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「必要だったこと」が「趣味」になった話

まずこのテーマについて語る前提として「必要なこと」「趣味」がどのような存在なのかを考える。

「必要なこと」=目標を達成しようと思えば思うほど、避けては通れない道。
「趣味」=本人の楽しい目的のために、本人の楽しいことを行うこと。

つまり目標や目的のために行うことが、楽しい時には必然的に「趣味」にな
り、楽しい時も苦しい時もある時は「必要なこと」になる。


自分にとって二つの観点を往来することになったきっかけは建築家を目指していたという事実だ。

建築家を目指す中で「必要なこと」の例として、

構造 模型作り 建築物 法律

などを学ぶことが挙げられる。

その中で自分は建築物を学ぶという点にとても興味が湧いた。もちろん構造を学ぶことなども楽しかったが、最終的には建築物を学ぶことが好き、というようになっていた。

だが建築家を目指さないとなった時、これらの「必要なこと」はしなくてもいいものに変化した。建築物を学ぶためにいろいろな美術館を巡っていたこと、図書館でさまざまな図書を借りたことなどはしなくてもいいものになった。

そして次第に建築という分野から離れていった。

しかしその1ヶ月後、自分は建築物からは完全に離れることが出来なかった。

暇さえあれば面白そうな展示を探したり
行ったことのある美術館ではどのような展示が行われているのかを検索したり
美術館のそばに用事がある時にはどんな展示が開催されているのか興味が湧いたり

建築家を目指していた頃より行きたくなっているのではないか、というほどに行きたくなっていた。”美術館ホリック”なのだろうか。

そこで自分は気づいた。

元々趣味がないと思っていた自分は趣味を探していた。
しかしこの経験からこのような流れで趣味を見つけることが出来るのか、ということを学んだ。

「必要なこと」が「趣味」に変わったことで、ブラッターチーズが弾けるように、本来の自分が飛び出てきた。そしてそのチーズを食べて味を知る人のように、自分の中の他の自分がその表現を認識する。

そんなような気がする。

ただチーズの味わいをどう他の料理に生かしていくべきなのか。
気づきをどう他に活かしたらいいのだろうか。

まだまだひたすらカンガエル。

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