海より山派なので
離婚の方針が固まって、これからどう生きていきたいのだろうと最近よく考える。家のことや仕事のことも大事だが、心をどこに向けるかということも大きな問題だ。
熱中できるような趣味と言えるほどの趣味もない。最近は小説も書いていないし。そもそも小説は楽しいから書くというようなものでもなかった。プロットを考えるのは楽しいしわくわくするが、執筆は苦しいことも多い。けれど何かを書いていないと、自分が生きているのかいないのかわからないような心持ちでぼんやり日々を過ごしてしまうので、生活のモチベーションのために書いていた面もある。
書くことの他に自分の暮らしの中で重要な位置を占めているのは「自然」かもしれない。
一時期は都内に住んでいたことがあるが、なんかもうきつかった。緑といえば花壇か芝生か街路樹くらいしかない環境が。人間の管理の手をすり抜けた自然がどこにも見当たらないような土地には住めない。心が飢えるのだ。当時の僕は酸欠の金魚のように周囲の水を手当たり次第に取り込んでは吐き捨てていた。自分が萎れていくのを感じていた。
海の近くに住んだこともある。荒い砂の海岸を一人で歩き、浜に腰を下ろして絶え間なく生まれてくる波を眺めた。でも僕の身体は海を受け付けなかった。砂浜から帰るとお腹を下したり眩暈がしたりで寝込むことがあった。白い砂や平らな水面に反射する太陽が眩し過ぎたのかもしれない。
海は怖い。数十億年をかけてあらゆる生命を産み出してきた碧い培養液の圧倒的質量。波にもまれる海月と変わらない一人の人間は、隠れる場所すら与えられず、無防備に放り出される。夕暮れの森で五感が研ぎ澄まされていくような冴えた恐怖とは違う、意識がどこまでも拡散していくような不安。海は僕には大き過ぎる。豊か過ぎる。美しく濁った深淵に覗き返されれば壊れてしまう。
山と川が丁度良い。自分の居場所があるような気がする。森の獣の一匹に戻ることができそうな気がする。
十代の頃、無人島キャンプへ行った時、やたら元気で生き生きしていた記憶がある。人工物だけに囲まれているよりは、半分野生みたいな生活をするほうが性に合っているのかもしれない。
何だろう、田舎で自給自足生活でもすれば良いんだろうか。体力なくて胃腸虚弱なのに……? 自給自足の一人暮らしで寝込んだら詰むのでは……? ほどほどに都会で森に通えるくらいの場所に住むのが妥当なところだろうか。つまり今と同じくらい。
ソロキャンプとかやってみるのも良いかもしれない。しかし今は犬がいるので泊りがけは難しい。それに山へ行くには車が必要なことが多い。免許はあるがなるべく運転はしたくない。咄嗟の判断力が鈍いから怖いのだ。スピードを出すと情報の処理が追い付かなくて、ちょっとでも予想外のことが起これば事故りそうで、「あっ……俺ここで死ぬんだ……」という思いで頭がいっぱいになる。時速二十キロ以下ならそこそこ運転は上手いと思う。
ちょっとしたハイキングくらいなら電車で行けるところも多いし、ちょこちょこ歩きに行こうと思う。今年の夏はあまりに暑くて長く、家に閉じこもってばかりだった。ようやく昼間でも外に出られるようになってきたのが嬉しい。
心地良く自然の中で暮らせる方法を探したい。人間の世界に閉じ込められていたら病みそうだ。自然の中にいると軛が溶けていくのを感じる。僕を取り囲む草や木や虫や土や水が僕と同じ光を浴び、同じ風に吹かれているというそれだけのことで、何か大きなものに抱かれ守られているような気がして満たされる。
森の中になるべく長く身を置きたい。森にいない時でも森のことを考えていたい。
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