【生活感想文】キッチンの扉を丁寧に閉めるチャレンジ
ららみぃたんさんの「釈迦の化身」という記事を見つけました。
私にはあるかなぁ、と考えていて皆様程の「人生観変わる」とか、「内観」とかではないのでちょっと違うかなぁ、と思いつつ、思い付いた事があったので、私が忘れない為にここに記しておきます。
私は結婚以来夫に「生活音がうるさい」と言われ続けています。
特に言われるのが
ああ、なんて小さなネタなのでしょう。。。
これに対して私は「こちとら大急ぎでご飯を作っているんでい!扉の開け閉めまで気にしてられっか!!」と何故か江戸弁で心の中で反論(明らかに先方が正しいので反論は心の中で)。スルーし続けてきました。
一応扉の裏にクッション貼ってみたり、「ソフトクローズ」という金具があるらしいよ、と提案してみたりはしていますが、いずれも「静かに扉を閉めれば良いだけの話ではないか」という反応。ごもっともなのですが、私には「静かに閉めよう」という発想がそもそも無い(今考えるとこれも何故?)。平行線をたどっておりました。
しかしこの「釈迦の化身」という発想から考えると、伴侶となった目の前の夫はお釈迦様。お釈迦様が私に何と20年も(!!)言い続けている言葉には何か意味があるのではないか?
(それにしても20年言い続けている夫も夫ですが、スルーし続ける私も私です)
確かに扉の開け閉めが静かな人は美しい。私にとって「美しい」とは正義です。
そしてこのnoteで何度も目の前の事を丁寧にこなす事の重要性について書いている。
しかももう泣き叫ぶ赤子もいない我が家で、そんな大急ぎで食事の支度をする必要があるのか?
あれ?これは私は「キッチンの扉を丁寧に閉める」チャレンジをするべきなのではないか?
丁度子供も手が離れてきて何か新しい事を始めたいなぁ、などと思っていた矢先。このチャレンジであれば無料で即実行できるではないですか!!
そう思って始めてみてチャレンジ5日目です。
私の大敵は物忘れと面倒臭がりです。
朝などボーっとしていると扉を投げ閉めている。又は料理に集中し始めると投げ閉めている。でもたいした進歩だと思うのはその「バタン!」という音に気付けるようになった事。
ああ、忘れてた忘れてた、と思い直します。
そしてよく言われる「物をぞんざいに扱う事は、自分をぞんさいに扱う事だ」というのも何となくわかるような気がしてきました。
物をゴンッって置くのって物をぞんざいに扱っているとも言えますが、確実に反動は自分に返って来るので自分をぞんざいに扱っていますよね。日々自分をどついている、とも言える。
もしかして物を丁寧に扱えるようになったら、もう少し心穏やかに過ごせるのかもしれない!そんな希望も見えてきました。
日本の修行は型から入るものが多いですし、夫というフィルターを通して私専用にカスタマイズされたお釈迦様の教えですから、もしかしたら意外な所にたどり着けるかもしれない!(と自分を鼓舞)
とは言えやっぱり面倒だったり忘れちゃったりはあるので、当面の目標は、最低限お釈迦様(夫)が家にいらっしゃる時は「丁寧に閉める」を頑張るぞ!という事。
何だか場当たり的ですが、今年の私の目標は
「志は高く、落としドコロは低く、よくかもう」
ですので、この辺りが私の落としドコロだと思っています。
習慣は3ヶ月で身に付く、とも言われますしとりあえず3ヶ月頑張ってみるぞー!とnoteで宣言です。
そう言えばその前から始めていた「よく噛むチャレンジ」はだいぶ習慣づいてきた気がします。噛みの足りない大きな物を飲み込むと何となく違和感を感じるぐらいになってきました。
何だか私のnote総括みたいになったこの記事のチャレンジはやっぱり続ける意味がありそうです。
私の大変低い目標の話にお付き合い頂き、ありがとうございました。
そして私にとって20年越しの小さな一大決心をさせて下さいましたららみぃたんさんありがとうございました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?