見出し画像

離れずに後ろにつけ! ~「敵」のチームからの檄~

箱根駅伝では毎年、様々なドラマが
生まれていきますが、
新春から少し経った時期に
「実はあの舞台の背景にはこういうことが…」
という記事を目にすると、面白いものです。

2024年の箱根駅伝!

その背景にあった、ある二人の選手の
奇妙な邂逅、生まれた友情についての記事を、
一部引用しながら紹介していきます。

(ここから引用)

『「やっぱり勝負なので。
自分としてはチームが
シード権を取ることが最優先で、
どれだけ前で渡せるかが大事だったんです。

だからどっちが先かとかは意識していなくて、
とにかく1秒でも早く
襷をつなごうとだけ考えてました」

菊地が先着し、細迫は
区間8位の走りで後に続いた。
ゴール直後に駆け寄ったのは、
感謝の思いを伝えたかったからだ。

「本当に今回、こんなタイムで
走れたのは細迫くんのおかげというか。
やっぱり勝って終わっただけじゃ、
恩を仇で返すことになると思ったので。
それでとにかく感謝の気持ちを伝えようと」

菊地が感謝の思いを口にすると、
細迫の方からも意外な言葉が返ってきた。

「細迫くんは下りが苦手だったみたいで、
そこで自分が前に出てくれたのが
有り難かったって。
『後ろにつくことができて良かった』
みたいなことを言われて、
自分が気づかないところで彼を
助けることができたんだなって、
ちょっと嬉しくなりました」』

(引用終わり)

…箱根駅伝の「五区」と言えば、
「天下の険」である箱根の山を
ひたすら登り、時には下り、
また登り…という、ものすごく過酷な区間。

そこでは一位争いはもちろん、
十位に入るか入らないかの
「シード権を争う戦い」
が繰り広げられる。

最終決定が下されるのは
往路だけではなく復路も合わせた
二日間の総合の結果次第なのですが、
次の日に一秒でも早く
六区の選手をスタートさせるために、
五区の選手たちは死力を尽くします。

当然、相手チームは、敵です。
どうやって先に行くのか、
虚々実々の駆け引きが行われる、はず。

…しかしそのつばぜり合いを行っていた
法政大学と大東文化大学の選手が、
五区のゴール後に、抱擁を交わしたのです。


法大の四年生、細迫海気選手と、
大東大の四年生、菊地駿介選手!
いったい何があったのか?
もしかして、同じ高校出身など
旧知の間柄で、健闘をたたえ合ったとか?

(ここから引用)

『奇妙な友情は、どのようにして生まれたのか。

それまで話をしたこともなかった両者が、
並ぶように坂道を登り始めたのは
箱根山の中腹にさしかかった頃だった。

14位と厳しい位置で襷を受け取った菊地は、
少しでも順位を上げようと
前のランナーを猛追する。
7kmの場所にある大平台まで来ると、
順位は10位にまでジャンプアップしていた。
その時、視界にとらえたのが、
前を走る細迫の背中だった。

一度は追い抜いたが、細迫も離れない。

併走がしばらく続くと、今度は
菊地の方が苦しくなった。
ハイペースで押してきたつけが回ったのか、
ペースがやや落ち始めたのだ。

「抜かした後もなかなか離れてくれなくて、
このままだと自分が苦手としている
小涌園辺りで再度抜かされてしまうかなって。
その時ですね、細迫くんが
声をかけてくれたのは。

『このままじゃ一緒にシードが取れないぞ。
離れずに後ろに(つけ)』って」

菊地はその言葉に驚いたという。

「レース中で自分もキツイのに、
そんなことを言ってくれる選手って
まずいないので。
それですごいびっくりして、だったら
頑張って後ろにつくしかないと。
彼の期待に応えないといけないとは
すごく思いましたね」』

(引用終わり)

そうなんです。
二人はそれまで、話をしたことすらなかった。

菊地選手が追いつき、抜かしたものの、
追いつかれ、離されてしまいそうになる。
そんな時に「敵」チームの
細迫選手が、菊池選手に声をかけたんです。

苦しい中で…。
自分も追いつかれてしまった悔しい中で…。

『このままじゃ一緒にシードが取れないぞ。
離れずに後ろに(つけ)』

これ、どうですか?!

読者の皆様ならば、苦しい戦いの中で
そんな言葉を「敵」チームの選手に
かけることができますか?

もし私だったら、できない、と思います。

「追いついてくるなよ…」と思いつつ、
相手が遅くなったことをいいことに
再度、無言で抜き返し、
引き離すかもしれない。

しかし、細迫選手は違いました。
それは、彼が菊池選手を「敵」ではなく、
ともに箱根の山に挑む
「戦友」として捉えていたから
ではないか?

もちろん、様々なスタイルがあります。
闘志をむき出しにして、
相手と駆け引きをする形も、ある。
というか、それが大多数のやり方です。

ですが、細迫選手はそうはしなかった。
菊地選手も彼からかけられた檄に応えて、
必死に喰らいつき、好タイムで
往路のフィニッシュを飾りました。

この彼の激走の功績もあって、
大東文化大学は総合10位に滑り込み、
九年ぶりのシード権を獲得できた
のです。
なお、法政大学も総合6位となり、
シード権を獲得しています。
一緒に、シードを取ることが、できた。

…なお、四年生である菊地選手は、
決してここまで順風満帆に
大学の陸上生活を
送ってきたわけではありません。
二年の夏には「陸上を辞めたい」と
大学の寮から実家に帰ってしまっています。

(ここから引用)

『ランナーを見ると吐き気がしたくらい。
陸上への拒絶反応があった時期でしたね。

下からの突き上げがある中で、
自分がだんだんと走れなくなっていって。
監督はエースになることを
期待してくれたんですけど、
それもまた重荷というか……』

(引用終わり)

引用元記事には、彼がその選手生活の
「谷底」からどのように
「山を駆け上る」までに復活したのかが
詳細に書いてあります。
ぜひ、お読みいただければ、です。
(特に真名子監督の声掛けエピソードは必読!)

最後に、まとめます。

本記事では、2024年の箱根駅伝、
五区の戦いの舞台裏について書いてある
一つの記事を紹介しました。

敵ではなく「戦友」。

違うチームの選手と言えども
一緒の舞台に参加している仲間として、
競走相手、競争相手のことを考える。
リスペクトする。
とても清々しいお話です。

なお、菊地選手は、2024年1月21日の
「全国都道府県対抗男子駅伝競走大会」にも
宮城代表として参加するそうです。

細迫選手も応援に行く、とのこと。

ぜひ沿道から「離れずに後ろにつけ!」
菊地選手に声をかけてもらいたいですね!

※青山学院大学の二区の黒田朝日選手について
書いた記事はこちら↓
『箱根の二区に朝日が昇る』

合わせてぜひどうぞ!

よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!