センス・オブ・ワンダーを心に灯そう。歩かないと見えない景色。
木の葉がくるくると回りながら舞い降りてくる。
下を見れば色とりどりの落ち葉。カシャっカシャっと心地よい音が耳に響く。
あっ。強い風が吹いてきたと思ったら、落ち葉がカサカサと音を立てながら一列になって波のように迫ってきた。
息子がきゃっきゃっとはしゃぎながら、その落ち葉の波を飛び越えては目を輝かせている。
私が最も幸せを感じる瞬間。
散歩を日課にしています。平日は仕事の合間にリフレッシュがてら一人で。休日はたいてい家族と出かけたり、用事がなくてもフラっとその辺をうろうろ。
このあいだはTXつくば道クイズウォークというものに参加しました。筑波山の中腹にある筑波山神社への参道であるつくば道をクイズに挑戦しながら歩きましょう!というイベントです。
色々寄り道した結果、なんと1日で2万6千歩も歩きました。本来90分とされている道のりを5時間かけて。
ヘトヘトです。ヘトヘトだけど、それ以上の出会いと喜びで溢れた本当に楽しい一日になりました。道中で見つけた数々の小さな秋。全身で感じる空気。徐々に長くなる影。
歩くことはセンス・オブ・ワンダーを目覚めさせる一番の近道だと思っています。
私がとても大事にしているセンス・オブ・ワンダーという言葉。
元々は、アメリカの生物学者レイチェル・カーソンの言った言葉です。環境問題を初めて世に喚起したといわれる「沈黙の春」という著書は有名なので知っている人も多いのではないでしょうか。
センス・オブ・ワンダーは「神秘さや不思議さに目をみはる感性」とか「自然に対する驚きの感覚」とか「自然に触れることで受ける、ある種の不思議な感動、または不思議な心理的感覚」などと訳されています。
正直、日本語にうまく訳すのが難しい。私もいつも説明するのに少し困るのです。
自然や生き物を見て、わぁー!と胸が熱くなる感じ。何かを見て感動できる心。自然への畏怖の念。色々な言い方を模索してきました。
でも感性・感覚と言われているように、センス・オブ・ワンダーは感じるもの。言葉ではなかなか説明が難しいのです。
そして、意図してできるようなものでもありません。心に火が灯るように、ホワッと湧き上がってくるものだから。時には業火のように燃え上がるときもあります(私の場合は海の生き物関係のときはこんなかんじ)。でもたいていは小さな灯火。
この小さな灯火は、忙しなく動いていると見過ごしてしまうように感じます。
レイチェル・カーソンは、こどもはみなセンス・オブ・ワンダーという宝物を持って生まれてくる。でも多くの人が大人になるとこれを鈍らせ、ときには失ってしまうと言っています。
こどもを見ていると、そのセンス・オブ・ワンダーの豊かさに本当に驚かされます。まさに先生です。それは何にも囚われないゆっくりとした時間の中で過ごしているからではないでしょうか。目線が地面に近いからではないでしょうか。
忙しい大人たちは、周りを見るどころか、自分の中の小さな灯火にさえ気づくことができません。
だから歩きましょう。何も持たずに、ゆっくりと。
歩くと今まで見えていなかった豊かな景色が見えてきます。田舎だとか都会だとかは関係ありません。肌に当たる風の粒をひとつひとつ感じてみてください。空に浮かぶ雲の行方をぼんやりと眺めてみましょう。毎日通るその道にある植物は今どんな状態ですか?鳥たちの会話が聴こえてきましたか?
人生に飽きることのない、感動の旅人へ。その一歩から。
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