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箱根の「ね」は、嶺の「みね」。
箱根の「はこ」は諸説ありますが、
「駒ヶ岳」の形が箱に似ているから、
とも言われています。

はこみね、はこね、箱の形をした嶺!

奈良時代に作られた万葉集の中には、
「足柄のはこね」として三首歌われており、
古くからそう呼ばれていたそうです。

「日本マラソンの父」と呼ばれた金栗四三
(大河ドラマ『いだてん』の主人公)は、
1920年、大正9年に
「四大専門学校対抗駅伝競走」を創設します。
以来、100回もの大会が開催されてきた。

2024年の大会は、100回目!

金栗の屈辱的な記憶が背景にはありました。
1912年、八年前、日本選手として初めて
マラソン走者としてストックホルムでの
五輪に臨んだ金栗は、熱中症のために
途中棄権をしてしまったのです。

「体力の不足、技術の未熟!」

それを痛感した金栗が、
多くの選手が参加できる「駅伝形式」で
日本の長距離走の向上を願って始めた。
母校の東京高等師範学校(現筑波大)、
明治大、早稲田大、慶応大の四校が、
第一回目の参加校です。

なお、コースには他の候補もあって、
「水戸~東京」「日光~東京」案もあった。
(水戸駅伝や日光駅伝になっていたかも)

今の箱根路に決まったのは、
大会開催の実務担当、渋谷寿光という
小田原中(現小田原高)の先生の存在が大きい。
彼はホームの箱根路をコースにするべく、
地道に巻き尺で少しずつ
全部の道の距離を測ったそうです。

全区間を五区間に分けて、
一人が平均ニ十キロを走るコース。
往路と復路で二日間。

この渋谷先生、夜に走る際にでも
選手が道を間違えないようにと
部の上級生たちに松明を持たせて配置します。
「駅伝という大会に向けて力を合わせて
一つのことを成し遂げることを訓練する」
という狙いもあったとか…。

さて本記事では、2024年の「箱根」について、
特に青山学院大学の二区の選手に焦点を当てて
書いてみましょう。

第100回の往路は青山学院大学が優勝しました。
圧倒的な力を持つと言われた絶対王者、
駒澤大学に勝つという、見事な激走!

◆『負けてたまるか!大作戦』

青山学院大学の原晋監督は
希代のモチベーターであり、戦略家です。
選手自身の気持ちを奮い立たせ、
伸び伸びと自分のベストを尽くさせることが
とにかく得意です。大作戦、見事に成功。

最初の一区は、九位でした。
しかし二区では区間賞!
七人をごぼう抜きにして二位に上がった。
一位だった駒澤大の独走を、許さなかった。

五人で勝ち取った往路優勝ですが、そのうちの
一人の選手のキャリアを詳しめに紹介。

二区は「花の二区」とも呼ばれて、
各チームのエース級の選手が集まる区間です。
そこで日本人歴代二位の好タイムで
区間賞を取ったのが、黒田朝日選手

原監督はこの黒田選手を『駅伝男』と呼んで、
絶対の信頼を置いていたそうです。
選手を乗せるのがうまいですよね。
監督から『駅伝男』と呼ばれたら、
駅伝に俺は強い、強いんだ!
いっちょやってやろう!という気になります。

…この黒田選手の父親、将由さんは
法政大の一年生の時に
一区で三位を好走した元選手。
今の駿河台大の監督とともに
「オレンジエクスプレス」を
編成した名選手でした。
何しろ百回もの歴史がありますので、
「祖父が選手」「父親が選手」
そういう選手たちもたくさんいるのです。

それに加えて、黒田選手は
有名な「陸上一家」の長男でもあります。
四人のきょうだいの一番上!

弟である然(ぜん)選手は
全国高校総体、インターハイで
三千メートル障害二位の好成績。
青山学院大学への進学も決まっています。

妹である六花(りっか)選手は
中学三年生、全日本の千五百メートルで
全国一位に輝いた。
同じく岡山で一学年上のドルーリー選手に
「追いつけ追い越せ」の気鋭の選手です。

なお、一番下の妹の詩歌(しいか)さんも、
まだ幼稚園生ではありますが
かけっこが抜群に速い…とのこと。

お兄ちゃんとしては、負けていられない!
長男の意地。『鬼滅の刃』の炭治郎状態。
そんな気迫が、走りにあらわれました。
見事、彼は区間賞を獲得。
この勢いがチーム内の三区以降の選手にも
乗り移っていったのではないかと思います。

(この四きょうだいが揃った画像が、
何と言うか、すごくいい画像なんです。
全員ポージングがいい。ぜひ下の記事の画像を)

…ただ、青山学院大学の気風もあってか、
「悲壮感」が漂う感じではない。
チームカラーは「とにかく明るい」
黒田朝日選手の父も、こう言っていたそうです。

(ここから引用)

『子どもたちに陸上を教えたことはありません。
楽しんで走れば、それだけでいいと思います。
大舞台の箱根駅伝でも楽しんで走ってほしい。
私も楽しんで走りましたから』

(引用終わり)

もちろん、人やチームそれぞれの
性格や特質、個性にもよるとは思いますが、

「競技を楽しむ」「大舞台を楽しむ」
そういった余裕は大事ですよね。
練習で自分を極限まで追い込んだとしても、
いざ本番、タスキをかければ、
俺はできる、どんなレースを楽しもうか、
そんな余裕が視野の広さを生み、
冷静さを生んで、好成績につながる…。

大谷翔平選手も、WBCでは楽しそうでした。
藤井聡太八冠も、将棋が強い相手と
駒を戦わせることを楽しみにしている風です。

もちろん競技・勝負には辛い面もあります。
勝者と敗者とで運命が分かれてしまう。
プレッシャーも半端ないでしょう。
「熱中症で途中棄権」があるかもしれない。

…しかしながら、やれるだけのことを
事前にやったら、後は開き直りが大事。
コンディションを最高にして
自分の持てる力をすべて発揮する。

勝負すること自体を楽しむ。
そんな心持ちが必要なのだなと、
私は改めて思ったのです。

ビジネスや商談、イベントなどにも
共通することだと思ったのです。

ただ、箱根駅伝は「二日」あります。

往路で優勝したからと言って、
復路でも優勝できるとは限らない。
総合優勝の行方もわからない…。

一日目のすべての選手にそれぞれの
キャリアとドラマがあったとすれば、
二日目は、それを受けた上での
予想もできないストーリーが
待ち構えていることでしょう。

最後に、まとめます。

本記事では箱根のあれこれを、
特に青山学院大学の二区に焦点を当てて
書いてみました。

復路は「往路の逆コース」
山を登ったから、今度は下ります。

六区はスピードスターたちが駆け下る。
花の二区は、勝負の九区へと変わる…!
絶対王者の駒澤大。作戦の青山学院大。
シード権争いを巡る激走!
後輩たちへと伝える想い。
一人一人のキャリア、箱根の歴史と地理。

そのようなものが交錯していく箱根駅伝。
ぜひ、それぞれの選手の走りの背景にも
想いを致してみるのはいかがでしょうか?

読者の皆様は、どこを応援しますか?

※黒田朝日選手についての引用元記事もぜひ。

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