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世界設定資料集 2.1 進化


 太古の海の熱や光で大量に合成された有機物の中に、偶然にも自分自身のコピーを作ることができるものが生まれた。しかしそのコピー能力はいい加減なものであり、複製されたものはオリジナルと比べてあちらが多く、こちらが小さく、また見知らぬものを取り込んでいることもあった。

 自己複製する微小な構造体は多彩な形を獲得しながら数を増やし、地球を覆った。

 あらゆる試行錯誤が行われた。大雑把な複製によって、親よりも一部分が大きかったり小さかったり、派手だったり地味だったり、硬かったり柔らかかったりする子ができた。

 多くが生まれ、多くが死んだ。たまたま生き延びたものが子孫を残し、少しずつ異なる子孫たちの中でたまたま生き残ったものがまた子孫を残した。

 現存生物が今まで生き延びられたのは、優れていたからでも、正しかったからでも、強かったからでもない。置かれた環境でたまたま子孫を残せたからである。手当たり次第に試した生存戦略の中でたまたまうまくいったものが残っただけである。複製以外の機能を削ぎ落としたもの、太陽に頼るもの、他者の資源を横取りするもの、空を飛ぶもの、地底に潜るもの、何でもありだった。

 人間を含む哺乳類は、献身によって生き延びてきた。魚類や爬虫類も雌は自ら蓄えた養分を卵に託すという献身を行うが、哺乳類ではさらに進んで、子がある程度育つまで体内で保護し、生まれた後も食物を与え、外敵から守り、生き延びる術を教える。卵を産んで終わりの多くの生物種と比べて、子を産み育てることに多大な献身が必要とされる。その献身の原動力として愛情というものが進化した。

 哺乳類の中でも母となる雌が一匹で子育てを行う種も多いが、何もできない未熟な状態で生まれ、自力で生活できるようになるまでに多大な献身を必要とする人類には不可能である。家族、親戚、地域社会、保育所、学校、福祉、多くの人の手を借りて人は育つ。さらに大人になってからも人は分業によって互いに頼り合って生きている。自分一人では安全な飲み水を手に入れることすら困難である。食べるものにも、着るものにも、住む場所にも、誰か他の人の手が関わっている。協力が人間の基本的な生存戦略である。何億年もかけてそういう方向に突き進んできて、そういう風に身体ができている。

 いま生きているこの人間は、決して完成された姿をしていない。闇雲に増改築を繰り返し、収拾のつかなくなった家である。二階の部屋を大きくしたら、真下の部屋の日当たりが悪くなり、それならと屋根に穴を開けて中庭を作り、動線が悪くなったからと階段を増やし、どこがどう繋がっているのか誰にもわからない、複雑で歪な危ういバランスを辛うじて保っている。

 この奇怪な建物をすっきりと作り直すことは不可能である。混沌とした愉快な身体をそれでも慈しんで命をつないでいくのだ。

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