【生活感想文】家事はなんのためにやるのか
先日「家事育児研修制度」の記事を書いていて
見つけた有賀薫さんのnoteでこんな記事を見つけ、「家事は何のためにやるのか」について私なりに考えてみました。
この男性の感じ凄くわかる!私もかつて感じてました!
育児をはじめて最初に絶望したのは、それに「打ち上げの会」は存在しない、と認識した時でした。
それで私なりにたどり着いた結論は、前にも時間軸の話で書いたのですが、
家事と仕事ではまったく違う価値観が存在している、という事でした。「家事研修制度」なんて凄い仕事目線を薦めておいて何なのですが。。
家事をしてどこかにたどりつこうという発想にそもそも無理がある、と私は思っています。強いて言えばこの世から卒業する事(死ぬ事)にたどりつくのだと思っています。
家事は仕事と違ってずばり生きる事。トイレに行ったり、歯を磨いたりしてもどこにもたどりつかないのと一緒です。
もちろん自分が誰かに家事をやってもらっているのであれば、家事担当者に「ありがとう」とか「美味しい」とか言うのは非常に有効です。そんな一言で家事担当者はモチベーション爆上がりです。家事育児を外注すると年間1000万円ぐらいかかるらしいので、そんな一言でやってくれるのなら正にお安い御用です。
しかし家事担当者としては「美味しい」や「ありがとう」を人に求める事は「おトイレ上手にできまちたねぇ~」とか「歯を磨けるなんて偉いでちゅねぇ~」を求めているレベルだと認識する。ま、自分&人の為にやっているのですから、そんな一言が欲しくなっちゃうのですけどねぇ~。
ただ「家事は何のためにやるのか」を「家族のため」と割り切れているうちは簡単です。
最近子供が大きくなってきて、夜家に1人でいる時などに「このまま家族がいなくなったら、私はただ自分を生かすだけの生活に耐えられるのだろうか?」とふと不安になる事があります。正にどこにもたどりつかない感。
でもこの考えを深く掘ってみると結局「人は何かの役にたっていないと生きている価値がない」という発想にたどり着くのだ、とわかってゾッとしました。
人は朗らかに生きているだけで価値がある。
そういう発想を自分に植え付けていかないと、この先年老いて生きていく事が辛くなるだろうなぁ、と思うのです。
そしてみんながそう思う社会はいいなぁ、と思うのです。
どこにもたどりつかない家事という労働を淡々とこなして生きていく
そういう事に意味を見出すのが、私のこれからの「家事はなんのためにやるのか」の答えではないのかな、と思いました。
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