【小説】大いなる砂の民(砂でできたヒトの話)
雨が流れていく。
砂の身体を構成する粒子の隙間から染み通り、無数の小さな川となり、大地を覆う大いなる砂へ。
少しずつ少しずつ、身体が浸食される。水が粒子を揺り動かし、私の外へと運んでいく。質量がわずかに減った私の意識が拡散する。
「あの……」
顔に降り注いでいた雨が遮られた。大地に寝転がった私の上に一人の同胞がかがみ込んでいる。
「少し、手を貸してもらえませんか?」
いいですよと言って私は起き上がる。その腕をそいつはいきなり掴んだ。腕の付け根に衝撃。同胞は踵を返し、砂を蹴り上げて走り去る。残された私には右腕がなくなっていて、肩からパラパラと落ちた粒子が大いなる砂へと還っていった。
盗人を追うのは簡単だった。水分によって互いに繋ぎ止められた砂の粒子は、逃走者の重みをはっきりと記憶していた。
砂と岩の平野の外れに、石を組み上げて作った小さな洞穴があった。盗人はその穴の中に身体を詰め込むようにして雨をしのいでいた。
「腕は返さないぞ。もう食っちまったから」
盗人は怯えた獣のような目で私を見上げた。
「我欲のためにヒトを損なうのは重罪だよ。大いなる砂に捧げる神聖な贄なんだから」
私の忠告に盗人は首を振った。
「なんでみんな諦めるんだ? 欠けないように雨を避けて、他から奪って強くなって、そうやって生き延びればいいじゃないか。自分の身を犠牲にするなんてごめんだね」
誰かに知らせればこの盗人はすぐに捕まって罰せられるだろう。だから私は盗人の詰まった石の塊の横に腰を下ろした。
「腕が戻るまでここにいる」
雨を浴びて身体の表面に筋を作る私を盗人は気味悪そうに見ていた。
雲が去り、太陽が大地を焼き始めた。地面の乾いた部分から砂を取り、口に運ぶ。かつて誰かの命だった粒子を取り込み、雨に流された分を補う。そうして私たちは命をつなぐ。やがて補給が追いつかなくなる時まで。
「死んだ砂を食うのは効率が悪い。生きたヒトの砂が一番身体に定着しやすいんだ。あんただって知ってるだろ」
盗人は穴の中で呻く。
「そうまでして自分だけ生きたくもないな」
私は乾いた砂を探しながら答えた。身体の右側が軽くて左に傾く。
「俺は生きたいね。俺の一粒だって奪われたくない。雨にも、クソッタレな大いなる砂にも」
掬い上げた砂を手の平で転がす。透明な粒、白い粒、茶色い粒、黒い粒。一つひとつが太陽の光を反射して輝く。私の一部になる命。やがて私が行き着く先。
盗人が徐々に崩れていくのを、私はただ見守っていた。
外の砂を集めようと穴の中から伸ばした指がさらさらと流れ落ち、盗人はとうとう悲鳴を上げた。
「どうして……、こんなに努力して守ってきた身体なのに」
私は盗人の手だった砂に触れた。乾き切って、軽い。
「雨は私たちを削るけれど、粒子を結びつけてもくれる。水と砂の循環なくして生きてはいけないんだよ」
盗人は閉じこもって啜り泣く。きめの細かい乾いた砂が、両目からはらはらとこぼれ落ちる。
雨は降らないまま、やがて盗人はぼんやりとヒトの形を残した砂の盛り上がりになった。
「まだ悲しい?」
乾いた同胞の欠片を吹き飛ばさないようにそっと声をかける。
「いや……。忘れてた、この感じ。俺は……」
砂漠を強い風が渡り、同胞を薄く散らした。大いなる砂に捧げられた彼は、ようやく巡る命の輪の中に戻ったのだ。
大いなる砂の一部である私たちは、彼の命を受け取って、そうしていつか己が身を大いなる砂に還す。
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