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#43. 声に出したくない言葉


言葉をこよなく愛するからこそ、使いたくない言葉がある。

『声に出して読みたい日本語』という名の書籍がむかし有名になったことがあるが、

逆に「声に出して言いたくない日本語」、というか「使いたくない日本語」というのが、自分の中にはたしかにある。

まず一つ目は「〜させる」という言葉。だれかに「取りに行かせる」だとか「買いに行かせる」、あるいは「 ○○ をやらせる」という風によく使われる。

ただこの言葉は、なんとなくエラそうな感じがするというか、させ「られた」側の気持ちになって聞いてみたとき、決して気持ちいいものではない。

A「あの荷物どうするの?」
B「あ〜、C に取りに行かせるよ」

もしこの会話を C さんとして聞いたとしたら、そこはかとなく自分の存在が軽んじられている印象を受け、控え目に言っても不愉快である。

だから自分はこのような状況になったときには、「〜してもらう」という言葉で言い代えるようにしている。

A「あの荷物どうするの?」
B「あ〜、C に取りに行ってもらうよ」

これなら C さんがもし聞いていたって、さほど嫌な気にはならないだろうし、むしろ B さんの「わざわざ C にやってもらわなければ成り立たない」という気持ちから来る、後ろめたさや感謝の心が感じられてよい。

そして二つ目は、(個人的にはこちらの方がより嫌悪感が強いのだが)「〜してあげる」という表現だ。

「やってあげる」、「教えてあげる」、「つくってあげる」など、日常的によく耳にする。

この言い回しも先ほどと同様、どこか「こっちが譲歩しているんだ」という上から目線なニュアンスがあり、聞いていてあまりいい心地はしない。

たとえば、だれかが何か遠くのものを取ろうとしている状況で:

「あ、大丈夫、ぼくが取ってあげるよ」

と言うと、言われた側には「君のためにわざわざそうしてあげる」というように響き、これは甚だよろしくない。

言い代えはとても簡単で、シンプルに「あげる」を取っ払ってしまうといい。

「あ、大丈夫、ぼくが取るよ」

先ほどの押し付けがましさは、一瞬にしてなくなった。ただ単に「ぼくが取った方がいいと思うから取るんだ」という風に聞こえる。

これらの表現を意識して使わないと決めた当初は、「〜させる」も「〜してあげる」も、日常にあまりに浸透し過ぎて、使わないなんてできるだろうかと思っていたが、

いざやってみると意外にも、言い代えを使ったりその言葉尻をはなから消し去ってしまうことで、ほとんどの会話に支障は出ない。

出ないどころか、上から目線でエラそうな言い回しが自分の言葉から消えるので、他人とのコミュニケーションが良好になった気さえする。

優れた料理人の持つ舌が美味しいものとそうでないものを敏感に感じ分けるように、言葉を磨いていこうとする者としては、(日本語にしても英語にしても)多少の言葉の好き嫌いくらい、あって然るべきだろう。

人は言葉とともに生きているし、言葉の力は絶大だ。だから自分は、常に言葉に繊細であり続けたい。


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