ブドウ畑にネットが広がった。
農家の朝は早い。
仕事は7時半からなので、6時半には家を出る。
仕事場まで1時間のドライブだが、通勤ラッシュと反対向きなので渋滞は全く無くスイスイと走る。
市街地を抜けるとすぐにのどかな牧場の風景が広がる中のドライブを、僕は気に入っている。
最近はカーステレオを新調して、ブルーツースで好きな音楽を聴けるようになったので余計に嬉しい。
カーステレオを買うにあたり、中古で買って自分でやれば安くあがるなどと考えたが、結局は近所の専門店で買った。
最安値の物ではないが、無駄な機能がついて高いものでもなく、シンプルだがちゃんとした音響メーカーの物を選んだ。スピーカーは古いままだが、これほどまでにと思うほど音が変わった。
さすが音響メーカー。専門性があって当たり前だが、今まで全然興味のない分野の事を少しだけ知った。
毎日2時間を過ごすなかで、心地よい音に囲まれるのは心の持ちようも変わってくる。
QOL 人生の質という言葉があるが、そこにある程度の投資は必要だ。
安い物だけを選んでいればこういう発見も生まれない。かといってなんでも高けりゃいいというものでもあるまい。
やはり大切なのはバランス、そしてそこに価値があるかどうか自分自身の内観とも繋がる。
夏の盛りは家を出る時には明るかったが、この時期になると日の出の時間が遅くなり、通勤の途中、だいたい7時ぐらいに朝日が上がる。朝晩は気温が下がり、日中も陽の光は暴力的になることなく穏やかなものだ。
季節は流れている。
そんな中、ブドウの実はどんどん熟し色づいていく。
見た目が美味そうなのだが、そう思うのは人間だけではない。
鳥たちもそう思うのだ。
鳥がブドウをつつくとそこから病気になってしまう。なのでこの時期、どこの農場もネットをかける。
ネットをかけたら機械が入れなくなるので、それまでにスプレーをしたり下草を刈ったりする。
そしてネット掛けの時は人を集めて、1週間ぐらいでやってしまう。
先ずは色づき始めたピノノワールから、すでに熟したものは鳥につつかれてしまっている。
トラクターの運転手、その後ろで機械を操作する人一名、そしてネットを引っ張って広げてブドウに掛ける人数名。
丘で機械が入れない場所では、丘の上までロール状のネットを運びコロコロと転がして伸ばし、それを数名で広げてブドウに掛ける。
何人かのチームでやる仕事なので、この時は何も聴かずに作業に集中する。
作業にアクシデントはつきものである。作業の途中でネットが破けてしまったり、絡まってしまったり、挙げ句の果てにトラクターがパンクしたり。
いろいろあったが1週間ちょっとで全てのネット掛けが終わった。
丘の上からブドウ畑に広がったネットを見ると、達成感を感じられる。
こういった感覚はやった人にしか感じられないものだ。
例えるなら山に登りきった感覚に似ているだろう。
大きな山には大きな達成感が、小さな山には小さな達成感がある。
大小はあるが、いずれにしてもその人にしか分からない感覚である事に間違いない。
農園には何種類かのブドウが植えられている。
メインはピノノワールとシャルドネだが、リーズリングやピノグリ、マスカットなどもある。
一緒に働いた人が言っていたが、ピノノワールはキロ4ドル50セント、リーズリングはキロ1ドル、良質のピノノワールは7ドルにもなるそうだ。
これは収穫のどの時点での値段なのか分からないが、とにかくそれだけ価格の差があるということだ。
自由市場経済では、多くの人が価値を認めて価格が決まる。
いちゃもんをつける気はないが、何かなあという気持ちは残る。
ちなみにぼくはワインの味は分からない。いや、この言い方は正しくないな。
不味いワインは分かるが、それ以外はみんな美味いワインになってしまう。何がどういうように美味いとか、そういうのは分からない。
超高級ワインとか飲んだことはないが、それを美味いと感じるかどうかは分からない。
万人が認めた美味い物に高い値段がつく、というのは理解できる。ただ高い物が美味いか?と聞かれたら、常にそうとは限らないという答えになるだろう。
不味くても名前だけで売れることはあるし、高い値段をつけた故に売れるということも世の中には多々ある。
値段が高い安いは世俗の話であって、神様仏様から見ればブドウはブドウでそこに上下は無い。
でも僕らは人間界に生きて、資本主義の世の中で働いている。
広い畑を少ない人数で管理するのだから、作業も最優先にピノノワールでリーズリングは後回しとなる。
仕方がない話なのだが、安いという理由でないがしろにされる(実際はそんなにひどい扱いではないよ)リーズリングが可哀想だな。
そんな事をふと考えてしまった。
ネット掛けが終わると、あとは収穫までちょっとの間、のんびりモードとなる。ネットは穴が開いていたり、破けていたりするので、それをチマチマと縫う。
小さな穴は多すぎて面倒見切れないので、大きく破れている所の補修だ。
お気に入りのコテンラジオで織田信長の話とかフランス革命の話とか資本主義の話とかを聴きながらやるのである。
忙しい時もあればちょっとスローダウンしてまったりと仕事をする時もある。
ちょっと手を休め、丘の上からの景色をボーっと眺める瞬間は、何も生み出していないけどこういうのが結構大切なのかなあ、などと思うのだ。
作業の合間に程よく色づいたブドウをつまみ食いすると、けっこう甘くて酸味もあり美味い。
ブドウが色づいてくると、鳥がネットの隙間から入ってきてそれを追い出す作業もある。
だが今年はそんなに鳥は多くない。
近くの国道を挟んだ農場では人手が足りないのかネット掛けをしていないので、付近の鳥がみんなそこに集まっているようである。
おかげでこちらは余計な仕事が減って助かる。
収穫まではもうすぐだ。
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