿新明館」だ。

後藤氏は、「風呂に魅力がなければ、客は来ない」という考えをもち、人気の観光地や温泉を隈なく巡り勉強し、集客に必要な2つの結論に至る。

「癒し」
「自然な雰囲気」

が大切であると。

そこから後藤氏は、ノミと金槌で自ら十年の歳月をかけて岩山を掘り「洞窟風呂」を作り上げた。

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引用写真:https://travel.rakuten.co.jp/HOTEL/80794/80794.html

日常を忘れ、心身を休める環境や空間を提供することが、顧客ニーズに応えることである。
そのために、「自然らしさ」を徹底的に追求し、「自然よりも自然」といわれるような、見事な露天風呂を作り上げた。

こだわりが功を奏し、洞窟風呂を求めて、お客様が「山の宿新明館」に殺到したのである。

一人勝ちではなく街全体で勝つコミットメント

黒川温泉3

最初の頃、周りの人は、後藤氏を変人扱いしていた。
ただ圧倒的な人気に、その秘訣を求める黒川の経営者が後藤氏のもとに集まるようになった。

後藤氏は来るもの拒まず、惜しみなくノウハウを共有した。
いわば、人気の秘密である秘伝のタレのレシピを惜しみなく共有したのである。

その背景には後藤氏の理念があった。

単独の旅館の繁栄では、温泉街全体の発展はない。
全体の繁栄があってこそ、個が生きる。

後藤氏の情熱と黒川の人々の絆で、「自然な雰囲気」を大事にする温泉旅館が増え、人気を博する旅館が増えていった。

ビジョンの実現:「黒川温泉一旅館」

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写真引用元:https://www.kurokawaonsen.or.jp/

旅好きの僕にとって、温泉地に限らず、街全体の一体感がない観光地や商店街は散見される。
各店舗が一国一城の主人であり、隣の城には口出しできないような雰囲気がある。

個人の利を求めるがあまり、街全体の勝利にはコミットしていない。
そして個人のことばかり考えるので、当然街が栄えない。
結局個人も理想通りに夢が叶わないというような悪循環に陥っている。

初期の黒川温泉もそうだったようだ。
各旅館が自分の旅館への誘致のみを考えていたので、和洋折衷様々な看板が乱立していたらしい。

和テイストの景観に洋風スタイルの建物や看板が一つあるとどうだろう?
容易に想像がつくと思うが、
街並みに統一感は全く感じられず、テーマ性がない街へと化してしまう。

そこに後藤氏が一石を投じた。
後藤氏を筆頭に黒川の街全体で「黒川温泉一旅館」のビジョンを掲げ行動していく。

ひとつひとつの旅館は「離れ部屋」。
そして、旅館をつなぐ小径は「渡り廊下」。
温泉街全体の風景が、まるで一つの旅館のように
自然へと溶け込みます。

各旅館が街全体の発展のために一枚岩になっていく。
そのため200個以上乱立していた看板を全撤去。

街全体で徹底的に「自然らしい雰囲気」を演出。
「田舎情緒」「自然豊かな温泉郷」の実現のために、剪定や植樹を行い景観作りを徹底した。

露天風呂を作れない宿も含め、黒川温泉全体で勝つために考案されたのが入湯手形(1200円)である。
黒川温泉28あるお風呂のうち、3つの温泉が巡れる手形である。

コロナ前は、日帰り客年間100万人、宿泊客が30万人を超える温泉街となり、世界中から集まるような観光地に変貌していったのである。

リーダーとして大事なこと

黒川温泉を旅してみて、実際細部に渡るまで、古き良き故郷田舎情緒が演出されていた。
街を歩くのが楽しみで、どんな発見があるのか?を楽しみに街を散策できた。

28もの温泉から選ぶ楽しさがあった。
各温泉が露天風呂もそうだが雰囲気作りに徹底的にこだわっていて、どこにいっても遜色ないクオリティにレベルの高さを感じた。
満足度が高く、できたら全部の温泉を制覇したいという欲求が生まれた。
リピーターが多い理由の一つを体感した。

旅を通して学んだ後藤氏のリーダーシップで特筆するのは下記の5つである。

1.うまくいっているところから徹底的に学ぶ
2.全体の利をとること
3.率先垂範
4.コミットメント
5.一枚岩で動くチームを作ること

また黒川の地を訪れたいと思う。



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