ヤスモノ映画大先生

先般、香港映画界の大物であるバリー・ウォン(王晶)大先生の「カンフー麻雀」を失礼にも「500円映画劇場」で取り上げ、あまつさえヤスモノ呼ばわりしてしまいました。ごめんなさい。

そこでお詫びがわりに、大先生の全監督作品を調べて、ご紹介しようと思った次第。まずは下の表をご覧いただきたい。

なかなか壮観でしょう (表のはしっこに「公」とあるのは日本劇場公開作品で「未」とあるのは日本ではソフト販売のみの作品)

いやしかし、こんなにあるとは、正直いって予想以上でした。かなり多いだろうと予想はしていたんですがね。

こういうときにいつも重宝しているアメリカの映画データベースIMDBは英米作品には強いんですが(当たり前か)アジア映画にはやや心もとなく、また肝心のアジア映画そのものがアメリカあたりでは改題されたり改変されたり改造されたりして原型がわからないものが多かったりするので、まったく頼りにならず。

そこで今回は香港映画のデータベースであるHKMDBで探して、日本での公開状況はおなじみオールシネマさんや他のサイトを併用してみました。

なんでそんなことをしたかというと、この巨大な作品群、詳細がじつにいいかげんで、よくわからないのであります。

わが国でも、大先生の作品は、劇場公開されたり、映画祭で上映されたり、いきなりビデオやDVDで発売されたり、テレビで放送されたりと、さまざま過ぎるパターンがあります。まあこれは香港映画をはじめとするアジア映画では、けっこう当たり前のことですが。

いちおう劇場公開されたらしい映画の邦題を赤い字にしておきましたが、映画祭や特集上映のみの公開作品も混じっているかも知れませんのであしからず。

ちなみに、資料によっては大先生の監督作品とされているもののなかにも、じつは製作のみだったとか脚本だけだったとかいうのもけっこうありました。劇場公開された「ミラクル・マスクマン」や「ネイキッド・ソルジャー」とかね。

もっとも、大先生の監督作品には共同監督作品なんかもけっこうあるし、その実態ははてしなく不透明ではあります。

そしてこの監督作品、総数なんと100本です。おお、すごい、ジム・ウィノースキー(ヤスモノ映画大将軍)と同じじゃないか! ジム将軍とほぼ同じころに監督稼業を始めているのは、偶然であろうか(ジム将軍は1986年の監督デビュー)

だがこの大先生がスゴイのは、ロジャー・コーマン帝王に使われてばかりの将軍ドノとは違い、自ら製作、製作総指揮、脚本、出演などなどもやっている点。なにしろ自分の映画会社もちゃんと持ってるんだから。なので、かかわった映画の作品数はこれよりもはるかに多いわけです。いや、この監督作品の本数だけでも十二分に凄いのに。

HKMDBによれば、大先生のプロデューサー作品148本、脚本作品170本だとか。もう目まいがするよ。

さて、そんな大先生の作品も、日本公開率が5割を切っているあたりが、やっぱりちょっとヤスモノ系なんだよね。あと邦題がわりとB級臭ただようのも、大先生らしいところ(「男たちのバッカ野郎」とか「イージーな彼氏たち」とかね)

私自身、さすがに全部見ているわけではないが、あくまで個人の感想として、不遜ながら大先生の監督ベスト作品を選ばせていただこう。

ベストが「ゴッドギャンブラー 賭神」であることに異論はないだろう。香港映画で興収新記録を打ち立て、ギャンブル映画の大ブームを巻き起こした紀念的作品。大先生もずいぶん儲けたんじゃなかろうか。

出来ばえも、大先生のベストと言ってさしつかえないと思う。まあちょっと中途半端なコメディ色はあるが、主演のチョウ・ユンファのカッコよさを堪能できるし、アクションもバカに出来ない。どうしてどうして、ちゃんとした映画なんですよ。

で、自分で巻き起こしたブームに、何の遠慮もてらいもなく乗っかるのがこの人のいいところ。「ゴッドギャンブラー2」とか「3」とか、自ら自作のパロディに走っているあたりが、いかにもだ。このへんも捨てがたい作品だ。

このうち「ゴッドギャンブラー2」(賭侠)は、私が香港の映画館で初めて見た映画なので思い出深い。けっこうスリリングかつアホらしい映画ではあるので、このへんはまたの機会に。

同じく香港で見た古装片(時代劇)コメディ「広州殺人事件」(九品芝麻官 白面包青天)も思い出深い。ブレイク中だったチャウ・シンチーの新作として面白く見たのだが、帰国してからいろいろ調べてみて、やっとその映画の真の仕組みが分かったような次第だった。ソフト発売されているとは知らなかったので、今度じっくり見なおさねば。じつに香港映画は奥が深い(まだ情報が少なかった時代だったせいなのだが)

まあその他にも、まだ私が見ていない映画のなかに「知られざる傑作」があるかもしれない(ないかもしれないが)ので、ぼつぼつ見てみようかな、老後の楽しみに。

そして、ここでビックリ情報を。

バリー・ウォン大先生は、じつはバリー・ウォンじゃなかったという話。

われわれ香港映画マニアは、大先生の売り出し時期から長年のあいだ、ウォン・ジン(王晶)のことを「バリー・ウォン」と呼んできたんですが、じつはこの呼び名は間違いだったらしい。

いや、今さらそんなこと言われても(笑)

たしかに、HKMDBでもIMDBでも、英文表記は「Wong Jing」または「Jing Wong」であって、「Barry Wong」という表記はほとんど見当たらない。でも日本では、オールシネマでもMovie Walkerでも日本語版wikiでも、見出しは「バリー・ウォン」

いったいどうなってるんだ?

ここでいちおう解説しとくと、長く英国の統治下にあった香港では、住民のほとんどが英語名を持っていた。なんでも英国人の先生が学校で呼びやすくするためだったとか。植民地っぽいですねえ。

「ブルース」リー(李小龍)とか「ジャッキー」チェン(本名の陳港生に由来)とか「ジョン」ウー(呉宇森)とか、みんな英語名アリですね。

逆に、チョウ・ユンファ(周潤發)とかチャウ・シンチー(周星馳)とかは英語名なしなんですね(もっともチャウ・シンチーは「スティーヴン」チャウという英語名もあるんだけど浸透してない)

ちなみに「サモ・ハン・キンポー」は「サモ(Sammo)」が英語名で、「ハン・キンポー(洪金寶)」が中国語名。

で、ウォン・ジン大先生の英語名が「バリー・ウォン」だというんだけど、どうやらこれが日本限定の表示らしい。へえ、知らなかった。

ひょっとしてこれって、誰かがどこかで間違えたんじゃないか?

じつは、ほぼ同時期に日本に紹介された人気脚本家に同姓同名の「バリー・ウォン」がいる。こちらは「黄炳耀」だが、ジャッキー・チェンやサモ・ハンの人気作品の脚本を手がけており、仕事のクオリティは高いし評価も高い。われわれもこっちが「良いほうのバリー・ウォン」で、大先生は「悪いほうのバリー・ウォン」とか呼んでたのは、絶対に秘密だ。

ここからは純粋な推理。証拠も何もありませんよ。

彼らの作品が日本に紹介されはじめたころは、まだ資料などほとんどなく、香港から入ってくる英文の資料をちまちまとチェックしていた。ファンだけじゃなく、ソフトやムックを作る人たちもほとんど個人的に、だったね。

で、「王晶」を紹介しようとした人が、当時は香港の人にはすべて英語名があると思っていて、一生懸命に調べているうちに、「黄炳耀(Barry Wong)」と「王晶(Wong Jing)」をゴッチャにしてしまったんではないか?

この二人、顔もけっこう似ていたりするし(よせばいいのに、二人ともけっこう俳優として映画に出ていたりするのだ)

まあ「良いほうのバリー・ウォン」はすでに1992年に夭逝しているし、今さらそんなことを追求しても始まらないだろうが、「悪いほうのバリー・ウォン」大先生としては、どう思ってるんだろうか。べつに気にしてないか

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