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【小説】赤いドーナツ(生きる意味を探していた話)

 意味がないことなんてしたくない。

 島のみんなみたいに暇さえあれば歌い踊ることも、魚を食べて息をして命をつなぐことさえも。


「何のために生きてるの?」

 島中の大人に訊いて回ったけれど、まともな答えは返ってこなかった。麓のおばさんは「そりゃ、毎日楽しく踊るためよ」と言い、海辺のおじいさんには「そんなことで悩んでいると若い時間を無駄にするぞ」と諭された。その話を聞かされた時間のほうが無駄だとわたしは思った。

 円形の島の中心で、裸の黄色い火山は嫌味なくらい朗らかに居座っている。その膝元で今日も人々は日焼けした肌を揺らして踊っている。豊かな果物と魚介を取って食べ、余った時間は踊っている。何がそんなに楽しいのかわたしにはわからない。


 いつものように底抜けに明るい晴れの日、わたしは火口の縁に立った。赤ん坊だった双子の姉が、火山の神に捧げられるために投げ込まれた火口。硫黄を噴き出す黄色い岩肌のはるか下に見える赤い溶岩の中に、本当に神はいるのか。それを確かめるのがわたしが今まで生きていた意味だと思った。

 背後から聞こえる陽気な歌声に背中を押されるように、わたしは山の中心に身を投げた。

 硫黄の蒸気が呼吸を奪い、沸騰する岩の熱気が皮膚を消し飛ばす。煮えたぎる溶岩にいよいよ届くと思った瞬間、落ちていくわたしの体が見えた。わたしの体が呑まれた後も、わたしの視点だけが溶岩の波の表面に浮いていた。

 地響きを立てて、波が高くなる。わたしを乗せたまま、溶岩の津波はぐんぐん火口に向けて上昇し、やがて穴の縁から溢れた。

 どろどろした大量の溶岩が、人々の住む森に流れていく。この期に及んでもまだ歌声は聞こえていた。

 溶岩の流れの先端に乗って、体のないわたしの目が滑っていく。

 赤い濁流に気づいた人は、笑顔を凍りつかせたまま流れに消えた。山に背を向けていた人は最後まで何も知らずに踊っていた。子供たちは赤い海の上でもまだ遊ぼうとして、足を滑らせて沈んでいった。

 みんなみんな、ぎりぎりまで楽しげに歌い踊って、呆気なく死んでいった。

 わたしもあちら側だったかもしれなかったのだ。双子は片方だけ残すという決め事がなく、姉が今も生きていれば。「あんたがいなければお姉ちゃんは死なずに済んだのにね」なんて、物心もつかないわたしに母が何の気なしに言わなければ。

 意味もなく踊れるみんなが羨ましかった。意味という命綱に縋り付かなくても溺れない浅瀬にいるのが許せなかった。

 火山を囲う赤い円と化した島を上空から見下ろし、わたしもすぐに消えるのだと何となくわかった。

 踊っても踊らなくても一緒だった。意味はわたしが生きることに耐えるために必要としていただけ。無意味に踊っていたみんなと同じ無意味にわたしは溶けていくのだ。

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