見出し画像

本記事では、明治の文豪、
夏目漱石をめぐる
1つのエピソードをご紹介します。
芥川龍之介とのエピソードです。

芥川龍之介…。文豪。
羅生門? 蜘蛛の糸? 芥川賞という
文学の賞もあるから、
小説が上手な人だったんだよね…。
くらいのイメージかもしれません。

実はこの2人、師弟関係です。
と言っても、夏目漱石が1867~1916年、
芥川龍之介が1892~1927年と、
25歳ほども齢が離れているので、
夏目漱石が晩年の頃の門下生です。

芥川龍之介は『鼻』という小説を
同人誌に書きますが、
この小説を夏目漱石が褒めます。

「無名の学生を、文豪夏目漱石が褒めた!」
ということで、芥川龍之介の
名前が知れ渡ります。夏目漱石によって、
芥川龍之介は文壇へのデビューを飾るのです。

夏目漱石は、芥川龍之介と、
その知人の久米正雄宛に、
1通の手紙を書きます。

夏目漱石は、
葉書や手紙をふんだんに書いており、
「書簡集」で本ができるくらいです。
そのうちの1通です。

全部は長いので、最後の部分のみ、
引用してみます。
明治の文豪なので、
漢字が混じって読みにくい部分もありますが、
そのまま引用しますことご容赦ください。

(ここから引用)

『牛になる事はどうしても必要です。吾々はとかく馬になりたがるが、牛には中々なり切れないです。僕のような老獪なものでも、只今牛と馬がつがって孕める事ある相の子位な程度のものです。
 あせっては不可せん。頭を悪くしては不可せん。根気づくでお出なさい。世の中は根気の前に頭を下げることを知っていますが、火花の前には一瞬の記憶しか与えて呉れません。うんうん死ぬ迄押すのです。それだけです。決して相手を拵へてそれを押しちゃ不可せん。相手はいくらでも後から後から出て来ます。そうして我々を悩ませます。牛は超然として押して行くのです。何を押すのかと聞くなら申します。人間を押すのです。文士を押すのではありません。』

(引用終わり)

焦るな、馬になるな、
火花は一瞬で忘れられる…。
夏目漱石の温かいまなざしが、
芥川龍之介たちに注がれます。

しかし、牛になりきれなかった
芥川龍之介は、この11年後に、

自殺しました。

この手紙より、
私が、感じ取ったことを書きます。

「焦ってはいけません」
「頭を悪くしてはいけません」。

夏目漱石は繰り返し書きます。
夏目漱石自身、
幼少の頃に親から見放され
(八百屋のかごに吊るされたこともあるとか…)、
家の都合でまた戻され、
養親との金銭関係で苦しみ、
イギリスに出張するも神経衰弱
(今でいううつ病)にかかり、
常に胃痛に悩まされ…と、
かなり苦難の人生を歩んでいます。

若い作家たちに、自分の人生も顧みつつ、
決して焦らないように
呼び掛けたのではないでしょうか。

「世の中は根気の前に
頭を下げることを知っていますが、
火花の前には一瞬の記憶しか与えてくれません」

根気が大事。一発芸人になるな。
着実に行け。

辛い世の中を歩いてきて、
「職業作家」というクリエイター、
フリーランスの道を開拓してきた
夏目漱石だからこそ、言えるセリフです。

なお、芥川賞を受賞した
又吉直樹さんの『火花』という
小説のタイトルは、

(推測ですが)この手紙の一文を
意識してつけたのではないか?と思います。

「何を押すのかと聞くなら申します。
人間を押すのです。
文士を押すのではありません」

この文章が、私は好きです。
誰に対して押すのか。
文士、つまりエリート、
作家、すでに成功している人、
自分を引き上げてくれそうな人に対して押す、
言い換えれば「媚を売る」ことではない。

人間を押せ。人間そのものについて考え、
人間そのものについて問いかけろ、

自分の作品を示せ、と喝破しています。

どうしても人は、
自分を評価してくれる人、
当時の芥川龍之介で言えば
師匠である夏目漱石のような、
名声を確立した人に対してアピールしがちです。

自分のことをわかってくれる人だけに、
伝われば良い、と思いがちです。
わかってくれる人のことだけを、
考えれば良い、と思いがちです。

そうではない。

常に人間に向き合え。
自分を理解する人もしない人もひっくるめて、
好き嫌いもひっくるめて、
人間に、向き合え。人間を押せ。

そう夏目漱石は言いたかったんじゃないか
と、私なりに解釈しています。
芥川龍之介が自ら死を選んだ時、
夏目漱石は天国で「ちょっと早すぎるぜ」と
嘆いたのではないかな、と空想します。

読者の皆様は、
何を押していますか?

◆本記事は、以前に書いた記事のリライトです↓

合わせて

よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!