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傷付けない笑いはプライベートな関係の中に

 観客に見せるための笑いはどうしても攻撃的になりがちだ。予想外の展開というものがお笑いの基本の一つだと思うが、それをボケとツッコミみたいな形で見せようとすると、「普通じゃない」人の「普通じゃない」言動をあげつらって笑い者にすることになりやすい。特定の属性を持つ人をよってたかって嘲笑するような構造だ。

 この攻撃性がどこから来ているかというと、笑う側が持っている「あなたと違って私はまとも」という優越感ではないだろうか。

 つまり「あなたも私もみんなおかしい」という対等な態度が徹底され、観客にも共有されているなら、それは人を傷付けるような笑いにはならないのかもしれない。

 僕は仲間内でひたすらふざけ合っているような動画をYouTubeで見るのが好きだ。そこではかなり過激な言葉も飛び交っていて、人によっては眉を顰めるところだろうが、少なくとも僕は別に嫌な気はしない。笑う側と笑われる側が常に入れ替わる対等性があるし、動画の外側にある私的な領域でも仲が良いことが垣間見えるとより安心できる。

 この私的な仲の良さというのがもう一つのポイントだと思う。笑うことで相手を傷付けないためには、「おかしいね」と同時に「そんなあなたが愛おしい」というメッセージが相手にしっかり伝わっている必要がある。

 笑う側が「愛のあるイジり」だと思っていても、笑われる側にその愛が伝わっていなければただの攻撃である。笑いになるようなおかしな部分も含めて、私という人間が丸ごと愛されている、という安心感がなければならない。テレビ番組でたまたまキャスティングされた人同士でできるような芸当ではないと思う。

 総合すると、そもそも深い信頼関係で結ばれた人たちの間でしか「傷付けない笑い」は成立しないと思う。親友同士のじゃれ合いのような。ただしそれは観客のためにやることではなく、本人たちが一番楽しいのであって、見ている人はそのおこぼれにあずかるだけである。

 知らない人同士でも傷付けない笑いが生まれるとしたら、何か失敗した人が自分で照れ笑いして、周りの人がつられて笑うような場合くらいかもしれない。それは人の不完全さを許す平和な笑いだから。

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