見出し画像

「地理」や「歴史」の醍醐味の一つに、
『環境の異なる国の歴史を知ることで
自分たちの立ち位置が重層的にわかる』

というものが、あります。

「実用地歴」を標榜する私は、
突発的に地理歴史っぽい投稿をします。
今回は、東ヨーロッパの
「ハンガリー」を取り上げてみます。

…ハンガリー、ですか…?

なんて、今、思いませんでしたか。
確かに、なじみは薄いかもしれません。

東ヨーロッパの、あのへん(あやふや)…。
オーストリア・ハンガリー二重帝国(古い)…。
首都は…ブダペスト(当たりです)…。

極東の島国、日本からでは
なかなかにイメージしにくい国の
一つではないか、と思います。

これが同じ東ヨーロッパでも、
「ブルガリア」であれば、私は
「ああ、ヨーグルトね、琴欧洲さんね」
など、イメージがつきやすいです。
しかし、ハンガリーと言われると
なかなか…ということで、
少し調べ直してみました。

何でもそうなんですが、
調べていくと、面白いものです。

まず国名から。
国名には、その国の歴史が詰まっています。

ハンガリー、とは現地のハンガリー語では
Magyarország です。
「マジャロルサーグ」的な発音です。
ぜんぜん、ハンガリー、じゃない…。
まあこれは、Japan と にほん(にっぽん)
が全然違うのと似たようなものか。

ハンガリー、とは「フン族」に由来する、
というのが俗説ですが、
通説では「オノグル」という言葉から。
「十本の矢」という意味で、
10の部族の連合から、だそうです。
それが、他の国の言葉と混じっていく中で
hがついて、ハノグル、ハノグリ、ハンガリー
へと変わっていったそうです。

では「マジャロルサーグ」とは、何か?
ハンガリーの人口の多くを占める
「マジャル人」から来ています。
「マジャル」とは「モンゴル」に
由来するという説もあり、
東ヨーロッパの中では比較的、
アジアの騎馬民族に縁が深い民族です
(混血が進んだので一概には言えませんが)。

もっとも、島国ではなく内陸国で、
人が移動してきやすいこともあり、
ハンガリーは「多民族国家」です。
マジャル人のみならず、
色々な民族が一緒に住む国なんですね。

さて、このハンガリーの歴史を見ます。

東ヨーロッパの国ですから、
第二次世界大戦後には
「ソ連」の傘下に入りました。

何となく、ソ連に抑圧された国々、
と一緒くたにしてしまいがちですが、
ハンガリーは、その中でも比較的、
ソ連に歯向かってきた国、と言えます。

1956年には、ハンガリー動乱を起こして
ソ連軍に鎮圧されています。
その後もソ連的ガチガチの国有化でなく、
農場の中で私有地を認めたり、
市場経済を認めたりする
「社会主義市場経済」を導入したりして
(中国では鄧小平などが行いましたね)
東欧諸国の中では異色の存在でした。
1989年には、いち早く国境を開放し、
冷戦終結の引き金を引いています。

…このハンガリーの「反骨精神」は、
どこから来ているのでしょうか?

もう少し調べてみますと、
どうもその前の「二重帝国」時代に
秘密がありそうなんです。

もともとハンガリーは、
「オーストリア」の支配下でした。
それを、民族独立を唱えて反乱を起こし、
ついには「対外上は同じ国だけど
政府は別々」という立場を勝ち取ります。

「オーストリア・ハンガリー二重帝国」です。
同じ国なのに、政府が二つあるんです。
ハンガリーは自治を認められた、
と言ってもいいでしょう。
これが1867年のことです。
日本で言えば、大政奉還の年です。

つまり、日本とほぼ同じ頃に、
ハンガリーは「明治維新」を起こして、
自分たち自身の国づくりを始めた、

と言ってもいいわけです。

ドナウ川の両岸にあった違う二つの街、
「ブダ」と「ペスト」という街を
1873年に合併させて、
「ブダペスト」という街を作り上げます。
「文明開化」のごとく、
世界で三番目の地下鉄まで開業させます。
どこか、「江戸」を「東京」にして、
鉄道を導入した日本と似てませんか?

事実、ハンガリーは二重帝国の枠の中で
「殖産興業」を推し進め、
ブダペストはおおいに繁栄します。
今でもこの街は、
河岸や通りが世界歴史遺産に認定され、
800以上の歴史的建造物、
200以上の博物館や美術館を持つ
文化的にも洗練された美しい街なのですが、
この頃の繁栄が影響しているんですね。

…ただ、強くなってくると
自尊心もついてしまうものです。

じきにハンガリーは対外的には
オーストリアより強硬になっていきます。
バルカン半島の国々への弾圧策を主張。
それが第一次世界大戦の火種にも
なってしまいます。
敗戦した一次戦後、二重帝国は解体され、
ハンガリーも領土の多くを失いました。

…このあたりも、二次戦後の日本と
似かよったところがあるようです。

まとめていきます。ハンガリーと日本は、
◎内陸国/島国
◎東ヨーロッパ/極東
という地理条件の「相違点」がありながら

◆民族的にアジアに縁が深い
◆早めに近代化を成し遂げた
◆近代的で大規模な首都を作り上げた
◆独特の文化を持ちつつ外国技術を導入
◆大国の傘下に入りつつも独自路線へ
◆ガンガン行き過ぎて失敗も成功もした

などの歴史の「共通点」も持っている、
ということです。

国に歴史あり、街にも歴史あり。

ぜひ読者の皆様も、
ちょっと気になった国や街の
地理や歴史を見てみて、
今住んでいるところとの
「相違点」と「共通点」を考えてみては
いかがでしょうか?

意外な事実が出てきて、
「思い込み」が外れる、かもしれません。

※本記事のタイトルは
フランツ・リストが作曲した
ピアノ曲から取りました。
リストは「ハンガリーの舞曲」から
構想を得たとも言われています。

※なお、イギリスのバンド「クイーン」は
『ハンガリアン・ラプソディ』という
1986年(冷戦下)にブダペストで行った
ライブのアルバムも出しています。

※ハンガリー出身の力士としては、
舛東欧(ますとうおう)がいます
(2021年に引退されました)。

◆ハンガリー周辺の東欧・バルカン諸国の
美味しそうな料理は
のぶよさんのこちらのページを御参考に…↓

合わせてぜひどうぞ。


よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!