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政治の中心地の変遷は、日本史の変遷。

古代、大陸から様々な文化が流入し、
うまくアレンジして役立ててきました。
大陸に一番近い「九州」こそ、その中心地。
「邪馬台国」は九州にあった説が有力。

そのうち、大和盆地(奈良盆地)を中心に、
国家が形成されてきました。
ヤマト王権とも言われる、
大王を中心とする国の形が整ってきて、
徐々に天皇・朝廷が政治を行うようになる。
今でいう京都・大阪・神戸などを中心とする
「関西」が政治の中心地になりました。

その状況に待ったをかけたのが、
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも出てくる
坂東武者たちと源頼朝。鎌倉幕府。
そのあと室町時代や戦国時代はありますが、
徳川家康の江戸幕府へと落ち着いた。
明治維新後も「東京」が首都になった。
「関東」が政治の中心地に。

◆「九州」→「関西」→「関東」!

すごく大雑把に言うと、この流れがあります。
ただ、行きつ戻りつしているのも、また事実。
本記事では「日本の政治の中心地」をテーマに
日本史を概観していきます。

大昔から、ざっくり順に見ていきましょうか。

上記したように、
大陸から文化が流入してきたため、
いかに進んだ大陸の「権威」を借りるかが、
古代の支配者にとっては重要事項でした。

『金印』、ありましたよね。
『卑弥呼』が「親魏倭王」として認められた
(その卑弥呼の金印はまだ見つかってませんが)。
その二百年ほど前には、「漢委奴国王」として
認められた、という金印もある
(こちらの金印が見つかったのは
「九州」の福岡市の志賀島です)。

当然ながら、大陸に近い「九州」のほうが
栄えていた、と言えるでしょう。


それが「神武東征」と言われるように、
「次第に東に向かっていく」
このあたりは神話なので明確にはわかりませんが、
徐々に西から東へと大陸的な文化が
広がっていった、というのは事実でしょう
(さすがにいきなり関東平野あたりに
大陸的な文化が流入して、
東から西に行くということは考えにくいから…)。

その後、国の仕組みがかっちりと
整っていくのは、六世紀頃のお話です。

仏教伝来・聖徳太子(厩戸皇子)の政治。
中国の隋にも「遣隋使」を送ったりする。
「十七条の憲法」も作ったりする。
天皇中心の政治を目指す。

その都、ころころと移り変わりましたが
「平安京」いまの「京都」に落ち着いた。
「関西」が中心地。
全国から税が集められ、国風文化が栄える。
『源氏物語』などが書かれたのもこの頃。

…見方を変えると「国風文化」ですから、
大陸に近い九州から「距離を置いて」
日本独自の文化を栄えさせた、といっていい。
「漢字」から「ひらがな・カタカナ」も生まれた。
「日本語(表記)」も整ってきたのです。

そういえば「ハクシに戻そう遣唐使」894年に
「遣唐使廃止」を唱えた菅原道真が
「左遷」させられたのは九州の太宰府でした。
西からの影響をストップさせた人が
都から西の九州へと「左遷」させられたのは
ちょっとした歴史の皮肉のように思いますが…。

ただ、その平安京の隆盛の「外」で、
徐々に力を持ってきた人たちがいる。
武士です。特に「坂東武者」たちは有名。
彼らの力を借りた源頼朝が
十二世紀につくったのが「鎌倉幕府」です。
彼の死後、幕府は京都の
朝廷とのバトル「承久の乱」にも勝ち、
「関東」に政治の中心地を移した。

…とはいえ、京都に天皇がいることは
変わりはなく、この時点では
「関西」と「関東」は拮抗しています。
一気に関東に中心が移ったわけではない。

事実その後、室町幕府は京都にできます。
戦国時代の織田信長や豊臣秀吉は、
東ではなく「西」に「上洛」しますよね。
安土城とか大坂城とかもできる。
文化的にも、鉄砲やキリスト教をもたらした
ポルトガル人やスペイン人は「西」から来た。
つまり、「九州」や「関西」が
中心地に戻っていく
わけです。

はい、この「西」に傾きかけた流れ。
引き戻したのは? ご存知、徳川家康です。

江戸を本拠地にしていた、というのもあります。
天下分け目の関ケ原の合戦で、
「西軍」に勝った、というのもあります。
秀吉は西の朝鮮に出兵しましたが、
家康はそんなことはしなかったのもあります。

「関東」の「江戸」を
中心にした国を作っていった
のです。
当然、江戸幕府は、他国とは距離を取る、
内向きの「鎖国政策」を取るようになります
(厳密にはオランダ・中国、長崎の出島、
蝦夷地や琉球等を通して貿易していましたが)。
この中で、日本独自の文化が
また栄えていく
ようになる。

…ですが十九世紀に、江戸幕府も倒れた。
江戸が「東京」になる。

明治新政府は、どうしたでしょう?
版籍奉還・廃藩置県・中央集権をしておいて、
「外」に向かって活発に活動するんですね。
「薩長土肥」という「西南の諸藩」が
明治新政府の土台になった
のもありますが。

「鹿鳴館」に代表されるように
西洋文化を積極的に取り入れる。
神戸や横浜の港も、発展していく。
「八幡製鉄所」なんてのも作りましたよね。
これは「九州」につくります。

そう、首都は東京なんですけども、
「外向き」の政治ですから、
どんどん「広がっていく」わけです。

北は北海道、南は沖縄…のみならず、
日清戦争や日露戦争を経て、
朝鮮半島や台湾まで手に入れていく。

シベリアまで出兵する。

果ては、満州国までつくったり、
日中戦争を行ったり、
東南アジア、太平洋諸島まで支配したり。

「日本列島」の枠を超えていったわけです。

…こうして膨張していった国は
戦後、現在の「日本列島」に再び縮小します。
GHQ占領を経て
「東京」(関東)を中心とした
四十六都道府県、沖縄返還後は四十七都道府県に。

当然ながら「外向き」から
「内向き」になりますよね。

対外的には貿易に専念して、
またまた「国風文化」が栄えます。
島国独自のガラパゴス的な文化。
ガラケーはその最たるものです。

政治の中心は、東京。
「太平洋ベルト」を中心とした
「四大工業地帯」が栄えました。

…という流れを経て、現在の状況なんです。
東京一極集中は、変わらない。
「地方」では人口が減ってきて、
消滅しそうな自治体もある。

まとめていきます。

「九州」→「関西」→「関東」という
大きな流れはありますが、
紆余曲折、各時代で各地域が
栄えたり衰えたり、広がったり縮んだりしつつも
日本の中心地は、移り変わっていきました。

読者の皆様の地域は、いかがでしょう?

私は、九州圏・関西圏・関東圏いずれでも
生活した経験がありまして(中京圏もあります)
それぞれ良さがあることを実感しています。
北海道・東北や北陸、四国にも、きっと良さがある。

ただ、これからの時代は、
内向き「だけ」では、やっていけない。
国際情勢が、日本を左右することは
皆様も肌で感じられているとと思います。

さて日本はこれから、どんな道を歩むのか?

そのかじ取りは、一人ひとりが
考えて行動していくことで生まれる…。


そんなことを考える、
考えさせるような、週末なのでした。

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