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#40. 「英語」と「米語」の愛憎関係


バラエティ番組を見ているとよく、「東京の人と大阪の人」や「大阪の人と京都の人」、「福岡の人と愛知(名古屋)の人」など、自分の生まれ育った地方の魅力が相手の地方に勝るものだと、争う企画が多くある。

それぞれの地方の名産品や観光名所、県民性や出身芸能人など、口論の俎上に上がる事柄はさまざまあるが、いま挙げたものの他に毎回必ずと言っていいほど話題になるのが、お互いの使う言葉の違い、すなわち地域の「方言」である。

大阪出身の芸人が東京に出て、番組などで標準語的な言葉遣いをしていると、同郷の者に「お前とうとう魂売ったな」などと言われるそうだ。

また色々な関西弁の間でもやはり、言葉の美醜に関するイメージがあり、「京都の言葉は上品に聞こえる」とか「兵庫の〇〇地方の言葉は汚い」など、そういった話は常に耳に入ってくる。

いずれにしても、みなそれぞれに、自分たちとは違う「言葉」を常日頃から意識しており、それに対してなんらかの意見を持っているということだろう。

英語でこういった地域方言の話になると、絶対避けては通れないのが、「イギリス英語とアメリカ英語の違い」である。

方言というのはお互いにいがみ合う運命なのか、歴史的なものがそうさせるのか、あるいはその両方なのかもしれないが、イギリス人とアメリカ人は本当によく、お互いの英語について意見し合っている。

Brits Vs Americans: Who Speaks Proper English?(イギリス人 vs. アメリカ人:正しい英語を話しているのはどちらか):

この動画では、(もう若干やりつくされた感があるが)Biscuits vs. Cookies をはじめとした「同じものに対する英米における異なる呼び方」についてイギリス人とアメリカ人のペアが、お互いに自分の呼び方の方が正しいんだと言い合っている。

さんざんやり合って 1:43 のあたりでイギリス人の男性が "I think really, it could just be called English and American now."(まあもうシンプルに「英語」と「米語」という風に呼んでもいいんじゃないかなと思うよ)という風に締めているのは平和的解決である(相手のアメリカ人も "Oh, that's fair" と賛同している)。

だがこのように思う人がいたとしたって、本気であれ冗談であれ、二つの英語のいがみ合いに終止符が打たれることはない。

次の動画(Americans Don't Understand English: The Jonathan Ross Show)では、イギリスの人気コメディアン Michael McIntyre が、「アメリカ人は、イギリスから自国に英語を持ち込みはしたが、いくつかの語彙がよく理解できなかったので、それらの単語よりわかりやすくなるように変えた」という趣旨のことを、ユーモアたっぷりに語っていて非常に面白い:

イギリス英語で pavement と呼ぶ「歩道」をアメリカ英語で( side と walk をつなぎ合わせた)sidewalk と呼んでいるのは、「彼ら(アメリカ人)が昔、どこを歩けばいいのか pavement ではわからずに、さんざん車に轢かれた過去があったからだろう」とか、

イギリスでは bin と呼ばれる「ゴミ箱」をアメリカ人が waste paper basket と呼ぶのは、彼らが「なにをバスケットに入れたらいいのかわからなかったからだろう。しかもただの paper ではなくわざわざ waste paper とまで言うんだから、ゴミ箱がそう呼ばれる前はずっと新品の紙まで捨て続けていたんじゃないか」などと言っており、

そんなはずはないと明らかにわかるものの、アメリカでそう呼ばれるよう単語が変わった以上、100% そうではないとも言い切れず、何回観ても笑ってしまう(動画では他にもあと 3 つの単語を説明しているが、どれも漏れなく面白い)。

こういう問題に触れた本(The Prodigal Tongue: The Love-Hate Relationship Between American and British English)を最近読んでいる:

最初の章では、イギリスの大学で教鞭をとるアメリカ人の著者が、これまでイギリス人から浴びせられてきたアメリカ英語に対する罵詈雑言を、所狭しと並べている:

English is under attack from American words that are "mindless", "ugly and pointless", "infectious, destructive and virulent". American words "infect, invade, and pollute".
英語はアメリカの「愚かで」「醜くて無意味で」「感染性があり破壊的かつ猛毒をもった」語彙に攻撃を受けている状態である。アメリカの言葉は「人から人へと移り、[英語を]侵略し、そして汚染しているのだ」。

ここまで来ると、さすがにアメリカ英語がかわいそうになってきてしまうが......

それはさておき、こういった非難を聞き続けてきた著者が、イントロ部分の締めくくりとして、英米の言葉の違いについて述べているスタンスが素敵である:

What if, instead of worrying about the "ruination" of English by young people, jargonistas, or Americans, we celebrated English for being robust enough to allow such growth and variety? What if instead of judging people (including ourselves) on the basis of pronunciation or grammar, we listened to what they had to say and enjoyed how they said it? What if instead of tutting, we marveled?
若者や専門用語を使いたがる人、そしてアメリカ人たちによる英語の「破滅」を憂う代わりに、英語という言語がいまのような成長や多様性をもつことができた、その逞しさを褒め称えてはどうだろう。他人(自分たち同士を含め)を発音や文法で品定めする代わりに、彼らが言いたいことに耳を傾け、またそれをどのように表現するかを楽しむことがもしできたら。チェッと舌打ちをかます代わりに、[お互いの言葉の違いに]感嘆してはどうだろうか。

英米間の話に限らず、このような心の持ちようは、(世界各地で英語が話される中)否が応でもさまざまな英語に触れることになる英語話者全員が、念頭に置くといいのかもしれない。


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