バラは食べられる。いわゆる「食用バラ」

食用バラ等の栽培、販売を手掛ける
「ROSE LABO」という会社があります。
社長は、田中綾華さんという女性。
この会社には、波乱万丈の沿革がありました。

本記事は、彼女が直面した地獄のような危機と、
その解決法について、書きます
(参考記事も合わせてぜひ)↓

高校時代と大学時代。
がらりと変わるその環境に、
とまどう人は多い、と思います。

東京生まれで大学に進学した田中さんも、
その一人でした。
大学に入学してから間もなくのこと。

(ここから引用)

『入ったばかりのゼミで、
自己紹介の時間があった。

地方から来た同級生たちは
明るく前向きに目標や夢を語っていた。

田中は自分とのあまりの違いに、
打ちのめされた。

高校時代、少しでも
将来の夢を口にしようものなら
「意識高い!」とネタにされてしまうから、
絶対に口にしなかった。

仲間内で浮くのが怖かったから、
みんなと同じような服装をして、
同じように行動をしてきた。

それが当たり前で、なんの違和感も
抱いていなかったはずなのに、

目の前で胸を張って堂々と夢を口にする
同級生を見て自分に疑問を抱いた。』

(引用終わり)

…うーん、あるある、ですよね。

高校時代、熱く夢を語ろうものなら
「意識高い系」というレッテルを貼られて
疎外感を味わってしまう…。
それが嫌なので、没個性を演じる。
とにかく、大学進学の勉強だけに没頭する。

しかし大学生、就活生になると、逆に
自分の個性、夢、やりたいこと、
そういうものを語る必要が出てくる…。

田中さんも、この落差、ギャップに直面し、
自分が本当にやりたいことは何なのか?を
初めて、深く、考えるようになります。


しかし、これまで自分を掘り下げず、
文字化、可視化をしてこなかった彼女は、
「特技も趣味もやりたいこともない」
ことに気づいて、愕然とするのです。

…そんな時、好きなものが一つ、
あったことを「思い出した」と言います。

それが、バラ、でした。

大好きだった曾祖母がバラが好きで、
家族も全員バラが好きだったことに、
気が付いたのです。

…ここで田中さん、
家族にも友人にも相談せずに、
大学二年生で、大学を中退しました。
もちろん、物凄く怒られました。
しかしそれでも彼女には、
やりたいことがあった。
それが「食用バラ」の事業でした。

大阪に移住してバラ農家に就職。
バラ栽培を一から学びます。
行動力旺盛な彼女は、オーナーに
「インスタグラムでバラの画像を投稿し
バラの良さを広めましょう」と提案!

ところが、オーナーは拒絶。
「農家はそんなチャラいことはしない!」
田中さんには、全く、理解できません。

「…自分で、やろう!」

大阪から東京に一年で戻った彼女は
起業の準備に取り掛かります。
農業は高齢化が進み、若い人材の参入を
歓迎する環境がありました。
22歳にして、深谷市で起業!
2015年のことでした。


ここから、破竹の快進撃が始まる。

…となれば、わかりやすいお話ですが、
なかなかすぐにはうまくいきません。

まず、3000本ものバラが、
…すべて枯れました。
いきなり、倒産のピンチです。

「な、なんで?」

この頃はまさに「地獄」だったそうです。
朝は栽培、昼は飲食店回り、夜は居酒屋バイト。
睡眠時間は二、三時間。でも、
借金をして起業したから後にはひけない…!

田中さんは農業スクールの講座にも通い、
枯れた理由を探っていきます。
そこの講師が紹介してくれた農家さんの話で、
彼女は自分のミスに気が付きました。

大阪と深谷では土壌も気候も違う。
深谷のほうが暑いんです。
それなのに大阪で学んだ
水分量や肥料で栽培をしていた…!

農家さんの助言の通りに栽培してみると
バラは枯れず、見事に咲きました。
ここに彼女はバイトを辞めて
ついに本業に専念できるようになったのです。

「食用バラ農家なんですが
食べるバラって知っていますか?」

彼女は飲食店に営業をしていきました。
ここで売れれば、話は簡単。
しかし、ええ、ほとんど売れません。

「ど、どうしよう。
バラは売れなくてもどんどん育つ。
廃棄処分にするしかない…?
いや、待てよ、余ったバラで『ジャム』
作ってみてはどうだろう?」

…この苦肉の策が、功を奏します。
何と、二年目で三千万円を売り上げたのです。

三年目、彼女は「加工」つながりから
「バラの化粧品」を商品化して、
そこで勝負をかけることを決断しました。

(ここから引用)

『バラって、リラックスだけじゃなくて
女性のやる気スイッチをオンにする
効果もあると思うんです。

特に女性はメイクをするときに
スイッチが入るんですけど、

その化粧品の香料にも
うちのバラが使われていたら、
女性のオンとオフをカバーできる。

24時間のライフスタイルをサポートする
花であってほしいという願いを込めました』

(引用終わり)

『24』と名付けた新種のバラを使って、
化粧品を開発!

大規模店舗での取り扱いも始まり
三年目の売上は、一億円を超えました。

…と、ここで終わっては
バラでの起業のシンデレラストーリーで
めでたしめでたし、なのですが。

飛ぶ鳥を落とす勢いだった彼女に、
災厄が襲い掛かります。
そう、2020年からの、コロナ禍です。

飲食店が自粛。食べるバラが、売れない。
食用バラの75%もの粗利が落ちます。


…しかし、ここまで「地獄」を
経験してきた彼女は、全くあきらめません。
驚異の行動力で、二か月で新商品を開発!
それが、ローズバリアスプレー
敏感肌の人でも使え、とても香りがよく、
消毒液の代替品としても使える。

彼女はこのスプレーを、
深谷市役所に職員全員分、寄付しました。
コロナ禍で業務が増えて
大変な思いをしている職員へ…。

その後、クチコミが次第に広がって、
スプレーは爆発的に売れていきます。
食用バラの需要の落ち込みを補って
余りある売上を挙げたのでした。

最後に、まとめます。

◆高校と大学のギャップ
◆バラ栽培の失敗
◆全く売れない食用バラ
◆コロナ禍

これらの危機を、田中さんは
発想と機転で乗り越えてきました。

しかしその背景には、
やりたいことの発見、溢れる行動力、
そして泥臭い試行錯誤と自問自答が
ありました。

「加工商品は利益率が高い」

もし、このことを机上の勉強で
知っていたところで、すぐには
全力で取り組めなかったと思います。

食用バラ→売れない→ジャム→売れる
→では化粧品も!

このようなステップを経てきたからこそ、
彼女は成功できたのではないか。

また、この経験があったからこそ、
いざ食用バラの売上が落ちても
すぐさまスプレーを開発できたように、
「成功の転用」がうまくできた

のではないでしょうか?

読者の皆様のビジネスではいかがですか?

私も本記事を書くことで、
とても良いヒントをいただいた気がします。

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