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落とし所をどこにつけるか

 最近ジェンダーアイデンティティが揺らぐことがあっていろいろ考えていたが、この性別違和に対して具体的に何か手を打つことは、少なくとも当面はしないと思う。

 その理由を以下に整理してみる。

 まず現状では人との関わりが少ない。性別移行の理由として、一般的にはパートナー関連の問題が結構な重みを持っている場合が多いと思う。パートナーを見つけるにしても、性的な関係を持つにしても、望む性別の形に近い体を持っていたほうが良いだろう。パートナーが異性であれば結婚という形も取れるようになる。

 自分の場合はそこを考える必要がない。現在の夫とは離婚予定だし、今後の人生でパートナーを作るつもりも誰かと性的な間柄になるも特にない。

 しかも仕事は在宅のフリーランスで、人と会う機会がほとんどない。いつか組織の中で働くことになったら職場での扱われ方の問題が出てくるが、今の生活では基本的に自分で自分のあり方に納得できるのならそれで良い。

 第二に治療行為自体のハードルがある。

 出戻りの実家住まいなので、もしもホルモン治療などを受けるにしても、母親にバレないようにというのは不可能だ。母親はテレビにセクシャルマイノリティ的な人が出ていたらわざわざ食らい付いて積極的に差別発言をするような人だ。こちらの状況を理解してくれるとは思えない。理解したらしたで「セクシャルマイノリティの親」という「可哀想な」ラベルを自身に貼り付け、自分を悲劇のヒロインにして、心配という建前で口出ししたり、被害妄想で嘆いたり、支えてもらおうと依存してきたりしそうだ。

 実家を出て一人暮らしするとしたら、今度は犬の面倒をちゃんと見れるのかという問題が出てくる。心も体も不安定な時期に、身近で助けてくれる人もなく、毎日欠かさず散歩に行ったり、14キロの中型犬を病院に連れて行ったりできるだろうか。ただでさえ自律神経系の不調が多いので不安しかない。

 あと普通に手術が怖い。包丁で指先を1センチほど切っただけでも血の気が引いて、横にならなければ意識が保てないくらいなので、どうにかして気持ちの折り合いをつけて手術を避けたいところではある。

 それにあまり男らしい男にはなりたくなくて、可愛い男に憧れがある。女性ホルモン優位のほうが可愛いかもしれない。ワンチャン。

 それから年をとることで生きやすくなってきたという理由もある。「若い女」として生きることは、シスジェンダーであってもハードな経験である。その反面、若いとみなされる期間を乗り切れば、特に男性からの注目度は格段に下がり、かくあるべしという規範の押し付けも緩くなる。

 曲がりなりにも女性として30年以上生きてきて、正直なところ今から男性の社会に入って馴染める気がしない。「なんか男っぽいおばさん」くらいの位置付けで生きていくほうが楽かもしれないと思う。

 この体とも長年連れ添って、ある程度の和解が成立しており、それなりの愛着がないわけでもない。少なくとも今すぐ変えられなければ死ぬような心境ではない。

 胸を小さくして名前を中性的に変えることができたなら、日常的に感じる抵抗感はずいぶん少なくなると思う。いつか叶えたい、叶えられるかわからない夢だ。

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