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傲慢なフェミニストが宇崎ちゃんを搾取する

過去に二回、宇崎ちゃんと献血ポスター問題を書いた。

今回、第二回のコラボが開催されたからまた書きたいと思うけれども、僕は今回の騒動でフェミニストと呼ばれる人たちに対して、不信感を持った。
先に書いておくが、僕はフェミニズムは必要だと思っている人間だし、活動すること自体はなくてはならないと思う。
しかしながら、その活動の態度については疑問に思うところがある
僕の主張は前から変わっておらず、前の記事を読んでもらえればわかる。

今回の献血コラボについて

今回、第二弾が発表されたが、その反応は第一回のものとは大きく違うものだった。第二回の画像が作者である丈さんのTwitterで発表されている。

なるほど、先輩を登場させて胸の強調は前回から抑えられている気がする
しかし、「宇崎ちゃんは遊びたい」という漫画を前から読んでいる人にとっては、特段変わらないようにも見える。
ただ、このポスターについて「評価」しているフェミニスト(?)の方々が大勢いるのは事実だ。

今回のポスターを「評価」する声

献血に対して肯定的な評価をされていて、一見するとめでたしめでたしな雰囲気に捉えられる。なのに、こういった意見に対して疑問や憤り言ってみればイラッとする人たちも多いし、僕もその一人だ。
その理由が下記になる。

評価する人たちの声に感謝の言葉はない

僕が過去の記事で主張したことは以下の通りだ。

個人的な心情としては、この献血ポスターについて性的とは思わない。しかし、これを性的と捉える人が多数いるのは理解できるので控えた方が良いのではと思う。
ただ、抗議ではなくあくまでも提案の立場をとる必要がある。
なぜ、これが性的な側面を持つのか、それがなぜ女性の人権を侵害してしまうのかを丁寧に説明した上で理解して貰う努力は必要だと思う。時に圧倒的な権力の前には暴力的な言葉を使い、革命を起こさなければならない状況があることも理解はしている。しかし、それは今回の場合には当てはまらないと思う。
禁止ではなく自粛を提案する。そして、意見が受け入れられた時には感謝の意を述べる。こういった問題に関しては、その行動が必要であると感じている。

この主張は今でも変わっていない。
人によっては十把一絡げに何もかも規制されることを恐れる、真面目な観点から安易な規制を危惧する人間もいるからだ。また、前回では語らなかったが胸に張り付いたシャツがただ性的と見られるのもどうかと思う。
例えばミニスカート、今では性的なシンボルになっているかもしれないが、発表された当時は女性解放のシンボルであったこともある。
見る目というものは社会情勢で違う。だからこそ、表現を規制しようとする側は相手への敬意と慮る態度は必ず必要になると思っている。
その態度を表す1番の行動は感謝の意を示すことになる。

しかし、今回の騒動から第二弾を見たフェミニストの方々には感謝の言葉はない。
それが、どれだけ傲慢であり、宇崎ちゃんというキャラクター、そして作者である丈さんを搾取することになることが自称フェミニストは気付いていない。

世界は誰かの「仕事」と「善意」で出来ている

どこかのコーヒーのCMではないけれども、この世界は誰かが仕事をしていて成り立っっている。しかし、仕事だけではこの世界は成り立たない。人の善意によっても成り立っている。その代表的なものが今回、騒動になっている「献血」であったりする。
丈先生は今回も赤十字とコラボしたが、丈先生も善意によってこの仕事を引き受けた。

献血のポスターの広告の目的は、献血を促進させるためだ。
本の宣伝をすることではない。むしろ、その作品が持つ知名度を利用して献血に向かう人を増やそうとしているのだから、商業的に見て作者が受ける金銭的な価値は少ない。
しかも、今回は自分が生み出したキャラクターが非難されている中での再度のコラボだ。これが、どれだけ辛く苦しいことか想像できないんだろうか?
悩み、苦しみ、その中で生み出したキャラクターに対して、作品を読んでいない人たちから「性的だから公共の場に相応しくない」と非難される悲しみをなぜ想像できないのだろうか。

その悲しみがあっても自分が被災したからこそ誰かのためにと思い、再度のコラボをしてくれた丈先生に何故、感謝の言葉を言えないのだろう。
なんで、一言でも「ありがとう」と言えないのだろう。
僕にはそれが不思議でならない。

金も出さず感謝もせずに働かせようとすることを「搾取」と言う

「善意」で「仕事」をした人に対する真っ当な在り方はお金を払うか、感謝の言葉を述べることだ。それは、小学生でも知っている。むしろ小学生はお金を払った後にありがとうございますと言う。
そんな光景を見て、僕らはほっこりして癒されたりするわけなんだけれども、この社会には金も出さずに口を出して、人を働かせた後に「評価」をして悦に浸る人間が存在する。

それは明らかな「搾取」であり、個人の努力の「消費」だ。

赤十字がガイドラインを作成した。そして、丈先生がそれに沿った形で今回のポスターを書いたと仮定しても、それがどれだけの労力を要するかを想像して欲しい。
色々な人の善意の上に成り立ち、形になった創作物に対してに投げかける言葉を選んで欲しい。あなたが投げかける言葉は届いているのだから、あなたが発した言葉は創作した本人に届いているのだから。
金も感謝も出さないで、自分たちの主張が認められた、やったーやったーと言っている人間の最たるものを僕たちは知っている。
そう、ブラック企業の社長だ。相手に労力だけ求めて、こちらからは何も提供しないそれさ。

フェミニストは言うかもしれない。
「私たちが言っていることが社会的に正しくて、その通りに人を動かすことは間違っていない」と。
しかし、その言葉は女性が今まで投げかけられていた言葉と何が違うのだろう?
私たちが言っていることが社会的に正しくて、その通りに女性を動かすことに間違いはない」と言われてきたから、フェミニズムはあるはずだ。

この社会の理不尽に対して時に暴力的な言葉や態度を取ることの全てが間違っているとは思わない。あまりにも強い権力に対しては時としてそれが必要になる。
しかし、個人の「善意」を踏みにじるものであっては決してならない。
今回の出来事に関しては、フェミニストと自称する人間が丈先生の善意を踏みにじり、宇崎ちゃんというキャラクターを「搾取」している。
僕はそう思っていて、本当に憤っている。

丈先生にありがとうと言おう

最後に、これだけは忘れてはならない。
丈先生にありがとうを言おう。
輸血が足りなくて、死ぬ人はいる。
丈先生が頑張ってくれたお陰で助かる人がいるかもしれない。というか多分いる。
そのことに対してお礼を言おう。

丈先生、ありがとうございます。
あなたのお陰で助かる生命があります。
辛いことがたくさんあったかと思いますが応援しています。
漫画、
買います。

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