見出し画像

たい焼きは、美味しいですよね!
頭から尻尾まで餡が詰まっていたら
幸せな気になる。最後まで美味しい。

…ただ考えてみれば奇妙な菓子です。
なぜまた「たい」つまり
「鯛」の形をしているのでしょうか?


本記事では「たい焼きのキャリア」
書いてみたいと思います。

たい焼きの誕生には、諸説あります。
有力な説としては、
今川焼き(大判焼き)から
派生した、と言われる説。

今川焼きとは、小麦粉からなる生地を
金属製の焼き型に流し込んで
餡を入れて焼いてつくった和菓子です。
大判焼き、おやき、太鼓饅頭、
あじまん、黄金焼き、などなど
全国各地で色々な呼び名がある。

読者の皆様の地域では何と呼ばれますか?

(ちなみに「今川焼き」とは
江戸時代の中期に今川さんという
名主が掛けた今川橋の付近の店で
「桶狭間の戦い」にひっかけて
「今川焼き」と名付けたのが
由来だ、という説があります)

この今川焼きを、鯛の形にしている。

…考えてみると、ものすごい
アイディアだとは思いませんか?
丸い形を、魚の鯛の形にしたんですよ?

「な、なにこれ!?」

と、初めて見た人が仰天したのが
目に見えるようです。
いわば「新作スイーツ」
ローソンスイーツのようなもの。

このたい焼きが初めて生み出されたのは
明治時代あたりだろう、と
言われております。
当然ながら、元の今川焼きよりも後。

誰が生み出したのかは、諸説あります。

明治時代に東京の九段下に
今川焼き屋さんを開いた
浪花家総本店の初代である
神戸清次郎(かんべせいじろう)さん、
という説が有力です。
※現在は四代目、神戸将守さん。

鯛だけでは、ない。

他にも、うさぎ焼きとか、かめ焼きとか、
ホームラン(ボール)焼きとか、
色々と試行錯誤したそうです。
しかし、鯛の形のものが売れて、
他のものは売れなかった。

鯛だけが食べられるものだったから。
(確かに、うさぎやかめは
そんなに積極的に日本では食べません)

かつ、縁起が良い、めでたい、
お祝いの席で食べる魚、ということで
「たい焼き」は圧倒的に
売れていった、しまいには
全国にも広まっていったとのことです。

全国に広まれば、当然ながら、
他の形にアレンジした「たい焼き」も
作られていきます。

上野動物園の近くでは「パンダ焼き」。
函館では「いか姫」(いか焼き)。
茨城県の笠間では「あんこう焼き」。
築地では「まぐろやき」。
兵庫県の城崎温泉では「かにやき」。
長崎では「くじら焼き」。
もう、数えきれないほど…。

ただ、丸い今川焼きと
鯛の形のたい焼きは、
スタンダード、基本の形として
全国各地に広がっているわけです。


当然ながら、餡、つまり
小豆を煮てつくった甘いあんこ、
だけではなく、
中身も色々とアレンジされています。

カスタードクリーム、は
すでに基本とされている。
チョコクリームもよく見かけますよね。
クリームチーズは、ちょっと変化球。

他にも「食事系たい焼き」と言って、
ツナ、玉子、チーズ、ハム、
ホワイトソース、カレー、
キャベツや豚バラのお好み焼き風、など
様々なものが今では入れられている。

…そう言えば「白いたい焼き」
十数年前に大ブームになりました。

これには「タピオカ粉」が使われていて
パリサクではなく、モチモチの食感!
食べ応えがありました。
流行自体はすぐに収まりましたが、
今ではコンビニスイーツとして
棚で泳いでいる。

…このように、たい焼きは
形を変えてアレンジして、
今でも和風スイーツ、あるいは
食事系の一つとして
しっかりと全国各地で
親しまれているのです。

最後に、まとめます。

本記事では、たい焼きのキャリアについて
つらつらと書いてみました。

1975年(昭和50年)、
『ひらけ!ポンキッキ』という
子ども向けテレビ番組の中で
『およげ!たいやきくん』という
歌がリリースされています。

私も、子どもの頃に聞きました。
「たい焼き」と聞くと、
どうしてもこの歌が思い浮かぶ…。

この曲を作詞したのは高田ひろおさん。

東京の居酒屋で一杯ひっかけたあとで、
ちょっと外で粗相をして、
路地で屋台のたい焼き屋さんに
それをとがめられた。

その時、高田さんに脳内に
ある記憶が浮かんだ。

故郷の釧路で物凄い寒さの中、
銭湯から家に帰る際に、
温かいたい焼きを腹に当てて
温めながら帰った記憶…。

その寂しく寒いイメージと、
当時「鍵っ子」と呼ばれた
寂しそうな子どもたちのイメージ
たい焼きとともに重なっていく。

「受験競争…。寂しい帰路…。
そうだ、たい焼きを
店で焼かれるだけでなくて、
自由に海を泳がせてはどうだろう?」

その着想から高田さんは
児童小説を書き始める。
それが、ポンキッキスタッフの
心の琴線を揺さぶって、
歌になって生まれたそうなんです。

リリース後は、子どもだけでなく、
当時「安定成長」しつつも
どこか息苦しかった
大人たちの心もつかんで、大ヒット。
連動して「たい焼き」も思いがけず
昭和時代にも改めて
人気商品になっていきました。

形を変え、姿を変えて、
中身すら変えて、しまいには歌に乗り、
様々なスタイルを取りながら
日本各地に広がった、たい焼き。


読者の皆様の、
たい焼きの思い出は、何ですか?
どのように自分なりにアレンジして、
どんなキャリアを焼き合わせますか?

よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!