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家事は何のためにやるのか

先月やった家庭料理の話をするワークショップで、ある男性が「家事そのものの目的」について話をされていたのが印象的でした。やること自体はまずまずやれているし日々は回せるけれど、料理をし続けてこの先どうなるかというものが何もない。どこにもたどりつけない感じがする、というのです。

これは家事という仕事の非常に大きな特徴です。

家事は、料理、洗濯、掃除、買い物、やりくり、育児…と多岐にわたります。ただ、どれもプロ並みの技術を求められているわけではない。日常生活で不足したものをなんとかするということでよいのです。雑事といえば雑事であって、その先がありません。料理を極めたら料理人や料理家になれるのかもしれませんが、それはそれで家事の目的からは大きく外れてしまいます。

少し前まで家事は女性の生きる道でもあったから、そこには「生きるため」という家事の理由がありました。
現代は、男女ともに外でお金を稼ぐ時代です。女性も料理や裁縫より専門知識や資格を身につけるようになりました。社会の価値観がすぐに変わるわけではないから仕事をしながら家事も一手に引き受けることになり、そこに女性たちの大きな不満が溜まっていたのがここ数十年ではなかったでしょうか。

でも、そこからさらに世の中の価値観は変わり、家庭によっては男性も家事に積極的に関わるようになってきています。冒頭で紹介したような男性の声が聞かれるようになったというのは、私には新しくて素敵な時代のように見えています。

これまでの役割分担上、企業などで働いてきた時間の長い男性に「それを何のためにやるのか」という考え方をする方が多いと感じます。女性の場合、家事が無意識に上の世代から受け継がれてきて「家事の先にあるもの」については深く考えてこなかった。だから家事をどうやるかという話はしても、何のためにやるのかという議論はこれまでほとんどなされてきませんでした。

もちろん、家事の話で一番重要なのは「どうすればいいか」なのですが、時代が切り替わりつつあるいま「何のためにやるのか」という家事の価値や意味についても、再度考えることが案外重要ではないかと考えます。多くの人の意見を聞きたいと、このような対話型のワークショップをはじめたのもそんな理由です。

少しこれまでと違う視点がほしいということと、男性が語る場が少ないという理由で男性限定の形をとっていますが、ご夫婦で参加してくださるのも歓迎です。(今後は性別なしのイベントも増やしていく予定です)

軽い料理もお出しするつもりです。日曜の夕方、谷中散歩のついでに気軽にご参加ください。

読んでくださってありがとうございました。日本をスープの国にする野望を持っています。サポートがたまったらあたらしい鍋を買ってレポートしますね。