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私は「実用地歴提案会ヒストジオ」だけに
歴史や地理について
投稿することが多いのですが、

「歴史」や「地理」という言葉は
「人間」や「会社」と同じように、
とても包括的な言葉です。

人間は、千差万別。
会社は、千差万別。

ゆえに「その人」「その会社」について
記さないと、ちっとも具体的ではない。
総論的、誰にでも当てはまるような話は、
一面では、あまり「自分の」役には
立たない話になりがちです。

「歴史」や「地理」も、同じ。

そのため、学校教育においては
「日本史」「世界史」の区別をつけます
(最近はわざわざ「歴史総合」
なんてのも作られていますが)。

これはどの地域に焦点を当てるか、ですね。
日本の歴史なら、日本史。
世界全体の歴史なら、世界史。
(ちなみに中学レベルでは「歴史分野」として
日本史ベースに世界史をトッピングして
ごっちゃに学んでいきます)

これをどんどん焦点を狭めていけば、
「〇〇県の歴史」
「〇〇市の歴史」なども考えられますが、
「郷土学習」の時間ならばともかく、
国全体の統一のカリキュラムの中では
なかなか取り上げられません。

もっと範囲を狭めていけば、どうなるか?
「〇〇町内会の歴史」(町内会史)
「〇〇家の歴史」(家族史)
「自分の歴史」(自分史・個人史)
となります。しかし、ここまでくると
パーソナルに、個別に考えて下さい、となる。
学校でみんなが同一に学ぶことではない、と。

ジャンルによっても分けることができますね。
「政治史」「経済史」「文化史」「軍事史」…
などがそれにあたります。
さらに「世界の政治史」「日本の政治史」
「〇〇国の政治史」などのように、
細分化することも、可能です。

時代区分するほうがオーソドックスでしょうか。
「戦国時代の歴史」「明治史」など、
時間で区切って、そこだけ述べる。

…何が言いたいのかというと、
「歴史」について漠然と
うんぬんかんぬん、と
範囲を区切らずに述べるのは、
「人間」について漠然と
なんとかかんとか、と
述べるのと同じで抽象的になりやすい、

ということです。

そもそも人によって、「歴史」という
言葉の定義も変わったりします。
だからこそ、いわゆる歴史の専門家は
「私の専攻は〇〇時代の〇〇です!」
などと細分化して、
自分の守備範囲を予め
決めていることが多いのです。

…じゃあなぜ、と質問したくなりますよね。
学校での「歴史」の授業は、
なぜそんな総花的な、
全体すべてを学ばせようとするのか、と。
興味あるところだけ学ばせてくれよ、と。

これは、学校教育においては、
学習者の頭の中に百科事典的な
「索引」を作らせる
、という
目標を持つ一面があるのです。

とりあえず全体に触れさせる。
いざ興味が出て深く調べたいと思った時に
入り口になりやすいように、と。

例えば、何かの折に鎌倉の街に行き、
その雰囲気、神社仏閣、
大仏様などに心を奪われて
鎌倉のことを調べたいと思った時に、
「鎌倉時代」のことを知らなければ
そもそもとっかかりがないわけです。
いわば「フック」をかけさせるため。
「歴史全体をまんべんなく」学ばせるのです。

ただし、この考えには、問題があります。

歴史の専門家になるのならともかく、
そうでない仕事に就く学習者に、
歴史全体を学ばせる意義が本当にあるのか?

学校卒業後に、本当にフックはかかるのか?
かけようとするだろうか?

「どこかの誰かの物語」、人ごととして
右から左に流れていくだけで、
いつしか忘れ去られるだけではないか?

そういう反省に立って、昨今では
「学習者主体で学ぶ」ために、
アクティブラーニングなどの手法が
取られつつあります。
「誰もが知っておくべき教養」から
「自分なりに実用できる武器」へ。

(…ただ、入試問題の範囲として
全時代などを扱っている以上、
「テストのために」学ぶ、という傾向に
なりがちなのですけれども)

ここまで、歴史について、書いてみました。
地理も、同じです。

日本地理、世界地理、〇〇地域の地理。
人文地理学、自然地理学。
都市地理学、交通地理学、農業地理学、
工業地理学、人口地理学…。

最近流行の「地政学」なども、
「地理政治学」ですからね。
「地経学」すなわち「地理経済学」
なんてのも考えられます。

これら多種多様な地理学をフルコースで揃え
とりあえず索引ができるようにと、
学校では「一通りの」地理を学んでいる。

で、それを踏まえての提案ですが。

既卒者であれば、
もうテストのため、という必要もなく、
自分の興味のない分野を学ぶ必要も、ない。

せっかく少なからぬ時間を学校で
歴史と地理の学習に費やしたのですから、

その土台、索引を、今度は
「自分自身の役に立つために」
「自分自身の好奇心を満たすために」
グッと絞って、自分勝手に、
「〇〇史」や「〇〇地理学」を
学ばれてみてはいかがでしょうか?

今や、生涯学習の時代です。
余暇、晩年のためなんかじゃありません。
いま生き抜くため、いま実用するために、
「自分なりの学び直し」
「自分なりのアクティブラーニング」

始めてみてはいかがでしょうか?

この日々の学び直しを
今から開始しておくか、しないかで、
何十年後にはとてつもない差が
ついてしまうのも、また事実です。
それは、何十年か人間をやってきた方なら
何となく感じることかと思います。

…えっ、歴史や地理を学ぶにしても、
どこから学ぶべきかわからない、ですって?

そんな方はまず「自分史」「自分地理」から
始めてみてはいかがでしょう?

自分がこれまでどう歩んできて、
これからどのように歩みたいのか?
自分は今まで、どんな場所で過ごし、
これからどんな場所で過ごしていきたいか?

自分勝手で主観的な解釈で、問題無しです。
正解など、ありません。
自分で正解にしていけばいいだけの話
(もちろん、他人に伝える際には
『誤解』しない、されないよう
努める必要はあるとは思いますが)。
たとえ「黒歴史」ばかりだったとしても、
「白歴史」を作っていけば、いい。

そこから、家族史・家族地理、
会社史・会社地理、
そういうものに膨らませるのも、ありです。
関係者が増え、立場が異なるにつれて、
解釈もまた、複雑玄妙になってきます。

もし自分に興味がそこまでないのなら、
「自分の推し、好きなもの」でも構いません。
(私は「漫画史」をよく調べています。
漫画が好きだから、です)

さて、読者の皆様におかれましては、
〇〇史、〇〇地理学、
どれに興味がありますか?
…なぜ、それに興味があるのですか?

自分の興味ある時間と空間を確認し、
自分の時間軸と空間軸を再認識する、
ということは、すなわち、

自分の「今の立ち位置」を、
より明確にし、次の一歩を踏み出しやすくする
ということにつながる
のではないでしょうか。

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