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センスのない私が、noteはじめました 4

【転】


世の中をよくするために必要なのは『道徳』。

さて、私に何が出来るのか。

気持ちだけが空回りする悶々とした日々。そんな時、突然、世界が謎のウィルスの脅威にさらされた。

今でこそ、敵の正体はだいぶ解明されてきたが、発生当初は謎だらけだった。

謎の敵は人々の心を恐怖でいっぱいにし、人々から余裕やモラルを奪おうとした。勿論、私も例外ではなかった。そんな中で『道徳』の必要性をより強く感じ、何かをせねばという焦りも感じるようになった。

ある時、気付いた。
何かを成そうとするから、出来ることが見つからないんだ。そもそも私なんぞに何か成せるわけがない。結果は気にせずやってみればいい、と。

私のやることなんて世の中から見たら微々たることで、良薬になることもなければ猛毒になることもないだろう。だったら、気になったことをドンドンやってみよう。

もしかしたら、薬を作りたいと思って行動していれば、良薬は無理でも健康食品を作れることがあるかもしれない。そんな淡い期待を胸に残したまま、とにかく思いついたことをやってみようと決めた。

その日、とある広告を見かけた。「他人とズレているくらいがちょうどいい」という電車の時差通勤を推進する広告だ。

それを見た私は「そうだよね。ズレててもいいんだよね。下手くそでもいいんだ。『道徳』の大切さを感じているなら、それを自分なりに伝えてみよう。私は無力でも、もし同じように『道徳』の大切さを感じる人が増えれば、大きな力となり世の中はきっとよくなるはずだ。」と、なんとも自分勝手な解釈をした。

そんなこんなで、ズレてる私は、世の中をよくする手段に「『道徳』の大切さを伝える」ことを選んだ。

とはいえ、私、かなり内向的。内弁慶。アナログ人。伝えるって…どうするの?から始まった。

そこで、改めて考えてみた。『道徳』を伝えるためには何をしたらいいのだろう。

『道徳』は流行を追うものではなく不変的なもの。瞬間を共有する派手な方法ではなく、地味でも長く愛される方法が良い。

そして、対象は老若男女問わず全人類。なんなら全動物に受け入れてもらえるものを発信したい。

それから、出来たら根性なしの私が続けやすい方法がいい。

さて、そんな都合のいい話、どこにあるんだろう。どうやったらいいんだろう。またもや躓いた。

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