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『お前はクビだ!』

ビクッとする言葉ですよね(クビだけに)。

この言葉を聞くと、
「ある会社(組織)から解雇される」
という状況を想像しますよね。
ワンマン社長に逆らって逆鱗に触れて
一刀両断される、斬首される的な…。

しかしよくよく考えてみると、
「クビ」という言葉と
「解雇」という言葉は、
厳密にはイコールではない。


「クビ」は「首切り」
つまり「死」を連想してしまいますが、
別に会社を辞めさせられたからといって
死ぬわけではないのですから。

人生は続くのですから。

ましてや「自分から退職(退社)を選んだ」
場合には、全くもって死ぬわけではない。
むしろこれから新しい生き方へと向かう、
「再生」「ル・ネサンス」です。

けれど、あまり事情をよく知らない人が
会社を辞めた人(解雇・自己希望退職に
かかわらず)に向かって
「あの人はクビになったんだぜ」と
陰口を言ってしまうケースもある…。

本記事では、この「クビ」という
言葉について考えてみました。

まず、クビ=首切りというイメージが
どこから来るのか、と言いますと、
これはもう戦国時代とか江戸時代とか、
「罪人」の処刑法から、ですよね。
フランス革命のあたりの
「ギロチン」のイメージもある。

江戸の平和な時代にあって、
武士の切腹は「名誉」とされていましたが、
おなかを斬ってもすぐには死なないので
「介錯」と言って、むしろ
苦しみから救う親切から、クビを落とした。

フランス革命時のギロチンも、
死刑囚を苦しませないように一瞬で
殺害できるように、お医者さんが
考え出した処刑器具だと言われています。
(実際には少し知覚が残っているそうで
苦しまないかどうかは諸説ありますが…)

その「クビ」と「解雇」が
言葉として結びついている、ということは、

これは組織を辞めた人を
無意識に「罪人」と結びつけてている
ことと
同じなのではないでしょうか?

江戸時代までの日本では、
「個人」より「家」が重視されていた
側面があります。

明治時代になっても
「家長」には大きな権限が与えられ、
家が重視されてきました。

戦後、家長制度はなくなりましたが、
「カイシャ」がそれに変わった
側面がありますよね。
社員は家族、一心同体、終身雇用。
「社長」が「家長」然としている
組織が多くありました。
今でもあると思います。

となると、組織から抜け出そうとする者は
「脱藩浪士」「家出者」
「抜け忍」のようなイメージ。

退社することは即ち「死」を意味する…。
そんなところから「クビ=解雇(退社)」が
言葉として結びついている、ように思います。

この言葉は、まだ根強いですよね。

リストラクチャリングで
一気に大量に解雇することを、
「〇〇社、大量のクビ切り」と
表現されることがある。
もしかしたら解雇されて退社する人は
「これから新しい生き方に進むんだ!」
と前向きに思っていたにしても…。

さて、ここでちょっと視点を変えて、
他の言語では何と表現するのか
考えてみましょう。

アメリカ合衆国のトランプ元大統領は
TV番組などで
よくこう言っていましたよね。

◆You’re fired.

この言葉を日本語字幕では当たり前のように
「おまえはクビだ」と訳しており、
日本人もそう捉えがち。

しかし、確かにニュアンスとしては
合っているかもしれませんが、

厳密に言えば、「ファイヤー」と
「クビ切り」は違いますよね。

ましてや、fireは少しキツイ言葉。
普通に解雇する場合は使わないそうです。
「Let go」などの婉曲表現を使う、とのこと。

◆We let him go last month.
(彼を先月解雇しました)

いや、これだと、全然、クビ切りでも
ファイヤーでもない、ですよね。
むしろ「レッツゴー!次に行こう!」
的な言葉なんです。前向きです。

フランス革命が起こった
フランスではどうでしょうか?
「解雇」を表す言葉はフランス語で
「licenciement」です。
解雇する、は「licencier」。

これは放縦するとか、自由にするとか、
野に放つとか、そんなイメージの言葉。


…どう考えても「クビ切り」ではない。

でも、日本語字幕ではたぶん
「クビを切られる」と
表現されるのではないでしょうか。

最後に、まとめます。

SNSの発達もあって、
日本では徐々に「個人」が
クローズアップされてきています。

副業、複業も普及してきており、
かつてのように一つの会社に専従することが
スタンダードでもなくなりつつあります。

しかしいまだに解雇のことは
「クビを切る(切られる)」と
表現されがち。


言葉は慣習でもありますから、
良い悪いというよりは文化を含んで
伝わってきているものです。
別に、使うな、と言うつもりもない。

しかし、クビ、という言葉を耳にしたとき

ちょっと立ち止まって、
果たしてこれは
意に添わず「斬首」されたのか、
もしかして「再生」「新しい生き方へ向かう」
「ル・ネサンス」ではないのか、
新しい自由へレッツゴーなのではないか、


そういう側面にも意を向けてみるのが
良いのではないでしょうか?

参考までに、澤円さんたちのトークセッション
『「クビ」はむしろ優しさ
澤円氏らが語る、日系企業・外資系企業の違い』

という記事のリンクを貼っておきます。

この記事の中で澤さんは外資系企業の
考え方に触れて、こう述べておられます。
(ここでは日本語的に
日系企業と外資系企業の違いが
わかりやすいように
「クビ」という言葉が使われています)

(ここから引用)

『「成績悪いとすぐクビ」。
これはある意味事実なんだけど、
クビをどう捉えるかなんですね。

クビっていうと懲罰みたいに
考えるかもしれないけど、違うんですよ。

成績が出ないということは、
向いてない仕事をしている
ということだから、
早めに解放してあげる
という考え方
なんですよ。』

(引用終わり)

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