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220814 青春18きっぷで1500km大移動①(武蔵小杉→水戸→いわき→郡山)

 さて、今日からは新しい旅行記を始めることにします。この旅行記は大変に新鮮なもので、なんと旅行中から書き始めることになりました。ちなみに今は旅行4日目で、明日東京に帰ります。今までの移動距離は初日から順に336km、221km、336km、391kmとなっておりここまでですでに1284km移動してきました。本来なら今日はもっと移動できるはずだったのですが、昨晩の大雨の影響で北陸本線のダイヤが乱れ放題乱れており断念せざるを得なかったのです。代わりに湖西線に乗って琵琶湖を2/3周くらいして、伊勢市で赤福氷を食べて、近鉄特急「ひのとり」で帰ってきました。なかなか楽しかったですね。
 ちなみに夏期講習はお盆休みですが、休みの前に生徒から「先生はお盆休みどこ行くの?」と聞かれたので「うーん、東北か北陸か中部か東海か関西か紀伊に行くんじゃないかな」という意味不明な答えをしてしまいました。実際、今回は東北から始まったのに今は名古屋にいますから、大体言ったことは間違っていないのですが生徒からしたら意味不明だったと思います。休み明けはこの旅行の話で盛り上がることでしょう。

今回の行程

 さて、旅行記に入る前に今回の行程を示しておきます。そうしないと読者(いるのか)が迷子になる可能性があるだろうというぼくなりの優しさです。

一日目:336km
武蔵小杉~(常磐線)~品川~(常磐線)~土浦~(常磐線)~水戸~(常磐線)~いわき~(磐越東線)~郡山~(磐越西線)~会津若松
二日目:221km
会津若松~(只見線)~越後川口~(只見線)~只見~(只見線)~小出~(信越本線)~長岡~(信越本線)~柏崎~(越後線)~吉田~(弥彦線)~東三条~(信越本線)~長岡
三日目:336km
長岡~(信越本線・飯山線・しなの鉄道)~長野~(篠ノ井線)~松本~(中央本線)~名古屋
四日目:391km
名古屋~(東海道本線)~米原~(北陸本線)~近江塩津~(湖西線)~山科~(琵琶湖線)~草津~(草津線)~柘植~(関西本線)~亀山~(紀勢本線)~伊勢市~(近鉄名古屋線)~名古屋
五日目:???
名古屋~(東海道本線)~品川

まずは常磐線でいわきへ向かう

 というわけで、まずは東北へ向かいます。今回は武蔵小杉から横須賀線に乗り、品川へ向かいました。うちは「どこの駅にも最寄っていないがそれなりに近い駅がいくつかある」という奇妙なところに立地しているのですが、今回はその数ある最寄り駅(定義矛盾)から武蔵小杉を選択したというわけです。別にほかの駅だっていいのですが、武蔵小杉の乗り換えの面倒くささを考えると武蔵小杉から乗っておいた方が良いと考えて武蔵小杉から乗ることにしました。来た車両は数を減らしつつあるE217系。ぼくは新型車両が出てもなかなかそれに乗れないという奇妙な体質なのですがそれは今回も遺憾なく発揮されていたわけです。

横須賀線の写真を撮り忘れたので品川駅からスタート


 今までも、南武線の車両がE233系で置き換えられて205系が最後の一編成になっても205系が来るとか、山手線のE231系500番台の最後の一編成に何度も乗ったとか、東横線の9000系が引退する最後の最後まで東横線に乗ればそれが来るとか、色々なところで古い車両に乗る機会に恵まれました。鉄オタからしたら羨ましいのかもしれませんが、ぼくとしてはできれば新型車両に乗りたいのであって、もちろんE231系500番台の幽霊インバータも9000系のGTOも素晴らしいとは思いつつ小さい頃のぼくは「何で新型車両に乗れないんだろう」と思っていたのです。今思えば贅沢な話ですね。
 電車と言えば、ぼくは小学生の頃から一人で電車に乗って塾に通っていました。主に使っていたのは田園都市線と東横線で、その頃はまだ8500系や9000系が現役で走り回っている時代でした。行きは塾に遅れないように決まった電車に乗る一方で、帰りは好きな車両が来るまで待っていた記憶があります。駅まで迎えに来てもらっていたのでなかなか迷惑な子どもですが、これのおかげか塾には飽きずに通っていました。ま、いざ中学校に入ってみると電車通学は2か月くらいで飽きたわけですが。教え子の鉄オタに聞いたらやっぱり2か月くらいで飽きたらしいのでそういうものなのでしょう。

常磐線で北上を開始


 また話が脱線していますが、品川で常磐線に乗り換えます。この辺は慣れたもので、ぼくは絶対に東京で横須賀線からの乗り換えはしません。地下5階からわざわざ上に上がるのは面倒ですから品川で乗り換えるのが楽なのです。ま、この辺の人ならみんな知ってますね。
 ここからは常磐線に乗りひとまず土浦へ向かいます。グリーン車に課金するか5秒迷って乗らないことにしました。水戸までグリーン車がある車両で行けるなら乗りましたが、そうでないのにグリーン車に乗ってもあまり意味がないからです。51km以上はどんなに乗っても値段は変わりませんから、土浦までで乗ることにあまりお得感を感じませんでした。ボックスシートを探して席に着き、言語道断に硬いシートに辟易しながら北上します。電車は上野を出て松戸、柏、我孫子と快調に走り続け、土浦に到着しました。ここで電車を乗り換えさらに北上、石岡、友部、水戸と北上し水戸でもう一度乗り換え。
 ぼくの今までの常磐線最北記録は友部だったのです。中一の学校帰りに「常磐線で遠くに行くとどうなるんだろう」と興味を持って北千住から常磐線の快速に乗り、友部まで行った記憶があります。この頃は学校帰りに電車でいろいろな駅に行くのにはまっていて、部活がある日よりも部活がない日の方が家に帰りつくのが遅いというなかなか奇妙な状態になっていました。塾帰りに電車を選んでいた小学生のころからこんなことばかりやっているので、ぼくの帰りが遅くても我が家は全く気にしません。この旅行も「どこ行くか決めてないけど5日間旅行するから」と言って出かけてきました。「パスポートは持ってないから日本国内にはいるよ」という、「どこ住んでるの?」「日本」みたいな情報量ゼロの会話をしてきましたが、今考えると意味不明ですね。
 それはさておきここでぼくは郡山までの移動を①水郡線②磐越東線という二つのうちどちらでやるか決断を迫られることになりました。正直なところどちらもそんなに変わらないのであって、違いは久慈川に沿って走るか夏井川に沿って走るかということと、使用されている車両が水郡線の方が新しいというだけです。今回はキハ110系に乗りたかったので磐越東線を使うことにして、さらにいわきを目指して北上することを決めました。
 水戸で乗り継ぎ時間が3,40分くらいあったので一度駅を出場し、駅前を散歩します。さすがに茨城県の県庁所在地なだけあって駅前はそれなりに発展していました。ただ駅前の雰囲気は完全に地方都市のそれなのであって、駅前に出ている看板は予備校とカラオケのものばかりでした。なお、ここでは駿優予備校を発見。地方に行くと「佐鳴予備校」「代ゼミサテライン」「秀英予備校」「駿優予備校」「馬淵教室」「浜学園」などなど、東京ではあまり見られない塾・予備校がたくさんあってテンションが上がります。
 あと水戸駅で面白かったのは駅の入り口に掲げてあった「預けて安心!遺言書補完制度」の横断幕でしょうか。広告一等地に掲げるのがそれでいいのか、という気がしますがまあいいのでしょう。
 水戸を出てしばらくすると進行方向右手には海、左手には山が見え、絶景というほどではありませんがそこそこの車窓を楽しむことができます。電車は日立、高萩、勿来(これで「なこそ」と読む)と北上し、いわきに到着しました。

ズッコケ三人組(大嘘)

いわきで乗り換え、郡山へ向かう。その前に脱線。

 ここで磐越東線に乗り換え、郡山へ向かいます。使用車両はキハ110系、二両編成でした。なお、磐越東線には「ゆうゆうあぶくまライン」という意味不明な愛称が付けられています。「あぶくま」はわかるとして「ゆうゆう」って何でしょうか。「悠々」なのかな?
 最近は鉄道に変な愛称をつけるのが流行っているようで辟易しています。首都圏でこの手の悪ノリを始めたのはおそらく「東武スカイツリーライン(東武伊勢崎線)」ですが、そのあとにも「東武アーバンパークライン(東武野田線)」だの「とうきょうさくらトラム(都電荒川線)」だの「ゆうゆうあぶくまライン」だの「奥久慈清流ライン(水郡線)」だの「森と水とロマンの鉄道(磐越西線)」だの「山形鉄道フラワー長井線(長井線)」だの「ドラゴンレール大船渡線(大船渡線)だの「うみねこレール八戸市内線(八戸線)」、とにかく変な名前が横行するようになってしまいました。奥久慈清流ラインくらいならまだ許せますが、「森と水とロマン」と「ドラゴンレール」はちょっと許せないですね。
 なお、東武野田線を巡る思い出が一つあって、それは英単語テストにまつわるものです。アーバンパークラインは英語で書けば「Urban Park Line」ですが、ぼくは中学2年生くらいまで"urban"は「田舎」という意味だと勘違いしていました。野田線も乗りに行ったことがありますが、あの沿線を見たらまさか"urban"が「都会」という意味だと思う人はいないでしょう。もう少し実態に即した名前を付けてもらいたいものです。「田舎」は英語で"rural"ですから「東武ルーラルパークライン」とかにすればいいんじゃないでしょうか。そもそも「東武野田線」で何も困らないと思うのですが。
 同じことは駅名にも言えて、「業平橋」を「とうきょうスカイツリー駅」にしたのはその最たるものです。何ですか、「とうきょうスカイツリー駅」って。それに、業平橋に行けば目の前にスカイツリーが突っ立っているので誰の目にも業平橋がスカイツリーの最寄りであることは誰の目にも明らかです。「明治神宮前(原宿)」はまあいいのですが、駅名を丸ごと変え、しかもそれをひらがなとかカタカナとかにしてしまうというのはいかがなものかと思います。元来の漢字の地名には由来がきちんとあるのであって、なぜそれを破壊するような駅名にしてしまうのでしょうか。

いわきを歩いていたら見つけた池

正式に郡山へ向かう

 さて、今日の旅行記は脱線し放題脱線してすでに字数が4000文字を超えています。鉄道に乗っている旅行記で脱線とは穏やかではありませんが、まあいいことにしておきましょう。なお、いわきでも乗り継ぎ時間が発生したため駅の周りを散歩しました。とは言うものの駅から行ける距離に大したものは何もなくて、仕方ないので「福島家庭裁判所いわき支部」なるところを目指して歩き始めます。しかし裁判所は裁判所ですから何も見るべきものはなく、適当にその辺を一周して駅に戻ることにしました。
 近くに神社があったので参拝して、来た道とは違うところを通って帰ります。Googleマップを見ると池があるようなので行ってみることにしました。何やら怪しげな雰囲気の外国人二人組がこちらをチラチラ見ていましたが気にせず進みます。するとそこら中をトンボが飛び回っている池が現れました。パッと見ただけでもシオカラトンボ、ナツアカネ、アキアカネ、コシアキトンボなどなど、たくさんの種類のトンボが飛び回っています。池の中にも何やら魚が泳いでいましたが、種類は謎でした。スズメバチやヒルもいそうな雰囲気でしたが全く見かけることなく森を抜け、駅へ到着。
 ここから先は非電化区間(なおPCによれば「妃殿下区間」。どういう区間何でしょうか)なので車両もディーゼルカーです。乗る車両がディーゼルになると旅情が出てきて良いですね。あとはレールがロングレールじゃなくなって定尺レールになり、走行音が「ガタンゴトン」になれば完璧です。その意味では、北海道の非電化区間は理想的でした。また乗りに行きたいですね。今度は冬に行こうかな。

列車は山間を進んでいく


 いわきを出発した列車は阿武隈高地に向けて走っていきます。だんだん山が近づいてきて、山を登り始める瞬間は何度体験しても興奮しますね。ディーゼルエンジンの音が大きくなって、キハ110は力強く坂道を登っていきます。ここでは進行方向左側に座っていましたが、ここはどちらでもあまり関係ないと思います。景色は左右どちらも良い眺めですし、そもそも客が少ないので左右行ったり来たりしていても特に迷惑になるということはありません。山を抜ければ田んぼが広がり、遠くには山の稜線が見えるというザ・ローカル線とも言うべき光景が広がります。これは東北や越後、北陸のあたりを鉄道で旅すれば嫌というほど見る光景です。今回は1日目から3日目まで、毎日同じような光景ばかり見ることになりました。
 そうこうしているうちに郡山駅に到着、また乗り継ぎ時間があるので駅前を散歩します。「ビール祭」なる祭りをやっており結構な賑わいを見せていました。ここでは何か食べるということはなく、もちろんビールを飲むこともなくただ歩き回るだけです。屋台の料理というのはあの雰囲気の中で食べるからおいしいのであって、ローカル線の中に持ち込んで食べてもおいしいかというと微妙なところ。であれば、おいしそうに食事している人たちを眺めて自分も食べた気分になるだけで十分です。
 屋台と言えばドイツに行ったときにホットドッグの屋台を出していたオジサンと言い争いになったことがありましたが、その話をここに書いてしまうと文字数が7000字近くになることが確定してしまうので今日はここでうち止めということにしておきます。次回はドイツの屋台の話からスタートするということにして、今日の筆者は郡山駅前の人だかりの中に放置しておきましょう。

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