見出し画像

ビッグブリッヂの死闘 ~土浦日大VS専大松戸~

2023年夏、甲子園大会の三回戦!
茨城県代表の「土浦日大」VS
千葉県代表の「専大松戸」
のカードが
行われることになっております。

様々な因縁と背景を持つ戦い、なんです。
単純に「日大VS専大」ではない。

本記事ではこのカードについて
背景を紐解いていこう、と思います。

まずは地理的な話からいきます。
茨城県と千葉県は隣県です。
「利根川」を挟んで、隣同士!

土浦市は、霞ヶ浦のほとりにある。
茨城県の南部、つくば市の東。
対して松戸市は、千葉県の北西部。
柏市よりも少し東京寄り。

土浦と松戸は「常磐線」という
JRの鉄道路線で結ばれています。
(利根川には橋が架かっている)
そのため、ニュースなどではよく
「常磐線対決だ!」などと言われている。

「なるほど、どちらも常磐線か!
こりゃあ、盛り上がりますね!」

…確かに、そういう一面はあります。
特に常磐線沿線に住む人たちから見れば、
どちらも馴染みのある駅名。
中間の牛久市や取手市や柏市の人は、
「どっちを応援すればいいの?」と
悩むところでしょう。

しかし、それだけでは、ない。

土浦日大を率いるのは、
小菅勲監督、という方です。
こすげいさおさん。

彼は1984年、今から約40年前の
夏の甲子園で選手として優勝しています。
「木内マジック」で有名な
木内幸男(きうちゆきお)さんが、
公立高の取手二高を率いて
KKコンビ(当時二年生)の
PL学園を決勝で破った!
その際の、優勝メンバーの一人なのです。

彼は法政大学を卒業後、
常総学院のコーチなどを経て、
公立高の野球部監督に就任しました。
下妻二高などを、甲子園に導いた。
言わば「木内監督の教え子」の一人として、
指導者の道を歩んできた方なのです。

土浦日大からオファーがあって、
公立教員を辞め、私立高の監督に就任!
それが2016年のことでした。
2023年の今から、7年ほど前です。

しかしその時に彼は
「専任監督なら断ります!」と言った。
なぜなら、野球「だけ」ではなくて、
授業なども通じて一人の人間としても
生徒に向き合いたかったから…。

恩師の常総学院の木内監督にも
オファーを受けるかどうか
相談したそうなんですけれども、
「もう50歳になるだろ? 自分で決めろ!
やりたいことをやりなさい」と言われた。
(さすがは「のびのび野球」の木内監督)

…こうして就任した小菅監督なのですが、
最初は、とても苦労したそうです。

就任当時の三年生は、
小菅監督の言うことを受け入れなかった。
表面上は従いながらも心を開かず、
「面従腹背」の態度だったそうです。

選手ばかりでは、ない。
私立大の上部を持つ高校ですから、
OB会も「かなり」力を持っていた。
「ヨソモンが監督? いい気になんなよ?」
そんな雰囲気だったそうです。
何しろ公立高の取手二高出身。
かつては敵の選手だったのも影響している。

彼にオファーを出した理事長は
いつも彼のことを気にかけてくれて、
トラブルが起きた時のために
顧問弁護士まで紹介してくれた、とのこと。

「…結果を出して実力を見せるしかない!」

肚をくくった小菅監督は、
少しずつチームの雰囲気を変えていき、
強豪復活ののろしを上げます。
迎えた2017年、じつに31年ぶりに
土浦日大を夏の甲子園に導いたのでした。
(続く2018年にも出場!)

…しかし、どちらも一回戦で負けています。
「今度は甲子園で勝てるチームを作る!」
2023年、久しぶりに夏の甲子園へと
出場した今チームは、見事、二回も勝利!
三回戦へと進出しているのです。

それに対して、専大松戸。
率いる監督は、持丸修一監督。
もちまるしゅういちさんです。

彼は茨城県の藤代町の出身です。
(藤代駅も常磐線にあります)
公立高の竜ヶ崎一高という学校に進学し、
1966年には夏の甲子園にも出場しました。

卒業後は國學院大學に進学。
1975年に母校の監督に就任します。
27歳のことです。
1990年、就任16年目に
夏の甲子園へと導く!
その後、公立高の藤代高校に転任、
センバツにも出場させている。

その実績を買われ、2003年の9月、
常総学院の監督を勇退した
木内監督の後任の監督に就任しました。


…そうなんですよ。
専大松戸の持丸監督は、
「木内監督の後継者」だった。
元は、常総学院の監督さんだったのです。

しかしながら、2007年の8月に辞任…。
わずか四年ほどの指揮でした。

これには、いくつか理由があります。

2003年、木内幸男監督は
ダルビッシュ有選手のいた
東北高校に決勝で勝ち、優勝して勇退!
「甲子園で勝てる監督」だったんです。
(注:後に木内監督は再度就任しています)

その後を継いだ持丸監督にも、
当然「甲子園で勝つ」ことが求められた。
勝つことが至上命題。
しかし持丸常総、甲子園には出るものの、
初戦での敗退が続いてしまった…。

その後、わずか四年で辞任したんです。
ただし、辞めさせられたわけではなく、
自ら辞めたのだ、と言います。
それは、野球「だけ」、勝利「だけ」が
最優先される現状に
疑問を抱いていたからだ、と…。

2007年11月。常総を去った持丸監督は、
千葉の専大松戸に乞われて就任しました。
就任当時、理事長にはこう言われた。

「甲子園に行かせることばかり
考えてくれるなよ?
学業も含めての部活動、なんだ。
だから、教員経験のある
あなたをここに呼んだんだ!」

以来、約16年ほど、専大松戸の監督。

「行って優勝することではなく、
これまでに頑張ってきたことが
『甲子園』なんだぞ!」

選手にはそう言い続けているそうです。
そこには野球「だけ」ではなくて、
一人の人間として生徒に
向き合ってきた彼の信念があります。


苦節8年、甲子園に縁のなかった
専大松戸を初めて甲子園に導いたのは
2015年のことでした。
いわゆる「持丸野球」は茨城県だけでなく、
千葉県においても花開いたのです。

最後に、まとめましょう。

本記事では、三回戦で対決する
「土浦日大」VS「専大松戸」の
裏側を少しだけ紐解いてみました。

小菅監督と、持丸監督!

常総学院・木内監督に深い縁があって、
でも「染まり切る」わけではなく、

どちらも自分なりの野球観を持ち、
それぞれの高校で
しっかりと選手に向き合って
花を開かせた監督さん同士なのです。

その二人が、ついに三回戦で対決…!
2020年に亡くなられた木内監督も
甲子園の空からじっくりと
観戦しているのでは…!

もちろん選手が主役の甲子園ですが、
監督同士の采配の対決にも、
ぜひご注目いただければ、と思います。

※専大松戸の応援曲の一つに
「ビッグブリッヂの死闘」があります。
FFⅤの名曲。
往年のゲームファンには懐かしい!
土浦と松戸の間の利根川には、
「利根川橋梁」や「大利根橋」などの
『ビッグブリッヂ』が架かっています。

この曲はテンションが上がりますね!


よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!