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『セガ』じゃねぇ、『コンパイル』だ

このタイトルだけで、何のゲームの話か分かった皆様。
多分貴方は、私と同年代かそれ以上の方なのではないかなと思っている。

25年前を振り返る

note公式さんが、『#自己紹介をゲームで語る』の特集をされていた。
付けられたキャッチコピーは、『このゲームが、わたしのルーツ』
そう言われれば、つい筆も取りたくなる。
何故なら今の私があるのは、とあるゲーム会社のおかげだからだ。

その会社の名前は『コンパイル』。
残念ながら今はもうない会社だが、代表作『ぷよぷよ』を作った会社だと言われれば「あー、あれね」とおっしゃって下さる方も多いだろう。
私はこの『ぷよぷよ』というゲームに惚れこんでいた。

どこから、何故惚れこんだのか?
実はスタート地点はあまりよく覚えていない。
そもそも我が家において、ゲームは弟がやるものであって、姉の私はそれを横で見ている事の方が多かった。親に差別されたといった話ではなく、単純に私が「見てる方が好き」な子どもだっただけである。
弟はどのゲームをやらせても上手くて、私は「こいつすげぇなー」と思いながら見ているのが楽しかった。
後、自分がやると失敗しそうで嫌だった。

件のぷよぷよというゲームにおいて、弟がハマっていたのがきっかけで……という話は特にない(尚、上手かった。日曜日の朝に小学生の私が起きていくと、確かまだ幼稚園児だか小学校低学年だかの弟が、『とことんぷよぷよ(1人で延々とぷよを積んでいくモード)』をレベル99まで、実質カンストさせていた光景が衝撃で、今だに忘れられない)。

対戦も出来るけど、1人プレイで遊びやすいゲームだったのが良かったのかもしれない。キャラクターが可愛かったのが良かったのかもしれない。
とにかく、『ぷよぷよ』は私が自らプレイする、数少ないゲームの1つだったのだ。

思えば、私は今もパズルゲームが好きだ。
多分ぷよぷよのせいだと思う。

20年前を振り返る

とはいえ小学生時代は、そこまで『ぷよぷよ』というゲームに、その世界観に対してハマりこんでいた訳ではなかったように思う。
じわじわと『好き』が溜まっていって、それが自覚として表れたのは、確か中学生になってからの話だ。
やっぱりきっかけは覚えてないけれど。

『小学生の私』という生き物も、今と変わらず絵を描くことが好きだった。
ただ、動物キャラクターを描いてばかりだった。
それが『中学生の私』に進化すると共に、人間を描く事が増えていった。
その頃初めて、漫画原稿用紙を買った。
Gペンを買った。
スクリーントーンを買った(手ではどうしても描けないものをトーンに頼ろう、という思考のみで、あろうことか、初めてのトーンにモザイクを買ったのを覚えている。結局えっちな作品を描くことがなかったので、全然使われなかった)。
そうして、初めての『同人誌』を作った。
『ぷよぷよ』で。

拙い出来だが、セリリがお友達を作ろうとする話だった事だけ覚えている。
ウィッチの魔法でドタバタするコメディものだったはずだ。
それを携えて、イベントに出てみた。
友達の家に泊まり込みで作業をして、途中で私が寝てしまって準備が間に合わなくて、先方のお父さんに呆れられたのもよく覚えている。
ちなみに全然売れなかったどころか、唯一買ったのが親だった。
(あれ捨ててくんねぇかな……残念ながら私も親になってしまったのでよくわかるけど、無理だな……)

初めての同人誌販売は惨敗だったけど、その後も『ぷよぷよ』で沢山絵を描いた。漫画を描いた。同人誌を作って、イベントに行って。
そうして『ぷよぷよ』の世界にのめり込みながら、絵の腕を上げながら、私は学生生活を謳歌していった。


15年前を振り返る

さっきから『ぷよぷよ』と纏めているけれど、元々このゲームが『魔導物語』というRPGの派生作品だと知っている人はちょっとコアなファンだ。
私は『ぷよぷよ』のゲーム性も好きだったけれど、最終的にはキャラクターの魅力に溺れていった所が強かったので、こっちにも可能な限り手を出した。既に廃盤のモデルも多かったので、必死だった。
『ぷよ・魔導』と名のつくものはなんでも買った。
古本屋巡りをしては、攻略本のコーナーを必ず見た。買い占めた。
既にプレイステーションの時代になっていたにも関わらず、中古屋でゲームギアを入手した。電池を6本も入れたのに、バッテリーが瞬殺された衝撃。
慌ててACアダプタを購入した。
小説、漫画作品の数々。商業アンソロジーも手に入れた。
当時のおこづかいでどう回していたのかはあまり覚えていない。
メルカリは当時にはなかった。全て自分の足で駆け回って集めていた。

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記事を書くにあたって引っ張り出してみた。
めちゃめちゃでかい……と言っても今なら任天堂Switchくらいか。
ただし、分厚い。液晶は小さい。時代を感じる。

こうして『ぷよぷよ・魔導物語』という作品を越えて、そもそもの制作会社である大元の『コンパイル』という会社を、丸ごと愛した。
『ももも通販』を利用して食べた『ぷよまん』は美味しかった。
『ZANAC×ZANAC』というシューティングゲーム等、ぷよぷよ以外のゲーム作品も購入した。『ディスクステーション』に詰め込まれたミニゲームの数々も楽しかった。
サントラに何故か入っていた社長の演歌すら好んで聞いた。
何より『コンパイルクラブ』という会報に投稿しまくった。
殆ど読者の投稿ハガキだけで成り立っている、薄っぺらい会報誌なのだけれど、それがかえって身内ノリで楽しめる空気感で楽しかった。
会社が発行している公式の雑誌のくせに、『地下版』と呼ばれる、ちょっとアングラめいたバージョンを用意しているノリも好きだった。

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これも引っ張り出してみた。
今改めて軽く読んでみたけど、多分今ならTwitterに転載画像が出回って炎上する。メインキャラクター(♀)が、特に理由もなく突然6歳児(♂)の死体のボディを取り付けられて、おしっこの仕方が分からず困惑した結果『もらせば解決』をオチにするなんて漫画が公式から出てるの、どう考えても頭がおかしい。
でも、面白かった。

イベントで仲良くなった人が、その『コンパイルクラブ』の過去誌(地下版含む)やご自身のお持ちのグッズを大量に詰めた段ボールをサプライズで送ってきてくれて叫んだのも忘れられない。
(その人は丁度ぷよぷよの同人界隈から引退しようとしていたので、先方としても丁度よかったのだろうけれど、丁度クリスマスの日の朝にとんでもないお宝が届いてしまったので、当時の私からすればものすごいサンタさんの登場だった)
『コンパイルクラブ』の読者抽選で、1,2を争うくらい尊敬していた方の色紙が当たった時の衝撃も、ずっと覚えている(色紙はまだ持ってる)。
雑誌の編集長が『んあら』さんという方だったのだけれど、届いた封筒の中に『誕生日おめでとう。受験頑張ってね』と小さくメッセージが書かれていた時、封筒を握りしめて泣いた。
本当に身内ノリが強い、小さな世界だったと思う。
でもそれが、本当に心地よかった。まだ10代の小娘に、色んな人が優しくしてくれた世界だった。

又、当時は『個人サイト』が主流だった。
HTMLの打ち込みを覚えるのが面倒で私は作らなかったのだけれど、色んな『同盟』とか『リンク』とかが流行っていて、知り合いが増えていった。
この頃から、今も仲良くしてくれている友達が何人もいる。
その友人たちの何人かと、毎晩『チャット』をした。
『絵チャット』をしながら、個人個人と別窓でのチャットで話し込み、気が付けばPC画面を切り替えながらの同時4面チャットとか平気でやってた。
私のタイピング、『マシンガンみたいな音がする』と言われた事がある程度には速いのだけれど、確実にここで鍛えられている。

そんな友人たちと、ある日話した。
「みんな、どのへんに住んでるの?」

 「私、神奈川!」
 「私も」
 「私、埼玉」
 「私は千葉」
 「私も神奈川」

当時私は関西に住んでいた。

「よし、上京しよう」

東京の大学を受けに行きたいと、決めた理由の9割がこれだった。
結局受かった。予定より良いランクの大学に通ったので最終的に親はめちゃめちゃ喜んでくれたけど、今でもこの件に関しては、割と親不孝者だったと思う。
しかも私立大学だし。なんてやつだ。


現在、33歳。

あれから大学生活を経て、社会人になって、私の『ぷよぷよ・魔導物語』への熱は少し落ち着いた。勿論、今も好きではあるけれど。
そもそも、『コンパイル』という会社が倒産した
いつか広島の本社に行ってみたいという密かな願いは、叶わず散った。

そして倒産してから何年も経った後、突然セガが『ぷよぷよ』の権利を引き取ったと聞いた時は仰天した。えっ今更?って思った。
でも蓋を開けてみれば、セガさんは一度死んだと思ったぷよワールドを、かなり良い形で蘇らせてくれていた(たまに解釈違いはあるけどまぁそれはしょうがない)。すごい。こんなことあるのか。
有難うセガさん、ぷよクエ楽しくやってます。
ぷよクエカフェも行きました。まさかの、今の私のメインジャンルである『おそ松さん』とコラボしてくれる事になるとは思いませんでした。あの時の記念クリアファイルが当選したので大事に持ってます。
感謝が尽きません。

そう、セガさんに感謝は尽きないけど。

それはそれとして、

私の絵の腕を上げてくれて、
タイピングの腕を上げてくれて、
サプライズされる喜びを教えてくれて、
かけがえのない友人との出会いの場をくれて、
うっかり上京のきっかけをくれたという事は、ひいてはそこから今の会社への就職、ついでに旦那さんとの出会いにも繋がるきっかけをくれて、
たくさん笑ってたくさん泣いて、
色んなことに熱くなって、
それからそれから、

そういう書ききれないほどの沢山の『私のルーツ』をくれたのは、『コンパイル』という、私の最愛のゲーム会社だ。

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